精選版 日本国語大辞典 「オルブリヒ」の意味・読み・例文・類語 オルブリヒ ( Josef Maria Olbrich ヨゼフ=マリア━ ) オーストリアの建築家。一八九七年、ホフマンらとゼツェシオン(分離派)運動を起こす。代表作、ダルムシュタットの成婚記念塔。(一八六七‐一九〇八) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「オルブリヒ」の意味・わかりやすい解説 オルブリヒJoseph Maria Olbrich生没年:1867-1908 オーストリアの建築家。トロッパウ(現,オパバ)生れ。O.ワーグナーの弟子。J.ホフマンと共にウィーン・ゼツェッシオン(分離派)を結成,同派のためにゼツェッシオン館(1897)を設計した。1899年ヘッセン大公に招かれダルムシュタット芸術家村の建設に参加,その全体計画,展覧会場,大公結婚記念塔,自邸を含む芸術家の住宅群を設計(1901-08)。大公を除くドイツ人の無理解に悩まされ,デュッセルドルフのティーツ百貨店(1908)を遺作に早世した。執筆者:山口 廣 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルブリヒ」の意味・わかりやすい解説 オルブリヒOlbrich, Joseph (Maria) [生]1867.11.22. トロッパウ[没]1908.8.8. ジュッセルドルフオーストリアの近代建築家,デザイナー。 O.ワーグナーの弟子。 1897年に結成されたウィーン・ゼツェッシオン運動の指導者の一人。 1900年のウィーン・ゼツェッシオン展覧会のためにゼツェッシオン館 (1898~99) を設計。 1899年,ヘッセン大公ルートウィヒに招かれ,その首都ダルムシュタットの芸術家村を計画,エルンスト・ルードビヒ・ハウス (1901) ,展示館 (01~08) ,ヘッセン大公成婚記念塔 (01~08) などを造り,1908年ジュッセルドルフに移り,ティーツ百貨店 (現カウフホーフ百貨店,06) を建てたのが最後の作品である。自邸ファインハルス (08~09) は,ドーリス式オーダーを用いた古典様式によるものであった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
百科事典マイペディア 「オルブリヒ」の意味・わかりやすい解説 オルブリヒ オーストリアの建築家,工業デザイナー。ウィーン美術学校卒業後,師のO.ワーグナーに協力。ゼツェッシオンの創立に参加,ゼツェッシオン館を手がけた。1899年ヘッセン大公に招かれ,ダルムシュタットに芸術家村を計画,大公結婚記念塔,住宅,アトリエ等を設計。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by