クレタ[島](読み)クレタ

百科事典マイペディアの解説

クレタ[島]【クレタ】

地中海東部,ギリシア南端から約100kmにあるギリシア領の島。現代ギリシア語ではクリーティ。大部分山地で,最高点はイジ山(2456m)。農業・牧畜を主とし,小麦,オリーブ,ブドウ,オレンジなどを産する。北岸は観光地として栄え,ギリシアでも有数の活気に満ちた地方である。古代にクレタ文明の中心として栄えた。ローマ,ビザンティンの支配を経て,1204年にベネチアの商業・軍事基地となった。1669年以後トルコの支配下にあったが,1898年自治を獲得し,1913年ギリシアに併合された。中心都市はイラクリオン。8336km2。62万3065人(2011)。
→関連項目エバンズカニアカマレス陶器クノッソスバルカン戦争

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世界大百科事典 第2版の解説

クレタ[島]【Crete】

ギリシア領エーゲ海最大の島。古典つづりではKrētē,現地音ではクリーティKríti。面積8263km2,人口50万2165(1981)。エーゲ海南端にあって東西に細長く延び(約260km),海岸線の長さは1000km以上に達する。行政上はイラクリオン県,ラシティ県,レティムノン県,カニア県の4県に区分されている。おもな山系は西方からレフカ・オリ(〈白山〉の意),イディ,ラシティと連なり,平野は中部南岸のメサラ平野が同島最大の沃野である。

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世界大百科事典内のクレタ[島]の言及

【エーゲ文明】より

…エーゲ海周辺地帯を主域として栄えた青銅器文明。キクラデス諸島,ギリシア本土の東部と南部,小アジアの西海岸からクレタ島やキプロス島をふくみ,前3000年(ないし前2800年)ころから前1200年ころにわたる。この文明は単一ではなく,また中心も範囲も変動するいくつかの文明からなるが,共通性をもつためエーゲ文明と一括される。…

【ギリシア】より

…その担い手がどこから来たのかはわからないが,前2千年紀の初めごろに古い文化を破壊しつつここに北方から来住したのは,インド・ヨーロッパ語族に属するギリシアの一派(イオニア人,アイオリス人などの東ギリシア方言群の祖先)の言語を話す人々であったと推定される。彼らはしだいに海上に進出してエジプトやメソポタミアの文明,ことにミノス(クレタ)文明を採用して前1600年ころには高度な青銅器文明をつくりあげた。これがミュケナイ文明で,これをつくりだしたギリシア人の支配層は,壮大な城砦と巨大な穹窿墓(トロス)を築き,戦車を駆る貴族層で,その中から卓越した王が,ミュケナイ,ティリュンス,ピュロス,オルコメノス,アテナイなどの城砦の中に華麗な壁画をもつ王宮を営んでいた。…

【トルコ・ギリシア戦争】より

…オスマン帝国からの独立(1830)後,旧ビザンティン帝国の失地回復をめざすギリシアと,国土防衛を図るトルコとの間の2度の戦争。(1)1860年代以来,ギリシア本土への併合をめざすクレタ島のギリシア系住民のたび重なる反乱を利用したギリシアが,1897年2月,クレタ島へ軍隊を派遣。同年4月オスマン帝国がギリシアに宣戦してギリシア軍を破ると,イギリス,フランス,ドイツ,ロシア,オーストリア,イタリアの6ヵ国の仲介により,5月に休戦が成立した。…

※「クレタ[島]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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