エドワード[4世]
Edward Ⅳ
生没年:1442-83
ヨーク朝初代のイングランド王。在位1461-83年。ばら戦争において1460年暮れ,父第3代ヨーク公リチャードの戦死後その遺志をつぎ,翌年3月国王ヘンリー6世およびランカスター派が退去したロンドンに入り,諸侯と民衆の支持をうけて即位。治世初期には当時の最有力家系ネビル家のウォリック伯の強い影響下にあったが,結婚問題を機会に自立し,71年には離反したウォリック伯およびランカスター派を壊滅させて王権を確立。反対派諸侯の称号,領地を奪って新興実力家系に与え,これを自家の藩屛とし,割拠する諸侯との協力を確保して統治の基盤とした。外国貿易に参加し,王領の管理・経営方法を改めて歳入を確実にし,破綻していた財政を再建。対外的には親ブルゴーニュ政策をとり,対フランス関係ではアンジュー家伝来の西部フランスにおける領有権を主張して侵略をくり返したが,長い戦争はさけ,償金と年金をフランス王からえて満足した。
執筆者:城戸 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
エドワード4世
エドワードよんせい
Edward IV
[生]1442.4.28. ルーアン
[没]1483.4.9. ウェストミンスター
イギリス,ヨーク朝初代のイングランド王 (在位 1461~70,71~83) 。ヨーク家のリチャード (ヨーク〈公〉 ) の長男に生れ,1460年父がウェークフィールドで殺害されたのち,ヨーク家の王位継承権の主張を受継いでバラ戦争を戦い抜き,ランカスター家のヘンリー6世を追放して王位についた。その後ヨーク派内部に分裂が生じ,ランカスター派に乗じられ,70年王位を追われたが,翌年復位した。王権強化のために財政や行政を改革,ヨーロッパ列強と結んだ通商条約によって,海外貿易の発展にも貢献した。
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エドワード4世
生年月日:1442年4月28日
イングランド王(在位1461〜83)
1483年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のエドワード4世の言及
【ばら戦争】より
…これ以後,封建家臣団を擁して戦闘の機会をうかがっていた貴族がしだいにランカスター,ヨークの両派に系列化されて,断続的に戦闘が繰り広げられた。60年ウェークフィールドの戦でリチャードは戦死し,いったんはランカスター派の勝利にみえたが,リチャードの志を継いだ長男のエドワードは翌年タウトンでランカスター派を破り,[ヨーク朝]のエドワード4世として即位,ヘンリー6世は国外に逃れた。ところがエドワード4世の擁立に功績のあったウォリック伯が反乱を起こし,70年再びヘンリー6世を王位につけた。…
【リチャード[3世]】より
…ヨーク公リチャードの三男。1460年父が戦死したのち兄を助け,61年兄エドワード4世の即位後グロスター公に叙される。70年ヨーク朝の最大の支柱で国王擁立者であったウォリック伯が離反し,ランカスター朝のヘンリー6世が王位に復した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」