ボルティモア(読み)ぼるてぃもあ(英語表記)David Baltimore

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルティモア」の意味・わかりやすい解説

ボルティモア(アメリカ合衆国)
ぼるてぃもあ
Baltimore

アメリカ合衆国メリーランド州北部の港湾都市。チェサピーク湾に注ぐパタプスコ川河口に位置する。人口65万1154、大都市圏人口255万2994(2000)。同州最大の都市で、商・工業の中心地である。水運、鉄道、道路網の拠点で、近くには改修されたボルティモア・ワシントン国際空港もあり、デルマーバ半島の根元を横切ってチェサピーク・デラウェア運河がデラウェア湾に通じている。ボルティモア港は全米3位の貨物取扱量をもち、港湾関係の労働者数は約17万人に達する。18世紀前半に合衆国中西部と鉄道で結ばれてから港の機能が増大した。主要輸出品は石炭穀物、鉄鋼製品、銅、飼料などで、主要輸入品は鉄鉱石、石油、砂糖などである。近くのペンシルベニア炭田とウェスト・バージニア炭田の石炭を動力として古くから工業が発達し、現在でも製鉄、造船、金属、電気機器、航空機部品、石油化学、食品加工、衣類などの多様な製造業がある。スパローズ岬にあるベスレヘム・スチール会社の工場は全米で最大級の施設であり、原料の鉄鉱石をベネズエラから輸入している。

 17世紀初期に入植が始まったが、町の建設は1729年であった。タバコと小麦の輸出港として発展し、アメリカ独立戦争を契機に造船業が発達した。1797年に市となった。1825年エリー運河の完成によって、中西部とニューヨークが結ばれると、中西部に対するボルティモアの地位の低下を恐れたボルティモアの実業家はボルティモア・オハイオ鉄道会社を設立し、1830年には中西部市場と直結する鉄道が開通した。これによってボルティモアは大きく成長した。南北戦争中は感情的に南軍支持であったが、中立を守った。第一次・第二次世界大戦中には造船業の中心地としていっそう発展した。1904年の大火で市の中心部のほとんどを焼失したが、これを機会に市街地が再編成され、整然とした町並みがつくられた。現在でも市街地の改造計画が進められ、赤れんがの住宅街で有名である。

 ボルティモアは文化・教育の中心地でもあり、ジョンズ・ホプキンズ大学、ボルティモア大学、メリーランド大学の医・歯・薬・法・社会福祉学部、ピーボディ音楽院、メリーランド芸術大学、ウォルター美術館、ボルティモア美術館などがある。また、推理小説家ポーの住家があることでも知られる。

[菅野峰明]


ボルティモア(David Baltimore)
ぼるてぃもあ
David Baltimore
(1938― )

アメリカの分子生物学者。ニューヨークに生まれる。1960年スウォースモア大学を卒業後、マサチューセッツ工科大学MIT)、さらにロックフェラー大学で研究を続け、1964年理学博士号を取得した。その後ソーク研究所の研究員となり、1968年にMITの準教授、ついで1972年に教授となった。1982年ホワイトヘッド研究所所長となり、1990年から1992年までロックフェラー大学の学長を務めた。

 ソーク研究所においてダルベッコーの研究室でウイルスの研究に着手、MITに移ったあとも、その研究を続けた。1970年テミンとは独立に逆転写酵素を発見した。従来、遺伝情報は一方的にデオキシリボ核酸(DNA)からリボ核酸(RNA)に転写されると考えられていたが、この酵素は逆の流れもあることを示した。この発見はがん研究に、のちにエイズウイルス研究に重要な役割を果たした。1975年に「腫瘍(しゅよう)ウイルスと細胞の遺伝物質の相互作用に関する発見」により、ダルベッコー、テミンとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。

[編集部 2018年11月19日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルティモア」の意味・わかりやすい解説

ボルティモア
Baltimore

アメリカ合衆国,メリーランド州北部にある都市。フィラデルフィアの南西 145km,チェサピーク湾奥で,パタプスコ川河口に位置する。同州最大の都市で,商工業,文化,教育,交通の中心地。 1729年建設が始り,タバコを主とする輸出港として発展。フィラデルフィアがイギリス軍に占領されていた間の大陸会議の開催地で,1830年オハイオとの間に鉄道が開通し,それに伴い商業も発達し,主要な港市となった。首都ワシントン D.C.の外港の役割も果している。大西洋沿岸では最大の製鉄業を中心に金属精錬,機械,造船,化学,製油などの重工業が盛ん。ジョンズ・ホプキンズ大学をはじめ多くの大学があり,国際学会がたびたび開催され,出版も盛ん。ウェストミンスター教会には E.A.ポーの墓地がある。野球選手ベーブ・ルースの生地。人口 62万961(2010)。

ボルティモア
Baltimore, David

[生]1938.3.7. アメリカ,ニューヨーク
アメリカのウイルス学者。 1960年スウォースモア大学卒業後マサチューセッツ工科大学,ロックフェラー大学で医学を学び,64年博士号を取得。 65年カリフォルニアのソーク研究所準教授,72年マサチューセッツ工科大学教授。遺伝子としてリボ核酸 RNAをもつウイルスが RNAの遺伝情報を宿主細胞のデオキシリボ核酸 DNAに転写し,細胞を癌化させる機構を発見した。 1970年に小児の手足口病ウイルスの研究から,H.M.テミンとは独立に RNAを DNAに写す逆転写酵素を発見した。 75年,R.ダルベッコ,テミンとともにノーベル生理学・医学賞受賞。 90年からはロックフェラー大学学長。

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, Charles Calvert, 3rd Baron

[生]1637.8.27.
[没]1715.2.21. ロンドン
アメリカ植民地時代のイギリス人行政官。2代ボルティモア男爵の子。 1661年父の建設したメリーランドの総督となったが,カトリックであったことと,インディアンとの敵対,W.ペンとの対抗のゆえに内紛が絶えず,選挙権を制限したり,議会を通過した法案を握りつぶしたりした。名誉革命によって植民地所領を奪われて帰国。教皇派陰謀事件 (1678) に参画。 1713年息子ベネディクト・レナード・カルバートは国教徒に改宗し,15年メリーランド植民地を回復した。

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, George Calvert, 1st Baron

[生]1580頃.ヨークシャー
[没]1632.4.15. ロンドン
イギリスの政治家,アメリカ植民地建設者。 1609年下院議員になり,枢密院書記官などを経て 19年国務大臣。 25年カトリックであることを告白して官職を辞し,男爵位とアイルランドの大所領を獲得。これより先現カナダのニューファンドランドに探検隊を派遣し,23年植民特許状を得,27年と 29年みずから植民地におもむいたが失敗。帰国後,もっと条件のよい植民地の特許状を王に願い出たが容易に与えられず,死の直後にメリーランド植民地特許状が下付された。これにより,長男の2代ボルティモア男爵が父の遺志を継いで植民地を建設した。

ボルティモア(男)
ボルティモア[だん]
Baltimore, Cecilius Calvert, 2nd Baron

[生]1605
[没]1675
アメリカ植民地時代初期のイギリスの植民地建設者。初代ボルティモア男爵の子。 1632年6月 20日死亡した父の代りに,国王チャールズ1世より北アメリカのメリーランド植民地の特許状を受け,カトリック教徒の住める植民地を建設。その地の首都を父を記念してボルティモアと名づけた。

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