イラクリオン(読み)いらくりおん(英語表記)Iráklion

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イラクリオン」の意味・わかりやすい解説

イラクリオン
Iráklion

イラクリオ Iráklioともいう。古代ギリシア語読みではヘラクレイオン Hērakleion。ギリシア,エーゲ海南縁部,クレタ島中部北岸にある都市。同島最大の都市で,主要港。先史時代クレタ文明の中心地であったクノッソス北西約 5kmの地にあり,クノッソスの外港として繁栄したものと考えられるが,現在の市は9世紀に島を占領したアラブ人が建設した町から発展したものである。アラブ人はこの町をクレタの首都とし,ハンダク Khandaqと呼んだが,13世紀初め島がベネチア領となると,これがイタリア語に転訛しカンディア Candiaと呼ばれるようになった。 1669年オスマン帝国領となって以降港が放置され,西のハニアに商業の中心が移った。 1897年からクレタ自治領の首都となり,1913年ギリシア領。第2次世界大戦後,新しい港が建設されるとともに商業中心地として復興。現在,干しぶどう,オリーブ,オリーブ油,ワイン,イナゴマメ,アーモンド石鹸皮革などの積出港として繁栄。また近年観光業が発展,クノッソス遺跡その他への観光基点として,空路,海路で訪れる人が急増。市内にもクノッソスなどからの出土品を集めた博物館がある。人口 10万 2398 (1981) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イラクリオン」の意味・わかりやすい解説

イラクリオン
いらくりおん
Iráklion

ギリシア南部、クレタ島中東部を占めるイラクリオン県の県都。旧称カンディアCandia。人口13万7711(2001)。島の北岸にあり、エーゲ海に臨む港湾都市。同島でもっとも肥沃(ひよく)な農業地帯を背後にもち、農産物集散および加工(とくにオリーブ油を原料とするせっけん製造)が盛んである。島の征服者サラセン人が建設。13~17世紀にはベネチア領。1669年クレタ島がオスマン帝国の支配下に入って以来、政治、経済、文化の中心地となって栄えた。南東郊外に古代クレタ文明の中心地クノッソスの都市遺跡があり、市内にその出土品を収めた博物館がある。地中海東部の戦略上の一拠点として、アメリカ空軍基地がある。

[真下とも子]

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