エバンズ(読み)えばんず(英語表記)Sir Arthur John Evans

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ(Gil Evans)
えばんず
Gil Evans
(1912―1988)

カナダ生まれのアメリカのジャズ・ピアノ奏者、編曲者、作曲家。本名イアン・アーネスト・ギルモア・グリーンIan Ernest Gilmore Green。オーストラリア出身の両親のもとにトロントで生まれ、幼児期にアメリカ、カリフォルニア州ストックトンに移住し、そこで育つ。14歳のときルイ・アームストロングの演奏を聴きジャズに関心を持つ。作編曲を独学で学び、1933年に地元でダンス・バンドを結成する。

 1941年クロード・ソーンヒルClaude Thornhill(1909―1965)の楽団のアレンジャーとなり、途中本人およびバンド・リーダーが軍務についたため中断期間があるが、1946年バンドが再結成された時もアレンジャーとして参加する。この時期、当時としては珍しいチューバ、フレンチ・ホルンを使用した彼の斬新なアンサンブルは、ミュージシャンの間で高く評価された。特にトランペッターのマイルス・デービスは、彼のアイディアをもとに1948年「九重奏団」を結成し、翌1949年から1950年にかけてアルバム『クールの誕生』を録音する。これ以降マイルスとの音楽的関係が続き、1957年にはアルバム『マイルス・アヘッド』、1958年『ポーギー・アンド・ベス』、1959~1960年『スケッチ・オブ・スペイン』と、マイルス作品のアレンジを担当する。また1961年には、マイルスと組んだライブ・コンサートをカーネギー・ホールで開き成功を収める。とはいえ1950年代から1960年代にかけてギル自身のアルバムは決して多くなく、1957年『ギル・エヴァンス&テン』、1960年『アウト・オブ・ザ・クール』、1961年『イントゥ・ザ・ホット』など、数枚を数えるにすぎない。

 1969年に録音したアルバム『ギル・エヴァンス』からエレクトリック楽器を使用するようになり、1970年代には、ニューヨークのジャズ・クラブ「ビレッジバンガード」に月曜日の夜自らのオーケストラを率いて出演する「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が、不定期ながら1970年代末まで続く。1970年代は彼の音楽の新たな発展の期間でもあり、エレクトリック楽器とアコースティック楽器を巧みに融合させた彼のアレンジは、多くの傑作を生んだ。1973年の『スヴェンガリ』、ロック・ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix(1942―1970)の曲を取り上げた1974年の『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』など、従来のビッグ・バンド・サウンドを大きく変えるものだった。

 日本のジャズ界とも関係が深く、1972年(昭和47)ジャズ・ピアノ奏者菊地雅章(まさぶみ)に招かれ来日し、共演アルバムを制作している。ヨーロッパにもたびたび赴(おもむ)き、1973年には、スウェーデン・ラジオ・オーケストラのために編曲と指揮を行い、1976年には自らのバンドを率いてヨーロッパ・ツアーを行っている。また、1978年にはイギリスの「ロイヤル・フェスティバル・ホール」でコンサートを行い、その模様がレコーディングされた。1983年からニューヨークのジャズ・クラブ「スウィート・ベイジル」で「ザ・マンデイ・ナイト・コンサート」が復活し、大きな反響を呼ぶ。以後1987年までこのコンサートは続いた。

 1988年体調不良のため入院、その後転地療養先のメキシコで腹膜炎のため死去。彼の業績は、ジャズのビッグ・バンドに新たなサウンドを持ち込み、また、1970年代以降のジャズのエレクトリック化においても、通俗に陥ることなくビッグ・バンドの表現の幅を広げたところにある。そのサウンドの特徴は、巧みな楽器選択とアレンジによって生み出される、深みと奥行きのある音色である。

[後藤雅洋]


エバンズ(Walker Evans)
えばんず
Walker Evans
(1903―1975)

アメリカの写真家。ミズーリ州セントルイスに生まれ、各地を転々とし、シカゴやパリで教育を受ける。25歳で写真を志し、建築写真に専念するが、第一次世界大戦後の大恐慌時代に、ロイ・ストライカーRoy E. Stryker(1893―1975)が指導する合衆国政府農政安定局(FSA)に参加、ベン・シャーンやドロシー・ラングらとともに農業従事者の苦境を写真で記録する仕事に携わる。彼の作品はFSAメンバーのなかでも、とくにヒューマニティーにあふれ、描写の精度も高いものであった。1930年代に、ニューヨークの地下鉄で隠しカメラによって車内の乗客を撮る試みを行ったが、このときの作品は斬新(ざんしん)なカメラ・アイで、都市生活のヒューマン・ドキュメントに新たな1ページを加えることとなった。

[平木 収]

『American photographs(1975, East River Press, New York)』『Walker Evans ; Photographs for the Farm Security Administration, 1935-1938(1975, Da Capo Press, New York)』『Walker Evans ; Havana 19331st American ed.(1989, Pantheon Books, New York)』『James Agee, Walker EvansLet Us Now Praise Famous Men ; Three Tenant Families(2001, Mariner Books, New York)』


エバンズ(Oliver Evans)
えばんず
Oliver Evans
(1755―1819)

「アメリカのワット」とよばれる発明家。デラウェア州ニューポート近くの農家に生まれ、15歳で車大工の徒弟になり、余暇に独学した。25歳のとき兄弟とともにウィルミントンで、人手を要しない水力製粉工場の操業に成功した。受け入れた原料の穀粉の計量から、挽臼(ひきうす)による製粉、篩(ふるい)分け、樽(たる)詰めまで自動化するオートメーションの先駆である。のち蒸気機関の改良を志し、1797年に蒸気車の特許をとった。1804年フィラデルフィア・ドックのために鎖式バケツをもつ最初の蒸気機関式浚渫船(しゅんせつせん)を建造し、また同年アメリカ最初の高圧蒸気を使う直動式鉛直型定置機関を建造し、イギリスのトレビシックとともに熱効率を最大限に利用する高圧機関の先駆者となった。1807年フィラデルフィアに鉄工所を建設し、生涯に50台の機関を製作した。しかし1819年、工場は放火にあい、多くの発明が実用化できず、失意のうちに没した。

山崎俊雄


エバンズ(Sir Arthur John Evans)
えばんず
Sir Arthur John Evans
(1851―1941)

イギリスの考古学者。名門エバンズ家の出。父は銀行家で考古学者としても知られたジョンJohn(1823―1908)、母はハリエットHarriet Ann Dickinson(1820―58)、異母弟に著述家のジョアンJoanがいる。早くから考古学を志し、オックスフォード大学、ドイツのゲッティンゲン大学に学び、オックスフォード大学のアシュモリアン美術館の学芸員となった。1900年、クレタ島クノッソス遺跡の発掘に着手し、40年近く、壮麗なミノス王の宮殿の発掘と復原に従い、それまで知られていなかったミノス文明の究明に偉大な功績を残すとともに、1909年、オックスフォード大学教授となり弟子を養成した。彼はひとりミノス宮殿の実態の解明ばかりでなく、ミノス文明の時期区分を確立し、前ミノス文化の存在をつきとめ、ミノス文字の解読に挑戦した。主著に『ミノス文字』『クノッソスのミノス王宮殿』などがある。

[角田文衛]


エバンズ(Bill Evans)
えばんず
Bill Evans
(1929―1980)

アメリカのジャズ・ピアノ奏者、作曲家。ニュー・ジャージー州プレインフィールド生まれ。16歳で兄と楽団を結成。1958年マイルス・デービス六重奏団に参加して注目され、59年に天才ベース奏者スコット・ラファロを含むトリオを結成して人気を高めた。白人らしい端正なスタイルの名手で、知的な叙情をたたえた魅力は大きい。代表作に『ワルツ・フォー・デビー』がある。

[青木 啓]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エバンズ」の意味・わかりやすい解説

エバンズ
Evans, Sir Martin J.

[生]1941.1.1. ストラウド
イギリスの科学者。 1966年ケンブリッジ大学クライスト・カレッジで生化学の修士号,1969年ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジで解剖学と発生学の博士号を取得後,同カレッジで教鞭をとった。 1978年ケンブリッジ大学に移り,1999年からカーディフ大学の分子遺伝学教授。 1993年ロンドン王立協会のフェロー,2004年ナイトに叙された。細胞の分化を研究中の 1981年,発生学者のマット・H.カウフマンとともに胚性幹細胞 (ES細胞) の培養法を見つけた。 1984年 ES細胞を別の種類の胚に挿入すると2種類の細胞からなるキメラができることを証明,1987年には ES細胞に遺伝子変異を導入して病気のモデルマウス作製に成功。 ES細胞は再生医療への応用を広げた。この業績により,2007年マリオ・R.カペッキ,オリバー・スミシーズとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。ほかに,アルバート・ラスカー医学研究賞 (2001) など受賞多数。 (→遺伝工学 )

エバンズ
Evans, Sir Arthur

[生]1851.7.8. ナッシュミルズ
[没]1941.7.11. オックスフォード近郊ユルベリー
イギリスの考古学者。フルネーム Sir Arthur John Evans。クレタ文明の発見者。オックスフォード大学卒業。1884年アシュモール博物館館長,1899年クレタ発掘財団を設立し,クノッソス遺跡の発掘を推進した。翌 1900年より宮殿址ならびに未解読の線状文字資料多数を発掘し,クレタ文明の解明に大きな貢献をなした。1911年ナイトの称号を得る。著書には『ミノア文字』Scripta Minoa(1909),『クノッソスのミノスの宮殿』The Palace of Minos(4巻,1921~36)などがある。

エバンズ
Evans, Oliver

[生]1755.9.13. デラウェア,ニューポート
[没]1819.4.15. ニューヨーク
アメリカの発明家。 16歳で水車大工職人に徒弟奉公。当時盛んになりはじめた繊維工業の梳毛技術の改良に関心をもち,20歳代で高速梳毛機を完成。 1784年,全工程をオートメーション化した水力式製粉工場を設計,フィラデルフィア郊外に建設した。さらに改良を重ね,1801年には市内に蒸気機関を動力とするオートメーション式石灰肥料工場を設立。 06年以降は蒸気機関の改良に着手,17年には 24馬力の高圧蒸気機関の作製に成功した。イギリスの R.トレビシックと並んで高圧機関の草分けとして知られる。ほかに蒸気浚渫船の発明も手がけた。著書に『若き水車大工および製粉業者のための手引』 (1792) ,『若き蒸気機関技師の手引』 (1805) がある。

エバンズ
Evans, Walker

[生]1903.11.3. セントルイス
[没]1975.4.10. コネティカット
アメリカの写真家。 1926年パリに行き,E.アッジェの記録写真に影響を受け写真家を志す。帰国後 30年頃からニューイングランド諸州に残るビクトリア朝期の建築を撮影し,34年ニューヨーク近代美術館で発表して注目された。またウォール街の大恐慌下,農業安定局 Farm Security Administrationが組織したカメラ・キャンペーンで,中心的役割を果した。 40年グッゲンハイム賞を得て,アラバマ州の小作人の記録を撮る。第2次世界大戦後はアメリカ写真界で重きをなした。主要作品集『小作人の家族』 (1936) ,『ウォーカー・エバンズ=FSAのための写真・1935~38』 (73) など。

エバンズ
Evans, Gil

[生]1912.5.13. カナダ,トロント
[没]1988.3.20. クエルナバカ
アメリカのジャズ作曲,編曲家,ピアニスト。本名 Ian Ernest Gilmore Green。 1930年に楽界に入り,41~48年はクロード・ソーンヒル楽団に編曲を提供,57年からは M.デービスと組んで次々と話題作を発表。フレンチ・ホルンの使用に特色がある。

エバンズ
Evans, Dame Edith Mary

[生]1888.2.8. ロンドン
[没]1976.10.14. ロンドン
イギリスの女優。 1912年デビュー。コングリーブの『世の習い』 (1924) のミラマント役などで注目された。オールド・ビック劇場で,ポーシャ役をはじめ多くのシェークスピア劇に出演。 17世紀喜劇,O.ワイルド,G.B.ショーなどの作品にすぐれた演技を見せ,46年デイムの称号を受けた。映画出演も多い。

エバンズ
Evans, Bill

[生]1929.8.16. ニュージャージー,プレーンフィールド
[没]1980.9.15. ニューヨーク
アメリカのジャズピアニスト。本名 William John Evans。 1958年 M.デービスのバンドに参加して注目され,59年にベースのスコット・ラファロ,ドラムのポール・モティアンを加えた自己のトリオを結成,デリケートで知的な演奏によって名声を高めた。

エバンズ
Evans, B. Ifor

[生]1899.8.19. ロンドン
[没]?
イギリスの文学史家。ロンドン大学学寮長。『シェークスピア劇の言語』 The Language of Shakespeare's Plays (1952) ,『イギリス文学-価値と伝統』 English Literature: Values and Traditions (62) などの著書がある。

エバンズ
Evans, Maurice

[生]1901.6.3. ドーセット
[没]1989.3.12. ブライトン
イギリスの俳優。 1928年『旅路の終り』で注目される。 35年アメリカに渡り,のちに帰化。多くのシェークスピア劇に出演。また,映画『ローズマリーの赤ちゃん』 (1968) ,『猿の惑星』 (同) でも好評を得た。

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