オラニエ=ナッサウ家(読み)オラニエナッサウけ(英語表記)Oranje‐Nassau

世界大百科事典 第2版の解説

オラニエナッサウけ【オラニエ=ナッサウ家 Oranje‐Nassau】

オランダ(ネーデルラント王国)の王室。ナッサウ伯家はドイツのライン川中流ディレンブルクDillenburg領主で,その起源は12世紀以前にさかのぼる。14~15世紀,つぎつぎにネーデルラント地方の領土を得,ブレダに居城を構え,ブルゴーニュ侯に仕えてこの地方随一の名門貴族となった。16世紀前半,ナッサウ家の長男ヘンドリック(ハインリヒ)3世はネーデルラントを含むライン左岸の領地を相続し,ハプスブルク家に仕え,結婚により南仏オランジュOrange(オラニエ)公領を手に入れた。

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世界大百科事典内のオラニエ=ナッサウ家の言及

【オランダ】より

…13年ナポレオンがライプチヒで大敗するとオランダ人は駐留フランス軍を追放し,イギリス亡命中のウィレム6世を主権者として迎えた。ナポレオン戦争後,イギリス,プロイセンはフランスの膨張を阻止するためオランダの強化を策し,パリ条約でベルギー,リエージュをオラニエ=ナッサウ家の統治下に編入することに決めた。15年ウィレムは憲法を制定し,ブリュッセルで即位してウィレム1世と称し,ここにネーデルラント王国Koninkrijk der Nederlandenが成立した。…

【オランダ共和国】より

…18世紀に入ると,イギリス,フランスの経済力と国力の発展はめざましく,これに反してアムステルダムはなおヨーロッパの金融・資本市場として大きな存在だったとはいえ,オランダは全体として貿易も工業も停滞した。1702年ウィリアム3世が後継者なく没すると,ナッサウ家の一支脈がオラニエ家を継ぎオラニエ=ナッサウ家となったが,総督職は置かれず,第2回無総督時代(1702‐47)が始まり,門閥市民による寡頭貴族制が続いた。 1747年,オーストリア継承戦争に際し,フランス軍がオランダに侵入すると,オランダの現状に不満を抱く中下層市民は,民衆運動を展開して〈民主派Democraten〉と呼ばれた。…

※「オラニエ=ナッサウ家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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