日本大百科全書(ニッポニカ) 「オーラフ」の意味・わかりやすい解説
オーラフ(2世)
おーらふ
Olaf Ⅱ Haraldsson
(995―1030)
ノルウェー王(在位1015~1028)。聖人。ハラルド美髪(びはつ)王(ハラルド1世Harald Ⅰ。?―931?、在位885?~931?)の玄孫(やしゃご)。若くしてバルト海、デンマーク沿岸、低地地方を略奪した。デンマーク人首長のもとでイングランドへ向かい(1009~1013)、エセルレッド無分別王(エセルレッド2世Ethelred Ⅱ。968?―1016、在位978~1016)に随行してルアンRouenで受洗(1013~1014)。ノルウェーに戻り、スベイン・ヤールSvein JarlらをネシャルNesjarで破り、ニダロスで全国王となる。在位中に内陸地方のキリスト教化、教会の組織化を力で推進し、全国各地に役人を配置して単一王権の権威を確立。スウェーデン王と同盟してデンマークを攻撃した(1027)が、逆にデンマーク・イングランド王クヌードに反撃され、キエフ大公国のヤロスラフ賢公のもとに逃亡(1028)した。のちにノルウェー奪還を試みるが、スティクルスタードStiklestadで、ノルウェー北部豪族連合と戦い、敗死する。このときに生じた日食などが奇跡とされ、その死後、北欧はもとより、イングランド、ドイツ、バルト諸国で広く崇拝された。
[荒川明久 2022年6月22日]
オーラフ(1世)
おーらふ
Olaf Ⅰ, Tryggvason
(960ころ―1000)
ノルウェー王(在位995~1000)。ハラルド美髪(びはつ)王(ハラルド1世Harald Ⅰ。?―931?、在位885?~931?)の曽孫(そうそん)。キエフ大公聖ウラジーミルのもとで幼少期を過ごし、若きビーキング(バイキング)の首長としてバルト海、フリースラント、イングランド、スコットランドを略奪した。イングランドでは二度、デーン税Danegeldを要求し、エセルレッド無分別王(エセルレッド2世Ethelred Ⅱ。968?―1016、在位978~1016)との最初の締結文(991)が現存する。二度目の要求は、デンマーク王スベン双髥(そうぜん)王とともにロンドン攻撃をしたときになされた(994)。イングランドで受洗し(995)、ノルウェーのエーレ民会で王位につき、異教色の濃いトレンデラーグTrøndelag、ホロガランドHålogaland地方やアイスランド、フェロー諸島を力でキリスト教化した。商業地ニダロスNidaros(今日のトロンヘイム)を建設し、教会を建立した。スボルズSvlð(場所不明)の海戦で、スベン双髥王とスウェーデンのオーロフ課税王Olof Skötkonungらに敗れ、当時最大規模を誇った軍船「大蛇」号から海に身を投じて没した。
[荒川明久 2022年6月22日]