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コプト教会 コプトきょうかいCoptic Church

翻訳|Coptic Church

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コプト教会
コプトきょうかい
Coptic Church

エジプトにある古代からのキリスト教会で,コプトは,アラビア人が征服以前のエジプト人やその言語を qubtと呼んだことに由来する。カエサレアのエウセビオスによれば,コプト教会の始りは福音書記者マルコの宣教によるとされ,アレクサンドリア古代教会の中心地の一つであった。この教会はディオクレチアヌスの迫害に耐えて盛んとなり,4世紀にアントニウスらによって始められた修道生活も特に上エジプト地方において開花発展をみた。コプト教会のローマ教会からの分離は,カルケドン公会議 (451) においてアレクサンドリア総大主教ディオスコロスのキリスト単性論 (→キリスト単性説 ) が異端宣告を受けたことに始る。この後エジプトがペルシアによる占領 (619以後) に続いてアラブに支配されたため (642以後) ,迫害と苦難の時代が長く続いた。カリフ・ハーキム (996~1021) は 3000の教会を破壊したという。ようやくテル・エル・ケビルの戦い (1882) でイギリス支配下に入り,教会は自由を獲得,信徒数は現在約 300万,エジプト人プロテスタントは約5万,カトリック帰一教徒約8万 5000といわれる。教会は古代においてギリシア語のほかに土着のコプト語を用い,多くの宗教文学の翻訳,著作がなされたが,アラビア語の普及とともにコプト語は日常語としてほとんど廃絶し,現在では教会典礼語として残っているにすぎない。エチオピアのキリスト教会もコプト教会と伝統的に深い関係をもち,12世紀以来その首長はアレクサンドリア総大主教によって選ばれていたが,1950年以後自治教会の形成をみている。

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デジタル大辞泉の解説

コプト‐きょうかい〔‐ケウクワイ〕【コプト教会】

キリスト教の教派の一。キリストの神性を強調する単性説をとり、5世紀に古代教会から分離・独立。エチオピアの国教でもある。

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百科事典マイペディアの解説

コプト教会【コプトきょうかい】

エジプトの単性論派キリスト教会。英語でCoptic Church。451年カルケドン公会議で単性論が排斥された後,アレクサンドリア主教のもと独立性を強めた教会が発祥。
→関連項目エジプト(地域)コプトコプト語

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世界大百科事典 第2版の解説

コプトきょうかい【コプト教会 Coptic Church】

エジプトの単性論派教会。エジプトのアレクサンドリアは使徒マルコの宣教した地と伝えられ,ローマ,アンティオキアとならぶ古代キリスト教世界の中心地であった。同市の主教は大きな権威を有し,神学のアレクサンドリア派はアンティオキア派とならび称された。アントニウスなどの努力によって修道制が確立したのもエジプトである。しかしアレクサンドリアは5世紀の単性論問題でローマおよびコンスタンティノープルの教会と争って敗北し,主教ディオスコロスはカルケドン公会議(451)で罷免された。

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大辞林 第三版の解説

コプトきょうかい【コプト教会】

キリスト教の教派の一。五世紀中頃、アレクサンドリア主教を中心として、ローマおよびコンスタンチノープルの教会から分離。人性は神性に融合・摂取されているとするキリスト単性論をとる。エジプト以外にエチオピアなどに残存。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コプト教会
こぷときょうかい
Coptic Church

エジプトの正統キリスト教会。正式の呼称は「コプト・オーソドックス(正統)教会」。「コプト」coptは、「エジプト人」を意味するギリシア語「アイギプティオス」のアラビア語発音に由来。アレクサンドリアに主教座をもつエジプトの教会は、2世紀以降、キリスト教の教義(三位(さんみ)一体論とキリスト論)形成のうえに重要な役割を果たしたが、451年カルケドン公会議で採択されたキリスト論(カルケドン信条)を拒否し、教理的にはキリスト「単性論」(神とキリストとは単一の本性を有するとし、キリストの人性より神性を強調する説)を採用して、ビザンティン帝国教会と決別したといわれる。しかしこの背後には修道院を中心とするコプト教会のナショナリズムがあった。このことは、7世紀以来エジプトがアラブ化、イスラム化され、コプト人が少数派にとどまっている現在に至るまで貫かれている。[荒井 献]
『荒井献著「コプト教会」(前嶋信次・杉勇・護雅夫編『オリエント史講座 第3巻』所収・1982・学生社) ▽山形孝夫著『ワディ・ナトルンの修道院――コプト修道士の生活史から』(『イスラム世界の人びと 第5巻』所収・1984・東洋経済新報社) ▽村山盛忠著『コプト社会に暮らす』(岩波新書)』

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世界大百科事典内のコプト教会の言及

【エジプト】より

…4世紀には修道院運動もアントニウスにより始められた。4世紀末テオドシウス帝によるキリスト教国教化はエジプトから古来の神々を根絶し,エジプト人の国民的自覚はコプト教会に受け継がれていった。【屋形 禎亮】
【イスラム時代】
 ビザンティン帝国をヤルムークの戦(636)に破り,シリアを征服したアラブ・イスラム軍は,次いでアムル・ブン・アルアースの指揮の下にエジプトへ侵攻し,641年にはビザンティン帝国のバビロン城を陥れて,翌年ここにフスタートFusṭāṭの町を建設した。…

【キリスト教】より

…ピョートル大帝は教会改革の一環として総主教制を廃止し(1721),かわりにシノド(宗務院)を設け,国家による統制を強化した。 東方諸教会とはカルケドン公会議の前後に分離した非カルケドン派教会の総称であるが,そのうちの多くがのちにイスラム教徒の支配圏に組み入れられたため,勢力が著しく減退し,こんにち,多少ともまとまった形で存在するのは,エジプトのコプト教会,エチオピア教会,アルメニア教会,レバノンのマロン派教会などにすぎず,キリスト教世界全体における影響力も限られている。 ネストリウス派教会はネストリウスが創設したものではない。…

【コプト】より

コプト教会に所属するエジプトのキリスト教徒。アラビア語でキブトQibṭ,クブトQubṭ。…

※「コプト教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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