ギリシア南部,クレタ島の町。人口13万5761(2001)。公式にはHerákleionと綴る。クレタ島第1の町であり,重要な海港でもある。ブドウ酒,皮革,セッケンなどの軽工業がある。クレタ文明の中心地クノッソスはこの町のすぐ南にあり,イラクリオンはその港であった。ローマ時代にはヘラクレウムHeracleumと呼ばれ,中世を通じてはカンディアCandiaの名で知られた。9世紀にクレタ島はイスラム勢力に占領されたが,13世紀の初めベネチアの支配下に入り,今も残る堅固な城砦が築かれた。17世紀,オスマン帝国がこの町を攻め,21年にわたる攻囲の後,ベネチアは退却した。1898年に近代ギリシアの領土となるまでトルコ人の支配は続いた。第2次大戦に際しては激戦地となった。この町の考古学博物館は,クノッソスの遺跡の出土品をはじめ多くの遺物を収め,クレタ文明の研究には最も重要な施設である。また20世紀ギリシア文学の巨人カザンツァキスはこの町の出身で,墓所もここにある。
執筆者:池澤 夏樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ギリシア南部、クレタ島中東部を占めるイラクリオン県の県都。旧称カンディアCandia。人口13万7711(2001)。島の北岸にあり、エーゲ海に臨む港湾都市。同島でもっとも肥沃(ひよく)な農業地帯を背後にもち、農産物の集散および加工(とくにオリーブ油を原料とするせっけん製造)が盛んである。島の征服者サラセン人が建設。13~17世紀にはベネチア領。1669年クレタ島がオスマン帝国の支配下に入って以来、政治、経済、文化の中心地となって栄えた。南東郊外に古代クレタ文明の中心地クノッソスの都市遺跡があり、市内にその出土品を収めた博物館がある。地中海東部の戦略上の一拠点として、アメリカ空軍基地がある。
[真下とも子]
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