クリミア自治共和国

共同通信ニュース用語解説 「クリミア自治共和国」の解説

クリミア自治共和国

ウクライナ南部クリミア半島大半を占める自治共和国。人口約255万人。面積四国の約1・4倍に当たる約2万6千平方キロ。ロシア系住民が多数を占める。中心都市はシンフェロポリクリミアは1954年、フルシチョフソ連共産党第1書記の命令でロシア領からウクライナ領に帰属変更された。同半島が舞台の19世紀のクリミア戦争で、近代看護の創始者ナイチンゲールが負傷兵を献身的に手当てし「クリミアの天使」と呼ばれた。主要都市ヤルタで第2次大戦中の45年2月、米英両国とソ連首脳がヤルタ会談を開いた。(共同)

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百科事典マイペディア 「クリミア自治共和国」の意味・わかりやすい解説

クリミア自治共和国【クリミアじちきょうわこく】

ウクライナに属する自治共和国。ウクライナ南部クリミア半島にある。面積2万6000km2,人口約200万(人口の約58%がロシア人,他はウクライナ人約24%,クリミア・タタール人約12%など)。首都シンフェロポリ。クリミア半島は,古代にはギリシアの植民市が建設された。13世紀にモンゴルに占領され,のちトルコ・ロシア係争の地となり,1783年ロシア領となる。同年建設のセバストポリクリミア戦争の主戦場となった。1921年クリミア・タタール人によってクリミア自治共和国が形成されたが,1944年対独協力を理由にスターリンによってクリミア・タタール人はウズベキスタンなどへ民族ごと強制移住させられ,1946年にはクリミア自治共和国は抹消された。その後1954年ロシアからウクライナに割譲,ウクライナの一州となった。ソ連邦崩壊で1991年クリミアはウクライナ内のクリミア自治共和国となるがウクライナがソ連から独立すると,今度は住民の多数を占めるロシア系住民がウクライナからの自立とロシア連邦への接近を主張。1944年に追放されたクリミア・タタール人の帰郷者増加とあいまって,ウクライナにとってクリミアの民族問題は深刻なものとなった。クリミア半島南端の重要港湾都市セバストポリはソ連邦崩壊後ウクライナの特別市となったがロシア海軍の最重要拠点であり続けた。2014年2月ウクライナで親ロシアのヤヌコーヴィッチ政権が崩壊,親EU・米国の新政権が誕生すると,ロシアは危機感を募らせ,ロシア系住民を中心とするクリミア自治共和国のウクライナからの独立の動きを支持。同年3月クリミア自治共和国議会とセバストポリ市議会は独立宣言を採択し,住民投票で圧倒的な賛成を得て,クリミア共和国として独立した。ロシアは直ちにクリミア自治共和国とセバストポリ特別市をロシア領に編入する条約を結び,プーチン大統領は編入を宣言した。ウクライナはもとより国際連合,EU諸国,米国等はウクライナの国家主権・領土を侵害する違法行為として,クリミア共和国の独立・編入を承認していない。
→関連項目ウクライナ問題ロシア

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知恵蔵mini 「クリミア自治共和国」の解説

クリミア自治共和国

ウクライナ南部のクリミア半島にある自治共和国。面積約2万6000平方キロメートル。人口は約200万人で、その6割以上をロシア系住民が占める(2014年時点)。首都はシンフェロポリ。海と陸のシルクロードを結ぶ黒海の要衝であることから、何世紀にもわたり係争が繰り返された歴史を持つ。18世紀にオスマン帝国からロシア帝国に併合され、1850年代には英国やフランスなどの4カ国連合とロシアとの間で行われたクリミア戦争の舞台となる。ロシア崩壊後はソビエト連邦に編入され、1954年にウクライナへと移譲された。ソ連崩壊後の91年にウクライナが独立すると、クリミアはウクライナからの分離独立を画策。96年にウクライナ国内の自治共和国となり、この際、クリミアを支持するロシアと、それに反発するウクライナの両国は対立関係に陥った。2013年、ウクライナ国内で親ロシア派と親欧米派の対立が激化し、14年2月に欧米寄りの暫定政権が発足。これを受け、クリミア自治共和国内に重要な海軍の拠点を持つロシアがウクライナへの軍事介入を開始したことから、地域情勢は緊迫化している。

(2014-3-4)

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