タリオーニ

百科事典マイペディア 「タリオーニ」の意味・わかりやすい解説

タリオーニ

タリョーニともいう。イタリアの女性舞踊家。ストックホルム生れ,母親はスウェーデン人。イタリア人の父親フィリッポ〔1777-1871〕は名振付家として知られる。1832年パリのオペラ座で,ロマンティック・バレエ名作ラ・シルフィード》を踊って大成功を収める。このときの衣装のチュチュポアント技法はのちのバレエ定義ともなるほどの決定的な影響を与えたといわれる。ヨーロッパ各地,ペテルブルグなどで踊ったのち,1848年に引退以後後進の指導に当たった。タリオーニの再来ともいわれたエマ・リブリー〔1842-1863〕のために振り付けた《パピヨン(蝶々)》(1860年)が唯一の作品として残されている。→エルスラーグリジ
→関連項目ペロー

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改訂新版 世界大百科事典 「タリオーニ」の意味・わかりやすい解説

タリオーニ
Maria Taglioni
生没年:1804-84

イタリアの女流舞踊家。父のフィリッポFilippo Taglioniも名振付師として知られる。幼少より父の教育を受け,その長い腕と,か細い肉体を生かした踊りにみがきをかけた。1822年ウィーンでデビューし,31年パリ・オペラ座でマイヤーベーア歌劇《悪魔のロベール初演のバレエ場面の〈尼僧亡霊〉を踊り,ロマンティック・バレエの到来を告げた。翌年《ラ・シルフィード(空気の精)》の主役を踊って大成功をおさめる。このような幻想の世界の妖精の役を得意とし,〈風のごとく軽い舞姫〉といわれた。この時代のバレエの〈制服〉となった白の釣鐘型のスカート(チュチュ)をつけた彼女の姿は純潔の象徴と見なされ,そのため女性の魅力を強調するような役はほとんど踊っていない。48年引退するが,60年パリ・オペラ座にもどり《蝶々》を振付したほか,舞踊の教授法,試験方法の確立などに貢献した。晩年には普仏戦争で財産を失い,ロンドンへ渡り舞踊教師として生計をたてていたが,80年マルセイユに移りそこで死んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タリオーニ」の意味・わかりやすい解説

タリオーニ
Taglioni, Maria

[生]1804.4.23. ストックホルム
[没]1884.4.24. マルセイユ
ロマンチック・バレエ時代を代表するイタリアのバレリーナ。バレエ一家に生れ,父 F.タリオーニからスパルタ教育を受けた。 1822年『テルプシコール宮殿での若きニンフの饗宴』でデビュー。 32年パリ・オペラ座で,父の振付によるロマンチック・バレエの最初の作品『ラ・シルフィード』の初演で踊り,名声を確立。以後,同時代の F.エルスラーと人気を二分し,ヨーロッパ各地を巡演した。容姿に恵まれず性的魅力に欠けるところから「婦人好みのバレリーナ」といわれたが,超人的な軽やかなステップは天上的と評された。また,今日一般的なスカート状のチュチュを着た最初のバレリーナともいわれ,ポアント (爪先で立つこと) の技法を確立したともいわれる。有名な出演作品には,そのほか『ダニューブの乙女』『パ・ド・カトル』『ジプシー』などがあり,唯一の振付作品に『蝶』 (1860) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タリオーニ」の意味・わかりやすい解説

タリオーニ
たりおーに
Marie Taglioni
(1804―1884)

ロマンチック・バレエを代表するイタリアのバレリーナ。ストックホルムに生まれる。舞踊家の父フィリッポFilippo Taglioni(1777―1871)に教えを受け、18歳でウィーンにデビュー。以来ドイツ、イタリア、フランスで踊り、天性の手の長さを生かした流れるようなスタイルで観客を魅了した。1832年パリ・オペラ座で父親振付けの『ラ・シルフィード』の主役を初演したが、完璧(かんぺき)な精神性と詩的変容を体現したものと絶賛された。白いロマンチック・チュチュ(釣鐘(つりがね)型スカート)を着けたタリオーニは、民俗舞踊を得意にした地上的な舞姫エルスラーと比較され、天上的舞姫といわれた。その後ロシアでも踊り、47年ロンドンで『パリの審判』を踊り引退した。

[市川 雅]

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367日誕生日大事典 「タリオーニ」の解説

タリオーニ

生年月日:1804年4月23日
ロマンチック・バレエ期を代表するバレリーナ
1884年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のタリオーニの言及

【バレエ】より

…彼は舞踊の理論,技法の書を数多く書いているが,ミラノのスカラ座の付属舞踊学校の校長として,今日なお,世界各国のアカデミーの模範となる,合理的な教育方法を制定した。ブラシスと同時代,すなわち19世紀初頭を飾る最も大きな名前はM.タリオーニである。彼女の踊った《ラ・シルフィード》(1832)は,いわゆるロマンティック・バレエの成功を決定的にしたものであるが,同時にこのバレエで初めて用いられた特殊なスカートは,今日バレエの制服と考えられているチュチュである。…

【ペロー】より

…舞姫偏重のロマンティック・バレエの時代にあって批評家,観客の双方から賞賛された数少ない男性舞踊家の一人である。オペラ座時代にはロマンティック・バレエの女王タリオーニの相手役を務めたが,彼の人気が災いしてタリオーニの不興を買い,退団に追い込まれたとの説もある。振付師として《ジゼル》(1841),《オンディーヌ》(1843),《ラ・エスメラルダ》(1844)などの名作を数多く残した。…

※「タリオーニ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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