カスラビー(英語表記)Kasravī, Aḥmad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「カスラビー」の解説

カスラビー
Kasravī, Aḥmad

[生]1890
[]1946. テヘラン
イランの思想家。レザー・シャーの時代から第2次世界大戦期にかけて活躍した。イランの皮相的なヨーロッパ化や宗教,社会の保守主義ヒューマニズム民主主義の立場から批判。イランの民族主義の方向を模索したが,倫理主義に陥り,「イスラムの敵」として 1945年3月,フィダーイヤーネ・イスラームにねらわれたが逃れ,46年テヘランの司法省内部で再び襲われて死亡。著書に『イラン立憲革命』『アゼルバイジャン 18年史』などがある。

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20世紀西洋人名事典「カスラビー」の解説

カスラビー
Kasravī


1890 - 1946
イランの思想家,弁護士。
タブリーズ生まれ。
青年期にイラン立憲革命を体験し、レザーシャーの体制で各地の地方裁判所長を歴任したが、1928年に法務大臣と対立して弁護士となった。’33年以降にイラン文化の腐敗停滞を著作活動で批判、知識人の西欧文化崇拝やシーア派ウラマーの蒙味などを攻撃、独自のイスラム改革を提案したために反対派テロに襲われた。立憲革命史に関する著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典 第2版「カスラビー」の解説

カスラビー【Kasravī】

1890‐1946
20世紀イランの思想家。独裁反対・立憲主義擁護の立場に立つ。タブリーズに生まれ,青年期にイラン立憲革命を同市で体験した。レザー・シャーの体制のもとで各地の地方裁判所長を歴任したが,1928年法務大臣と対立して野に下り,弁護士となった。33年以降イラン文化の腐敗・停滞を人間主義・合理主義の立場から批判する著作活動を開始,知識人の西欧文化崇拝,文部省のペルシア古典文学振興政策の誤り,シーア派ウラマーの蒙昧を攻撃し,独自のイスラム改革を提案したため,これに反発するテロに襲われた。

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