コルサバード
Khorsabad
アッシリアのサルゴン2世が建設した首都の遺跡。イラクのモースルの北東約20kmにあり,古代にはドゥル・シャッルキンDur Sharrukinと呼ばれた。コルサバードという名はササン朝ペルシアの王コスロエス(ホスロー)の町と誤解されたことに由来する。1843年以来フランス隊などによって発掘された。7門をもつ城壁で四角に囲み,1辺約1.75km,北西辺には王城が一部突出してつくられ,南隅近くには皇太子の宮殿が配置された。王城の中に建設された宮殿,高官の住居,多くの神殿とジッグラトは,まったくの新都であるにもかかわらず整然とした配置をとっていない。そして神殿やジッグラトよりも世俗的な宮殿建築などが大きいのが特徴である。門には人面有翼の牡牛像が立ち,建物は浮彫,壁画,彩釉煉瓦などで豪華に飾られていた。浮彫のなかには新王都建設の木材を切り出し遠隔の地から運搬する場面も表現されている。なお,サルゴンの遠征死,その後継者センナヘリブのニネベへの遷都のため,ここは未完の都となった。
執筆者:小野山 節
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コルサバード
こるさばーど
Khursabad
イラク北部、現在のモスルの対岸にあるニネベの北東約20キロメートルに位置する遺跡で、新アッシリアの首都。古代名ドゥル・シャッルキン。アッシリアのサルゴン2世(在位前721~前705)の治世の晩年に建設されたもので、城壁で囲まれ、基壇の上に建造された王宮と神殿、およびジッグラトを中心にし、王宮は有翼の人面獣身像によって守護されている。この時代には国王を中心とした力が強く、神殿は王宮に付属した形をとってつくられている。有翼人面獣は浮彫りで装飾され、一部は彩釉(さいゆう)れんがで装飾されている。19世紀中ごろフランスのV・プラースとボッタにより最初に発掘され、その後アメリカ隊の調査もなされたが、プラースの発掘した遺物は、運搬中ティグリス川に水没した。
[糸賀昌昭]
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「コルサバード」の意味・わかりやすい解説
コルサバード
ティグリス川上流,ニネベの北にあるアッシリアの都市遺跡。古名ドゥル・シャッルキンDur Sharrukin。サルゴン2世の宮殿遺構や浮彫,彩釉煉瓦などが出土。
→関連項目ボッタ
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世界大百科事典(旧版)内のコルサバードの言及
【宮殿】より
… なお,中国の宮殿については〈[都城]〉の項目を参照されたい。
[古代]
宮殿の発生は,シュメールやアッシリアなど古代専制国家の時代にうかがうことができ,マリの宮殿(前3千年紀末),サルゴン2世の宮殿(前8世紀,コルサバード)などの遺跡が発掘によって確認されている。とりわけ後者は古代帝国の威容を誇るにふさわしく,約300m2の広さで,国王の居室だけでなく,神殿,ジッグラト,政庁などを収め,あらゆる権力をひとつに集めていた。…
※「コルサバード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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