ギボン(その他表記)Edward Gibbon

デジタル大辞泉 「ギボン」の意味・読み・例文・類語

ギボン(Edward Gibbon)

[1737~1794]英国歴史家ローマ史研究、「ローマ帝国衰亡史」を著した。他に「自叙伝」など。

ギボン(gibbon)

手長猿てながざる

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精選版 日本国語大辞典 「ギボン」の意味・読み・例文・類語

ギボン

  1. ( Edward Gibbon エドワード━ ) イギリスの歴史家。一七六三~六五年にヨーロッパ各地を遊歴し、その間ローマ史の著述、構想をまとめた。「ローマ帝国衰亡史」六巻は、トラヤヌス帝治下から東ローマ帝国滅亡までの一三〇〇余年を論述した古典的名著。他に「自叙伝」。(一七三七‐九四

ギボン

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] gibbon ) =てながざる(手長猿)

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改訂新版 世界大百科事典 「ギボン」の意味・わかりやすい解説

ギボン
Edward Gibbon
生没年:1737-94

イギリスの歴史家。サリー州パトニーに生まれる。幼少年時代病弱で通学も満足にできず,読書にふける。1752年16歳になると健康も回復し,オックスフォード大学に入ったが,ローマ・カトリックに転向したため,郷紳で下院議員の父の不興をうけ,翌年スイスローザンヌのカルバン派牧師のもとに預けられ,5年間信仰と勉学の指導をうけたが,それが学識を習得する基礎となった。クラッシールの牧師の娘スザンヌ・クルショーとの恋愛は父の反対で阻まれ,一生独身で終わった。58年帰国,ハンプシャーバリトンの実家での読書生活,2年間の軍隊生活の後,63年ふたたびヨーロッパ大陸に渡り,パリでディドロ,ダランベールなどと知り合い,翌64年10月15日,ローマのカピトルの廃墟で裸足の托鉢僧たちの夕べの祈りを耳にしたとき,この市の衰亡を記そうという霊感をうけた。それがローマ市の衰亡ではなく,マルクス・アウレリウス帝の死(180)からオスマン・トルコによるコンスタンティノープルの陥落(1453)に至る1300年に近い長大雄渾な《ローマ帝国衰亡史》6巻(1776-88)にまで発展したのは,彼が青少年時に身につけた古典的教養と東方ビザンティン,イスラム,トルコ世界への関心と知見による。76年,第1巻刊行。その優れた史的考察と格調高い文章によって,彼は一躍史家としての名声をかちえ,81年第2,3巻を出版した。彼が五賢帝時代を人類史上最善の時代と評価したのは有名であるが,決して無批判であったのではなく,華やかな文明の陰に衰亡の素因の胚胎するのを見逃していない。またローマ帝国衰亡の原因を〈野蛮と宗教の勝利〉すなわちゲルマン人キリスト教に帰しているのも啓蒙思想の偏見を免れないが,キリスト教が蛮族の心をやわらげ,帝国の崩壊が急激・凶暴に陥ることを防いだことは認めている。74年彼は下院議員としてリスカードから選出されたが,83年政界を引退して第2の故郷であるローザンヌに移り住み,著述に専念した。こうして《衰亡史》を87年6月に書きあげ,原稿をもってロンドンに帰った。翌年4月27日,彼の51歳の誕生日に最後の3巻(第4~6巻)が公刊され,不朽の名著が完成した。他の著作としては青年時代の《文学研究論》(フランス語,1761),《自叙伝》2巻(1827)などがある。
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ギボン
gibbon

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギボン」の意味・わかりやすい解説

ギボン(Edward Gibbon)
ぎぼん
Edward Gibbon
(1737―1794)

イギリスの歴史家。サリー県パトニー(現、大ロンドン県)に生まれる。幼少年時代は病弱で小学校にも十分通学できず、おもに読書にふけった。16歳になると健康を回復したので、オックスフォード大学のモードリン・カレッジに入学したが、大学教育になじめず、しかもこの期間にカトリックへ転向したので父の不興を被り、スイスのローザンヌのカルバン派牧師のもとに預けられた。そこで信仰と勉学の指導を受け、これが彼の知的形成の基礎となった。1757年クラッシールの牧師の娘と恋愛に陥ったが、父の反対で結婚できず、一生独身で終わった。1758年帰国し、ハンプシャーの父の田園の住宅で読書生活を送った。1761年フランス文で『文学研究論』を出版、1763年1月大陸旅行に出発、フランス、スイス、イタリアを回り、1765年帰国したときにはすでに大著『ローマ帝国衰亡史』The History of the Decline and Fall of the Roman Empireの構想がなっていた。同著は1776年2月に刊行され、彼は一躍、大歴史家としての名声を獲得、ついで1781年、第2、第3巻が出版された。他方、彼は1774年より下院議員に選出されていたが、1783年にはこれを辞してロンドンよりローザンヌに移り、著述に専念、1788年4月に『ローマ帝国衰亡史』の最後の3巻が公刊され、全6巻の大著を完成した。総合的な歴史把握を生彩に富む筆にのせた不朽の名著は、同時に帝国の衰亡の原因を「野蛮と宗教の勝利」に帰した啓蒙(けいもう)思想的見解を表明している。1794年1月16日死去。晩年の著作『自叙伝』は死後に出版された。

[秀村欣二]


ギボン(テナガザル)
ぎぼん
gibbon

哺乳(ほにゅう)綱霊長目ショウジョウ科テナガザル属に含まれる動物の総称。ギボンはテナガザルの英名。この属Hylobatesは小形類人猿lesser apesともよばれ、オランウータンとともにアジアの類人猿Asian apesを構成する。インドシナ半島から東南アジアの島々に分布する。

[伊谷純一郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ギボン」の意味・わかりやすい解説

ギボン
Gibbon, Edward

[生]1737.5.8. サリー,パトニー
[没]1794.1.16. ロンドン
イギリスの歴史家。オックスフォード大学に学び,一時カトリックに改宗,スイスのローザンヌで暮した。 1763年パリに旅行し,ディドロ,ダランベールらと知合う。 64年イタリア旅行中ローマのカピトルの遺跡を見てローマ史執筆の構想を得た。全6巻の大著『ローマ帝国衰亡史』 The History of the Decline and Fall of the Roman Empire (1776~88) は,2世紀から 1453年のコンスタンチノープル陥落までを格調高い文章で通観した代表的歴史書として知られる。自伝『わが生涯と著作の思い出』 Memoirs of My Life and Writings (96) も有名。

ギボン

「テナガザル」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「ギボン」の意味・わかりやすい解説

ギボン

英国の啓蒙主義時代の歴史家。病弱で幼少より読書に親しみ,古典的教養を身につける。オックスフォード大学に入学,カトリックに改宗。1774年―1783年下院議員。主著《ローマ帝国衰亡史》全6巻(1776年―1788年)で,五賢帝の時代から東ローマ帝国の滅亡までを壮大に描いた。ローマ衰亡の要因をゲルマン人とキリスト教の勝利ととらえ,史実に忠実でかつ鋭い考察と洗練された文章で,不朽の名著となった。
→関連項目中野好夫

ギボン

テナガザル

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ギボン」の解説

ギボン
Edward Gibbon

1737~94

イギリスの歴史家。オクスフォード大学に失望し,ヨーロッパ大陸を旅行。一時下院議員を務めたが,ローザンヌで著作に没頭。主著『ローマ帝国衰亡史』(1776~88年)は,トラヤヌス帝から東ローマ帝国の滅亡までを扱い,詳細な記述と秀れた文体によって古典的名著と評価されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ギボン」の解説

ギボン
Edward Gibbon

1737〜94
イギリスの歴史家
五賢帝時代からコンスタンティノープルの陥落までを扱った『ローマ帝国衰亡史』6巻(1776〜88)を著した。彼はその中でローマ衰退の原因を,ゲルマンとキリスト教に帰している。ほかに『自叙伝』がある。

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世界大百科事典(旧版)内のギボンの言及

【テナガザル(手長猿)】より

…霊長目ショウジョウ科テナガザル亜科Hylobatinaeに属する類人猿の総称。ギボンともいう。東南アジア一帯に広く分布しており,おもに毛色の違いに基づいてシロテテナガザルHylobates lar(イラスト),フーロックテナガザルH.hooloch,クロテナガザルH.concolorなど1属8種に分けられるが,フクロテナガザル(イラスト)だけは別属に分類されることもある。…

【ビザンティン帝国】より

…その誕生は,H.ウォルフをはじめとする16世紀のルネサンス人文主義者たちにさかのぼるが,研究対象が同じギリシア語文献だった関係もあって,ビザンティン学はいまだ古典文献学とは別の専門領域を形づくらなかった。 続いて,すべてを理性の光に照らして見る18世紀の啓蒙主義者ボルテール,モンテスキュー,なかんずくギボンによって,ビザンティン帝国は,近代ヨーロッパの生活理想を先取り的に実現したと彼らが考える古代ギリシア・ローマとは対照的な,野蛮と宗教が勝利を収めたその堕落形態という評価を与えられた。今日なお,煩瑣(はんさ)な(儀式),狡猾(こうかつ)な(外交),阿(おもね)った(美辞麗句),枝葉末節の(論議),そして旧套(きゆうとう)墨守の(態度)等々の意味で用いられる〈ビザンティン式〉という形容詞は,そこに発している(それらはいずれも,この歴史的一国家の特性として,事実,否定しえない)。…

【ローマ没落史観】より

…ボルテールはモンテスキューにも認められる反キリスト教立場をさらに強め,キリスト教公認に没落の原因をみた。これら啓蒙思想の影響の下で,ギボンは大著《ローマ帝国衰亡史》を著し,至福の五賢帝時代における野蛮と宗教の支配に帝国没落の責任を帰し,かつ文明の進歩と理性への信仰を吐露した。
[現代]
 19世紀以後の歴史学の発達は,さまざまな没落原因論を生み出した。…

※「ギボン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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