改訂新版 世界大百科事典 「ガンガ朝」の意味・わかりやすい解説
ガンガ朝 (ガンガちょう)
Gaṅga
インドの王朝。マイソール地方を数世紀にわたって支配した王朝は西ガンガ朝と呼ばれ,この地方の開拓,灌漑,バラモン文化の移植と寺院建築に寄与した。その起源は不明であるが,東のタミル・ナードゥのバッラバ朝に従属して,5世紀ごろに有力となったが,次いでデカンのチャールキヤ朝とラーシュトラクータ朝に従属した。10世紀ブートゥガ2世のとき最も栄え,一時勢力はカルナータカ南部をこえてひろがり,都タラカードには石造寺院が建立された。だがそのあとチョーラ朝の侵入を受け,1004年に都が占領されて滅びた。アーンドラのガンジャム地区に6世紀中ごろ興起した王朝は東ガンガ朝と呼ばれ,西ガンガ朝と関係があると考えられている。この王朝はアーンドラ北東部からオリッサにわたる海岸地帯を約400年間支配して,900年ごろ滅びた。その間に作成された多くの村落・土地施与文書が発見されているが,その歴史はよくわからない。その後この地方は東チャールキヤ朝とチョーラ朝によって征略されたが,11世紀初め再びガンガ朝が現れた。これを後期ガンガ朝(大ガンガ朝)という。この王朝はベンガルとタミル・ナードゥの強大な王朝に南北から攻撃を受け,13世紀初めからはベンガルを征服したイスラム教徒から数度の侵略を受けたが,苦戦の末に撃退し,さらにベンガルに進撃したこともあった。14世紀後半には南のビジャヤナガル王国が侵入し,4世紀にわたって奮戦した王朝も衰え,1434年,大臣に倒された。オリッサの代表的建築として知られるプリーのジャガンナート寺院とコナーラクのスーリヤ寺院とはこの王朝が建立したもの。
執筆者:山崎 利男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報