ロシア連邦中部、ノボシビルスク州の州都。1925年までノボニコラエフスクНовониколаевск/Novonikolaevskと称した。西シベリア低地の南東部、シベリア鉄道がオビ川を渡る地点のオビ川両岸に位置し、都心は右岸にある。人口140万2400(1999)で、シベリア最大の都市。オビ川の河港を有し、鉄道がクズネツク炭田、アルタイ地方、中央アジア方面へ分岐し、大規模な空港もある交通上の要地。主要な工業は機械製造業と冶金(やきん)業で、重工作機、水圧プレス、重電機、電熱装置類、農業機械、無線機などが生産され、製鋼業と錫(すず)コンビナートがある。化学工業(プラスチック、ワニス塗料、医薬品)、軽工業(皮革・履き物と綿業との両コンビナート、縫製、建設資材)、食料品(製粉、油脂と肉缶詰との両コンビナート)の工業もある。動力源としては数か所の火力発電所のほか、市の南部のオビ川にノボシビルスク水力発電所(出力40万キロワット、1959完成)がある。
この市は学術、教育、文化の中心地でもある。とくに水力発電所の人造湖岸(市の都心から南方28キロメートル)に1957年から約10年かけてアカデムゴロドクАкадемгородок/Akademgorodokが建設され、ソ連科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)シベリア支部とその諸研究所(数学、物理学、化学、地質学、生物学など)、ノボシビルスク総合大学(1959)が設置された。それ以来、市はシベリア開発の学術研究と教育の中心地となった。アカデムゴロドクには学者とその家族、学生や労働者など、約4万人が居住する。
ノボシビルスクの急激な発展の端緒は、1893年にシベリア鉄道のオビ川鉄橋の建設地点となったことで、村は1904年にはノボニコラエフスク市となり、商業地として発達。1917年12月にソビエト政権が樹立されたが、翌年5月には反革命政権にかわり、同年11月から翌19年12月までは白衛軍のコルチャーク将軍の支配下にあった。1991年ソ連解体後はロシア連邦の都市となった。
[三上正利]
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ロシア連邦中部,西シベリア低地,オビ川の両岸にまたがる河港都市で,同名州の州都。人口140万6000(2005)。1893年シベリア鉄道のオビ川鉄橋建設の際にできたアレクサンドロフスキー村にはじまり,95年にノボニコラエフスクと改称,1903年に市となり,25年に〈新シベリア〉を意味する現名に改称した。当時は典型的な商人の町で,アメリカの開拓地を思わせるものがあり,〈シフ・シカゴ(シベリアのシカゴ)〉と呼ばれた。現在では機械製作と冶金が工業生産の65%を占め,建設資材,食品,繊維,皮革製品の生産が盛んである。57年,郊外の密林の中に学術都市アカデム・ゴロドクAkademgorodokができてソ連邦科学アカデミー・シベリア支部の約30の研究所が林立し,国際的な学術研究の中心地となった。総合大学のほかに電気,鉄道,経済,医学,教育,貿易の単科大学がある。各種の劇場や印刷設備など国内最高水準のものが建てられ,ロシア連邦の学術・文化の一大中心ともなっている。理数系の英才教育機関のあることでも知られる。
執筆者:山本 敏
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