クッシング(読み)くっしんぐ(その他表記)Harvey Williams Cushing

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クッシング」の意味・わかりやすい解説

クッシング
くっしんぐ
Harvey Williams Cushing
(1869―1939)

アメリカの外科医。とくに脳神経外科開拓者として知られている。オハイオ州クリーブランドの生まれ。家は4代続いた医師の家系。1891年にエール大学、1895年にハーバード大学医学部をそれぞれ卒業、ボルティモアのジョンズ・ホプキンズ病院で4年間研修したのちヨーロッパに渡り、ベルンで外科のコッハーロンドンで生理学のシェリントンに師事した。帰国してふたたびジョンズ・ホプキンズ病院の外科に勤務、1912~1932年はハーバード大学の外科教授とピーター・ベント・ブリガム病院外科部長を兼務した。助教授時代から脳神経外科を専門に選び、多くの手術法をくふうした。また、クッシング症候群の発見でも知られる。局所麻酔法の開発にも貢献するところが大きい。文才もあり『ウィリアム・オスラー卿(きょう)の生涯』(1925)は伝記部門でピュリッツァー賞を受けている。

中川米造 2018年7月20日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クッシング」の意味・わかりやすい解説

クッシング
Cushing, Harvey

[生]1869.4.8. オハイオ,クリーブランド
[没]1939.10.7. コネティカット,ニューヘーブン
アメリカの外科医。脳神経外科の開拓者。 1895年ハーバード大学卒業。ジョンズ・ホプキンズ大学で外科学を専攻,1912年,ハーバード大学外科教授,続いてエール大学教授を歴任した。脳腫瘍分類に業績を残し,32年クッシング潰瘍,クッシング症候群を発表。また,内科のオスラー教授の伝記"The life of Sir William Osler"を著わしてピュリッツァー賞を受けた。

クッシング
Cushing, Caleb

[生]1800.1.17. ソールズベリー
[没]1879.1.2. ニューベリーボート
アメリカの法律家政治家。 1852年マサチューセッツ州最高裁判所陪席判事となり,53年南部の主張を支持する北部人として民主党から大統領選挙候補に推された。しかし,61年南北戦争開始とともに A.リンカーンおよび連邦政府に忠実に協力し,73年 U.グラント大統領によって合衆国最高裁判所長官に任命された。

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