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ネーデルラント ネーデルラント Nederland

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デジタル大辞泉の解説

ネーデルラント(Nederland)

《低地の意》
オランダの、本国での呼称。
ライン川・マース川シェルデ(スケルト)川の下流域の低地帯。オランダベルギーおよびフランス北東部を含む地域。

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百科事典マイペディアの解説

ネーデルラント

オランダ

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世界大百科事典 第2版の解説

ネーデルラント【Nederlanden】

今日のオランダ,ベルギー,ルクセンブルク3国(ベネルクス)および北フランスの一部を含む地域全体を指す呼称。〈低地諸邦〉を意味し,一帯に海面下の土地や低湿地が多いためこう呼ばれた。Nederlandenはオランダ語であるが,他のヨーロッパ各国語(英語Netherlands,ドイツ語Niederlande,フランス語Pays‐Basなど)も同じ意味をもつ。この地方は,16世紀にハプスブルク家カール5世の下で一応統一されたが,オランダの独立によって南北に分裂し(オランダ共和国ないし北ネーデルラントと,スペイン領のちオーストリア領ネーデルラントないし南ネーデルラント),その一部をフランスに併合された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ネーデルラント
ネーデルラント

オランダ」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ネーデルラント
ねーでるらんと
Nederland

(1)ヨーロッパ北西部の、北海に面する地方の名称、低地地方、(2)オランダ(王国)の正式国名の略称。(1)(2)とも正式にはネーデルランデンNederlandenと複数形を使い、低い地方(低地諸邦)の意。オランダ語では俗にLage Landenともいい、これも複数形で同じ意味。フランス語のPays-Bas、英語のNetherlands(Low Countries)、ドイツ語のNiederlandeはいずれも複数形で同じ意味。
 (1)はライン川、マース(ミューズ)川、スヘルデ(シェルト)川の河口に広がる平坦(へいたん)なデルタ地帯で、湿地や湖が多く、海抜ゼロ・メートル以下の所もあることから、こうよばれる。そのため沿岸部では、いまでも水位調節のため排水が人為的になされており、これが国・地方自治体の重要な任務になっている。また長期にわたる干拓事業によって新しい土地をつくってきた歴史がある。現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、フランス北部のノール県、パ・ド・カレー県がこの地方にあたる。
 中世後期この地方はいくつかの伯領、侯領に分かれていたが、1384年ブルゴーニュ公国が進出してきて、華やかな騎士道文化の花を咲かせ、本来のブルゴーニュ地方と区別して「低地地方」という呼称が定着した。1477年ハプスブルク家がここを相続し、16世紀前半カール5世の時代に低地地方のほぼ全域がハプスブルク家の支配下に入り、1555年以降はスペイン・ハプスブルク家の支配に移って、「ネーデルラント17州」と公文書にも記されるようになった。1568年に反スペインの反乱が始まり、16世紀末にほぼ現在のオランダに相当する地域が「ネーデルラント連邦共和国」として独立した。
 1814年フランス領を除くこの地方は「ネーデルラント王国」として独立したが、1830年にベルギーがここから分離独立すると、ネーデルラントという語は、(2)の意味のオランダの正式国名としても使われるようになった。紙幣や切手には単数形が使われている。なお現在、北ネーデルラントといえばオランダを、南ネーデルラントといえばベルギーをさすことが多い。ベルギーのほぼ真ん中を東西に言語境界線が走っており、その北側ではオランダ語が、南側ではフランス語が話されている。ベルギーではこれがしばしば言語紛争として大きな問題になった。
 この地方には都市が多く生まれたが、これは中世後期に南西部のフランドル地方を中心に毛織物工業や遠隔地貿易が大きく発展し、西欧の経済的最先進地帯の一つになったためである。17世紀にはアムステルダムをはじめとするオランダの諸都市が貿易・海運業で世界経済をリードし、鎖国時代の日本も西欧では唯一このオランダとだけは接触を続けていた。この地方はまた絵画、音楽などの芸術文化の発展にも貢献してきた。絵画ではネーデルラント派(中世後期のフランドル派、17世紀のオランダ派)、音楽でもネーデルラント楽派としてよく知られている。[佐藤弘幸]
『栗原福也著『ベネルクス現代史』(1982・山川出版社) ▽フロマンタン著、高橋裕子訳『オランダ・ベルギー絵画紀行――昔日の巨匠たち』(1992・岩波書店) ▽小川秀樹著『ベルギー ヨーロッパが見える国』(1994・新潮社) ▽栗原福也監修『読んで旅する世界の歴史と文化 オランダ・ベルギー』(1995・新潮社) ▽川口博著『身分制国家とネーデルランドの反乱』(1995・彩流社) ▽アルブレヒト・デューラー著、前川誠郎訳『アルブレヒト・デューラー ネーデルラント旅日記1520~1521』(1996・朝日新聞社) ▽香山寿夫監修、石田寿一著『帯状発展する建築・都市・ランドスケープ』(1998・丸善)』

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世界大百科事典内のネーデルラントの言及

【オランダ】より

…正式名称=ネーデルラント王国Koninkrijk der Nederlanden,Kingdom of the Netherlands面積=4万0844km2人口(1995)=1545万人首都=アムステルダムAmsterdam(日本との時差=-8時間)主要言語=オランダ語通貨=グルデンGulden(英語でギルダーGuilder)ヨーロッパの北西部にある立憲君主国。日本の九州にほぼ等しい面積の小国で,人口密度は世界屈指の高さである。…

【ベネルクス】より

…ベルギー,オランダ(ネーデルラント王国),ルクセンブルク3国の呼称で,3国の頭文字を組み合わせたもの。第2次大戦末期の1944年9月5日,亡命中の3国政府によりロンドンで締結され,48年発効した〈ベネルクス関税同盟〉に由来する。…

【ベルギー】より

…現在9州よりなる。国名は,ローマの征服以前この地方に住んでいたケルト系住民ベルガエ族Belgaeに由来し,中世・近世を通じて,この名はネーデルラント全体を表すラテン語名として用いられてきたが,18世紀末のブラバント革命以来,現在のベルギーの地域を指すようになった。国旗(黒黄赤の縦割の三色旗)は,同じくこの時初めて制定されたもの。…

※「ネーデルラント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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