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ウクライナのクリミア半島南西部にある都市。人口34万2000(2001)。旧ソ連黒海艦隊の根拠地で、モスクワからの鉄道の終点であり、クリミア各地への自動車道路の基点であるなど、戦略・交通上の要地。また、ソ連崩壊後、黒海艦隊とセバストポリの帰属をめぐって、ロシアとウクライナは対立していたが、1996年6月黒海艦隊を両国で二分することが決まり、さらに1997年5月ウクライナがセバストポリにある黒海艦隊基地を20年間ロシアに貸すことに合意して、最終的に解決した(ソチ協定)。海軍工廠(こうしょう)のほか、船舶修理、機械組立て、水産加工などの工場がある。西に向かって黒海に突き出たヘルソネス半島が南にあり、クリミア山脈を南東に背負い、チョールナヤ川の河口とセバストポリ湾を北に控えた良港を有する。半島には古代ギリシア植民都市ヘルソネスの遺跡があり、市名も古代ギリシア語の「神聖な都市」から発生した。二度にわたって史上有名な攻防戦が行われたことにより、「英雄都市」の称号を得ている。攻防戦の記念物も多い。マラホフ・クルガンの丘の上には戦没者記念碑と廟(びょう)があり、市内には、クリミア戦争を記念する1854~1855年クリミア防衛記念館、1944年5月の反攻ジオラマ館、黒海艦隊を記念する海軍博物館のほか、二つの劇場などが置かれている。
[渡辺一夫・外川継男]
クリミア・ハン国併合後、ロシア政府は1783年ここに要塞(ようさい)兼港を建設し、港は帝政時代から海軍の基地として使用されてきた。1854~1855年、クリミア戦争中にここに立てこもったロシア軍はイギリス・フランスの連合軍に果敢な防衛戦を展開し、士官候補生として参戦したトルストイはそのときの経験を作品『セバストポリ物語』に仕上げた。第二次世界大戦中の1941~1942年にも、ソ連軍はドイツ軍を相手に二度目の「セバストポリの防衛戦」を行った。この戦闘のあと、町は1942年7月から1944年5月までドイツ軍に占領されたが、戦後復興した。
[外川継男]
ウクライナ南部,クリミア自治共和国の海港都市。ギリシア語で〈高い都市〉の意。1797-1801年はアフチアルAkhtiarと呼ばれた。人口33万8508(2005)。前5世紀には,ギリシアの植民市ケルソネソスが建設された地域として知られ,その後クリミア地方の政治・商業の中心として栄えた。13世紀タタール人の支配下で衰えたが,18世紀末にロシア領となるとともに港がつくられ,19世紀初めには黒海艦隊の基地となった。1853-56年のクリミア戦争の際にはL.トルストイの《セバストポリ物語》で有名な349日間の包囲攻撃に耐え,またロシア革命後の内戦期には1918-20年の間ドイツ,フランス,白衛軍に占領されていた。第2次世界大戦ではドイツ軍に包囲されたが,42年7月まで250日間もちこたえ,以後44年5月までナチス・ドイツに占領されて完全に破壊された。戦後は復興して軽工業もおこり,高等教育機関や黒海関係の研究所のほか,その歴史を反映する記念碑や黒海艦隊,クリミア戦争,防衛,解放などに関する多くの博物館や美術館がある。
執筆者:倉持 俊一
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