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コソボ紛争 コソボふんそう Kosovo conflict

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コソボ紛争
コソボふんそう
Kosovo conflict

セルビアコソボ自治州(→コソボ)におけるセルビア人アルバニア人民族紛争。人口約 200万のうち約 90%をアルバニア人が占めたコソボ自治州では,ユーゴスラビア時代の 1974年に大幅な自治が認められたものの,国内の最貧地域であり,アルバニア人は経済的後進性への不満をいだいていた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵2015の解説

コソボ紛争

セルビア共和国に属するコソボ自治州の90%を占め、独立を要求するアルバニア人と、これを認めないセルビア共和国との対立。1998年3月初めに対立が表面化し、99年6月に和平が成立した。紛争の発端は、89年3月、セルビア議会が共和国憲法修正案を可決して、コソボ自治州の権限を共和国に集中したことに求められる。自治権を奪われたアルバニア人は、同年12月に文学史・美学の研究者イブラヒム・ルゴバを指導者としてコソボ民主同盟を結成し、自治権の復活を要求した。セルビア側は認めていないが、91年9月には住民投票が実施され、「コソボ共和国」の独立も正式に宣言された。92年秋には、「コソボ共和国」の議会選挙と大統領選挙が実施されて、民主同盟が第1党になり、ルゴバが大統領に選出された。ルゴバはコソボの独立を最終目標としながらも、自治権の回復を掲げて、非暴力及びセルビア当局との交渉路線をとり、この路線がアルバニア人の間で大きな支持を得た。しかし、96年9月に、当時のセルビア大統領ミロシェビッチとルゴバとの間で結ばれた、初等・中等学校でのアルバニア語教育を認める「教育協定」の不履行を契機として、コソボの状況が変化する。特に、大学でのアルバニア語教育を求めるアルバニア人学生の不満が強かった。こうした青年層の不満が、武力によるコソボの独立を目指すコソボ解放軍(UCK)支持につながった。穏健路線をとってきたルゴバも、独立要求を前面に掲げだした。98年2月末から3月初めにかけて、ユーゴスラビア連邦のセルビア治安部隊が、コソボ自治州の首都プリシチナ西部地域を拠点とするコソボ解放軍に対して、大規模な掃討作戦を展開した。これ以後、両者の激しい戦闘は長期化し、99年3月、NATOによるユーゴ空爆が開始された。空爆は78日間も続き、85万人のアルバニア人難民が発生。一方、セルビアも人的・物的に多大な被害を受けた。同年6月のコソボ和平後、アルバニア人によるセルビア人やロマに対する報復攻撃が続き、20万人以上が難民となった。和平を履行するために、民生部門を担当する国連コソボ暫定行政支援団(UNMIK)が置かれ、軍事部門を担当するNATO主体の国際部隊(KFOR)が派遣された。06年1月にルゴバ大統領が死去、後任にファトミル・セイディウが選出された。

(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

コソボ紛争

旧ユーゴスラビア連邦の一つだったセルビアは、冷戦後に連邦が崩壊する中、当時のミロシェビッチ大統領が民族主義的な専制を敷いた。これに対し、自治州だったコソボで、セルビアからの独立をめざす多数派アルバニア系が武装闘争を展開。米欧などの調停が不調に終わり、北大西洋条約機構(NATO)が1999年3月からユーゴ(当時はセルビアとモンテネグロのみで構成)を空爆した。同年6月に和平が成立しコソボは国際管理下に。08年に独立宣言したが、セルビアやロシア、中国は承認していない。

(2015-04-25 朝日新聞 朝刊 1総合)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コソボ紛争
こそぼふんそう

ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置するコソボにおける紛争。コソボは、長らくセルビア共和国内のコソボ自治州となっており、コソボの独立を目ざすアルバニア系住民と、それを認めないセルビア当局の争いが続いてきた。とくに1980~90年代のコソボを巡る紛争は、旧ユーゴスラビア連邦解体のきっかけとなった。コソボでは1968年と81年に自治権拡大を求めるアルバニア人の暴動が起こった。1989年にはセルビア当局による警察支配がしかれる一方、アルバニア人側は独立宣言で対抗したが、ボスニア・ヘルツェゴビナで戦闘が続く間は膠着(こうちゃく)状態であった。しかし、1998年初めに武力衝突が激化し、2000人以上が死亡、30~40万人の避難民が発生し、国際問題となった。1999年3月には北大西洋条約機構(NATO(ナトー))がユーゴ空爆など軍事介入に踏み切った。空爆終了後、国連安保理決議が採択され、以降、コソボは国連の暫定統治機構による暫定統治下におかれた。[千田 善]

歴史的背景

セルビア側は、13~14世紀に中世セルビア王国の中心地であったコソボを、彼らの民族的聖地と考える。現在も由緒あるセルビア正教の修道院がある。しかし、人口の圧倒的多数はアルバニア系で、セルビア系は少数派であり、ほかにトルコ人、ロマなどが住む。この人口比でも論争があり、アルバニア系は国勢調査をボイコットしつつ、人口の90%以上をアルバニア系が占めると主張する。一方、セルビア当局はアルバニア系は75%で、セルビア系は19%を占めるとしている(1991年の公式統計)。
 コソボ紛争はアルバニア人の民族意識形成の歴史でもある。第二次世界大戦後の1945年「コソボ・メトヒア自治区」(メトヒアは修道院領地の意)が発足、63年には自治州に昇格したが、旧ユーゴ連邦内相ランコビッチが66年に失脚するまでセルビア人優位の警察支配が続いた。1968年にセルビア色の強い「メトヒア」の名を外し「コソボ自治州」に改称するが、その際共和国への昇格を要求するアルバニア人によるデモが暴動化した。共和国昇格が見送られる一方で、プリシュティナ大学創設による高等教育の普及、アルバニア本国で印刷された教科書使用など、民族的覚醒(かくせい)と一体になったアルバニア人の民族主義が、ゆるやかな連邦制度を採用したチトーの「74年憲法」下で醸成されていった。チトー死去の翌年である1981年、ふたたび共和国昇格を要求するデモが大規模な暴動になったが、ユーゴ政府の治安部隊派遣などにより鎮圧された。その後もアルバニア人とセルビア人の対立は州内少数派のセルビア人への嫌がらせ、その報復など陰険な形で続いた。こうした状況を利用して台頭したセルビア人ミロシェビッチは、1990年秋に旧称の「コソボ・メトヒア」を復活させたのをはじめ、アルバニア人の自治権擁護・拡大運動に強硬姿勢で臨んだ。これが結果的に、コソボ紛争の激化を招く直接のきっかけになった。[千田 善]

ミロシェビッチ政権下の民族対立

チトーの74年憲法体制下の旧ユーゴ連邦では、連邦機関へ共和国・自治州ともに同数の直接代表を選出し、自治州政府にも警察権、裁判権を含む大きな自治権が保証されていた。そのため、セルビアとコソボは平等の権限が与えられていた。しかし、1987年にセルビア共和国の実権を握ったミロシェビッチは、89年春、軍部隊を投入し厳戒下でセルビア共和国憲法を修正し、自治州の権限を共和国に集中させた。これに前後してミロシェビッチはアルバニア人幹部を「分離主義者」として更迭し、抗議運動を武力弾圧、1990年7月には自治州政府と議会を実力で解散させ、コソボの自治権を事実上剥奪(はくだつ)した。これに対しアルバニア人側はコソボ民主同盟(DSK)を結成、同年9月に秘密集会で「コソボ共和国」樹立を宣言し、92年には穏健派のルゴバIbrahim Rugova(1944―2006)を大統領に選出した。西ヨーロッパ在住のアルバニア系労働者からの半強制的拠出を含めた独自の献金・税制度、寺子屋式の学校や民家のガレージを改造した病院など自前の社会組織がつくられ、セルビア側の警察支配との二重権力状態となった。
 1987年以降、ミロシェビッチの強権的なコソボ政策への反発から、旧ユーゴ各地で民族主義が強まった。1991年、スロベニアとクロアチアの独立宣言で連邦は分裂・解体し、武力紛争に突入した。戦火は1992年春にボスニアに飛び火し、凄惨(せいさん)な戦争が95年秋まで続いた。しかし、ボスニアの停戦後もコソボの状況が変わらないことにいらだつアルバニア人の間で、穏健派指導部の非暴力路線への不満が表面化した。1997年には武装闘争を掲げる強硬派のコソボ解放軍(KLA)が公然と活動を開始し、98年2月以降、セルビア治安部隊と衝突を繰り返しながら勢力を伸ばした。[千田 善]

NATO軍のユーゴ空爆

1998年秋、紛争が激化し、多数の難民・避難民が発生したため、連絡調整グループ米ロ英仏独伊6か国による調停工作が始まり、99年2~3月には強硬派・穏健派合同のアルバニア人側代表団と、ユーゴ・セルビア当局側の交渉がフランスで行われた。しかし、大幅な自治権拡大、NATOの平和維持軍駐留などの和平案を、アルバニア人側は受け入れたが、セルビア側が拒否したため、NATOはユーゴ全土に航空爆撃を加えた。NATO史上初の主権国家に対する武力行使となったが、これをきっかけにセルビア当局側が大規模なアルバニア系住民追放を組織的に行い、難民・避難民が百数十万人に上るなど状況は混迷した。NATO側は武力行使を冷戦後の「新戦略政策」の発動としての「人道的介入」であると説明したが、国連安全保障理事会の承認を得ていないことにロシアや中国などが反発し、国際社会の足並みも乱れた。
 とくに米軍のミサイルによる「中国大使館誤爆事件」に対しては中国国内で激しい反米・反NATOデモが行われるなど、米中関係に深刻な影響を及ぼした。また空爆停止直後、ロシア軍がNATOとの合意なしにコソボに派兵し、指揮系統をめぐって西側と対立するなど、コソボ問題をきっかけにした諸大国の駆け引きも活発に行われた。[千田 善]

空爆の停止と残された課題

結局、ミロシェビッチ政権がロシアとフィンランドの仲介を受け入れ、コソボから軍・警察治安部隊を撤退させたことで、NATOは空爆を78日間で中止した。コソボにはNATOを中心とした国際治安軍(KFOR)が進駐し、これに続いて国連が「国連コソボ暫定行政ミッション」(UNMIK)を発足させた。しかし、住民同士の略奪や放火、殺人が頻発するなど民族間の対立・憎悪はむしろ拡大した。アルバニア系難民の大半は帰還したが、非アルバニア系のセルビア人やロマなど約20万人がコソボを追われ、新たに難民化した。コソボの軍事施設だけでなく、ユーゴスラビア全土の工場や橋、発電所その他の社会基盤施設が破壊され、復興には数十年、その費用も数十兆円かかると推定され、経済の貧困さが根本問題であるバルカン半島地域の安定化が図られたとはいえない。
 コソボ紛争は、NATOが国連を無視する形で武力行使に踏み切ったことで、独立国家の内部の人権問題に対する外部からの働きかけ(人道的介入)の是非や、それがどの程度まで許されるかなど、今後の国際社会全体の秩序のあり方について大きな論議をよぶきっかけとなった。
 なお、ミロシェビッチ政権の崩壊後、2001年に自治州議会選挙が行われ、コソボ暫定自治政府が立ち上げられたが、1999年以来コソボは国連コソボ暫定統治機構の暫定統治下に入った。さらに、2004年3月にはアルバニア系勢力による大規模な暴動が発生、セルビア人施設などへの破壊活動が行われ、多くの死傷者を出し、非アルバニア系住民が避難民となるなど、衝突は続いている。2005年、国連安保理が関係当事者によるコソボの地位交渉の開始を決定した。セルビア側は、コソボに広範な自治権は付与するが独立は認めない立場をとる。コソボ自治州の面積は1万0887平方キロメートル、人口は約190万(2002年推計)、州都はプリシュティナ。[千田 善]

コソボの独立

その後、国連の暫定統治下におかれたコソボ自治州であったが、2008年2月17日コソボ議会がコソボ共和国として独立宣言を採択、アメリカやEU諸国が独立を認め、日本も同年3月コソボ共和国を国家として承認した。なお、セルビア、ロシアは承認していない。[編集部]
『ドゥブラヴカ・ウグレシィチ著、岩崎稔訳『バルカン・ブルース』(1997・未来社) ▽柴宜弘編『バルカン史』(1998・山川出版社) ▽千田善著『ユーゴ紛争はなぜ長期化したか――悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任』(1999・勁草書房) ▽梅本浩志著『ユーゴ動乱1999――バルカンの地鳴り』(1999・社会評論社) ▽町田幸彦著『コソボ紛争――冷戦後の国際秩序の危機』(1999・岩波ブックレット) ▽岩田昌征著『ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像』(1999・御茶の水書房) ▽子供地球基金中部事務局編『わたしの夢、わたしの人びとの苦しみ――難民キャンプのこどもたち』(1999・ポプラ社) ▽西村一郎著『JEN 旧ユーゴと歩んだ2000日――日本緊急救援NGOグループ活動報告』(2000・佼成出版社) ▽中津孝司著『南東ヨーロッパ社会の経済再建――バルカン紛争を超えて』(2000・日本経済評論社) ▽長倉洋海著 写真集『コソボの少年』(2000・偕成社) ▽ペーター・ハントケ著、元吉瑞枝訳『空爆下のユーゴスラビアで――涙の下から問いかける』(2001・同学社) ▽百瀬宏・今井淳子・柴理子・高橋和著『国際ベーシックシリーズ5 東欧』(2001・自由国民社) ▽ノーム・チョムスキー著、益岡賢ほか訳『アメリカの「人道的」軍事主義――コソボの教訓』(2002・現代企画室) ▽大石芳野著『コソボ破壊の果てに 大石芳野写真集』(2002・講談社) ▽千田善著『ユーゴ紛争――多民族・モザイク国家の悲劇』(講談社現代新書) ▽柴宜弘著『ユーゴスラヴィア現代史』(岩波新書)』

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