ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置するコソボ共和国の首都。人口18万6611(1999)、17万(2008推計)。ビザンティン、ブルガリアの支配を受けたのち、12世紀にセルビアの支配下に入り、14~15世紀には近くのノボ・ブルドNovo Brdo鉱山(おもに銀)が開発されたために採鉱、交易の中心地として大いに繁栄した。だが1389年、コソボの戦いでセルビア軍がトルコ軍に大敗し、その後、第一次バルカン戦争(1912~13)でふたたびセルビアに編入されるまで、トルコの支配下にあった。多くのセルビア人が北方に逃れたのち、アルバニア人が多数入植し、現在では住民の8割以上を占めている。近郊には14世紀初頭に建てられたグラチャニツァ修道院、コソボ平原に立つ英雄記念塔、暗殺されたトルコのスルタン・ムラトの霊廟(れいびょう)、旧市街に残る15世紀のトルコ浴場、時計塔、モスクなどが有名。大学、ラジオ・テレビ局、アルバニア学研究所、現代的なつくりの図書館などがあり、しだいに近代都市へ変貌(へんぼう)しつつある。織物・食品・建材・家具工場のほか、近くで産出する褐炭を利用した火力発電所がある。
[田村 律]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
セルビア南部,コソボ自治州の州都であったが,2008年のコソボ独立により首都となった。人口40万(2005)。住民の7割以上はアルバニア人で,他にセルビア人が2割,モンテネグロ人,ムスリム人などがこれに続く。中世セルビア王国時代はこのあたりが中心地であっただけに,近郊にはミルティン王が建立した美しいグラチャニツァGračanica修道院(14世紀前半)など見るべきものが多い。5世紀にわたるトルコ人支配の痕跡は,市内のモスクや公衆浴場,時計塔にうかがわれ,独特の雰囲気をかもし出している。第2次大戦後は州都として大学(9学部),ラジオ・テレビ局,劇場,博物館,アルバニア学研究所などを備えた近代都市に変わりつつある。また紡織・建材・食品工業が発達し,中世以来の鉱山開発も今では火力発電所,精油所,肥料工場を含む大コンビナートへと発展している。
執筆者:田中 一生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…面積1万0887km2,人口199万(1995)。州都はプリシュティナ。民族構成はアルバニア人74%(イスラム教徒のアルバニア人を含む),セルビア人18%,モンテネグロ人3%,ムスリム人2%,トルコ人1%など。…
※「プリシュティナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加