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エルスラー エルスラーElssler, Fanny

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エルスラー
Elssler, Fanny

[生]1810.6.23. ウィーン
[没]1884.11.27. ウィーン
ロマンチック・バレエ時代を代表するオーストリアのバレリーナ。 F.J.ハイドンの写譜係であった父の援助でバレエを学ぶ。 1822年ウィーン宮廷劇場でデビュー,たちまち名声を得た。同時代の M.タリオーニが軽快で天上的であるのに反し,人間的,地上的な魅力にあふれていたといわれている。タリオーニに対抗して,34年パリで J.コラリの『嵐』に出演,人気を二分した。そののち『ジプシー』などに出演し,民俗舞踊バレエ組入れるなど画期的な業績を残し,51年 J.ペローの『ファウスト』を最後に引退した。

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百科事典マイペディアの解説

エルスラー

オーストリアの女性舞踊家。父は,作曲家J.ハイドンの写譜生兼執事。幼時よりバレエを習い,9歳でウィーン宮廷劇場座員となる。1834年パリのオペラ座デビュー。官能美にあふれた奔放な踊りでマリータリオーニと人気を二分した。

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世界大百科事典 第2版の解説

エルスラー【Franziska(Fanny) Elssler】

1810‐84
オーストリアの女流舞踊家。父はJ.ハイドンの写譜生兼執事。幼時よりバレエを習い,9歳でウィーン宮廷劇場の座員となる。その後国外へ出,1834年パリのオペラ座シェークスピアの戯曲によるバレエ《テンペスト》でデビュー,一躍名をあげる肉感的な激しい踊りに優れ,民族色の強い役柄を得意とした。36年には《びっこの悪魔》の中のスペイン舞踊カチューチャで大成功を収め,39年の《ラ・ジプシー》と《タランチュラ》も当り役となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エルスラー
えるすらー
Franziska Elssler
(1810―1884)

ロマンチック・バレエ時代を代表するオーストリアのバレリーナ。通称ファニィFanny。ウィーン生まれ。生き生きとしてしかも官能的な魅力をもち、15歳のときナポリ公演で一躍有名になり、その後世界各国で活躍した。『ラ・フィユ・マル・ガルディ』などを当り役としたが、1836年パリ・オペラ座で、コラルリ振付けの『びっこの悪魔』のなかのスペイン舞踊カチューチャを踊り、大成功をおさめた。白いモスリンを着て踊る天上的なタリオーニに比較され、地上的な美しさをもつダンサーといわれた。ほかに『ジプシー』『タランチュラ』『エスメラルダ』などの代表作がある。[市川 雅]

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世界大百科事典内のエルスラーの言及

【バレエ】より

…しかし,主題に外国が選ばれ,異国情緒をねらったものもある。タリオーニと覇を競った舞姫はF.エルスラーで,前者が清純なおとめの役柄を得意としたのに反して,彼女は自由奔放な肉感的な踊りによって人気があった。さらに,最古のバレエの一つとして今日まで伝承される《ジゼル》(1841)を踊ったC.グリジがおり,これら三大舞姫がせり合って,19世紀前半はバレエの輝かしい全盛時代であった。…

※「エルスラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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