古代メソポタミア最初のセム系アッカド人の統一王国とその王朝の創始者。アッカド語ではシャッル・キンŠarru-kin。〈アッカドのサルゴン〉と通称される。諸伝承の伝えるアッカド王としての55年の治世は,いちおう前2350年ころから前2295年ころとされる。このアッカド語の王名は〈王は真正なり〉〈王は正統なり〉を意味するが,父の名も幼少時の名も不明である。アッカド語の一伝承では母は尼僧で,誕生後,葦籠に入れてユーフラテス川に棄てられ,水汲み人に拾われて果樹栽培者になった。〈シュメール王名表〉の記載によれば,その公的経歴はキシュ王ウルザババの酒盃官に始まる。アッカド語およびシュメール語で書かれた少数の現存の王碑文,およびその古バビロニア時代の多数の写し(おもにニップール出土)によって,その治績の概略を知ることができる。サルゴンはキシュの北方に直属のアッカド人を率いて,新都市アガデ(その遺跡は未確定)を造営してその王となり,やがてウルク,ウル,ラガシュ,ウンマなどのシュメール諸都市軍を34度にわたって討ち,その盟主ウルクのルガルザゲシを,彼に従う50人の小王や服属支配者(エンシ)ともども捕らえた。そして地中海沿岸までの支配権を主張していたルガルザゲシに枷(かせ)をはめてニップールのエンリル神殿の門に伴い,以後〈キシュの王〉〈国土(シュメール・アッカド)の王〉を称した。
サルゴンはシュメール諸都市の総督にそれぞれアッカド人を任命し,また娘をウルとウルクとの月神ナンナルの最高女司祭の地位につけて,シュメール・アッカドの地に王朝原理に基づく統一王国を建設した。王は食事を共にする5600人の軽装で機動的な常備軍を首都アッカドに有し,外征によって,ユーフラテス川中流のマリ,バーリク川沿い(?)のトゥットル,北シリアのエブラ,レバノンの〈杉の森〉,タウルス山脈の〈銀の山〉を手中に収め,またエラムを従えた。このような〈肥沃な三日月地帯〉縁辺部の交通・交易の要衝の確保はアッカド市を広範な東西貿易の一大中心地たらしめ,メルハ(インダス河口?),マガン(オマーン海岸),ディルムン(バハレーン島)などの船舶がひきもきらずアッカドの港に停泊した。こうしてサルゴンの軍事的・組織的天才と,遊牧社会から抜け出してまもないアッカド人の新しい血と,シュメール都市国家の遺産とが融合して,シュメール・アッカドを基盤とするメソポタミア最初の軍事的・商業的帝国が創始された。それが当時のメソポタミアの人々に与えた衝撃がいかに大きかったかは,後世にいたるまで繰り返して作られたサルゴン伝説中に反映され,千数百年を経て再び同じ名をもつ大征服者サルゴン2世がアッシリアに生まれた。
執筆者:山本 茂
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生没年不詳。古代メソポタミア最初のセム系アッカド人の統一王国とその王朝の創始者(在位前2350ころ~前2295ころ)。アッカド語ではシャッルキン。「アッカドのサルゴン」とよばれる。この名は「王は正統である」を意味するが、その父の名も年少時の名もわからず、多くの伝承がその出生、経歴、外征をめぐってつくられた。母は高貴な尼僧で、彼の誕生後、キノコ籠(かご)の中に入れてユーフラテス川に捨てられ、水汲(く)み人に拾われて果樹栽培者となった話や、その公的経歴がキシュ王ウル・ザババの酒杯官に始まるとする伝承がよく知られている。一方、現存の少数の王碑文およびその多数の古バビロニア時代の写しによって知られる治績の概略は、キシュの北方に新都市アカデ(その遺跡は未確定)を造営して王となり、シュメール諸都市の軍隊を34回にわたって破り、その盟主であるウルクのルガルザゲシ王を捕虜とし、シュメールとアッカド全土を支配下に置くことに成功、シュメール諸都市の総督にはそれぞれアッカド人を任命し、また娘をウルとウルクの最高女司祭の地位につけ、王朝原理に基づく統一王国をつくろうとした。王はまた遠征によって、西方ではユーフラテス川中流のマリ、北シリアのエブラ、レバノンの「杉の森」、小アジアのタウルス(トロス)山脈の銀を手中に収め、東方ではエラムを従え、「肥沃(ひよく)な三日月地帯」周縁の交通、貿易の要衝を確保したので、アッカドは、東はインダス川、南はバーレーン島、オマーンに及ぶ広範な東西貿易の一大中心となり、富強を極めた。こうして王はシュメール・アッカドの統一を基盤とする、メソポタミア最初の軍事的、商業的帝国を創始した。それが古代メソポタミアの人々に与えた衝撃の大きさは、後代に至るまでたびたびつくられたサルゴン伝説によく示されている。
[山本 茂]
シャルマネセル5世(在位前727~前722)から王位を奪取し、新アッシリア帝国最盛期を築き上げた人物(在位前721~前705)。内政的には大寺院への非課税措置や新首都ドゥル・シャッルキン(サルゴンの城)の建設、外に向かっては種々の征服政策を遂行。その占領征服政策は、西はシリア、パレスチナ(サマリアを首都とする北イスラエル王国は、紀元前721年にシャルマネセル5世もしくはサルゴン2世のこの政策の犠牲になった)、さらには東地中海(キプロスなど)に、北はウラルトゥ、南はバビロニアに及んだ。しかし前705年、東方イラン高原に進軍中、山地民族に攻撃され、おそらくそこで憤死した。彼の多くの戦勝碑が残されているにもかかわらず、そのひととなりについて多くのことは知られていない。後継者は息子センナケリブ。
[月本昭男]
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(在位前24世紀後半~前23世紀初)
セム系としては初のアッカド王朝の創始者。キシュの支配より独立,さらにウルク王ルガルザゲシを破ってシュメールとアッカドを統一。活発な遠征によって交易圏,文化圏を拡大した。アナトリアとエラムの文明化は彼に始まる。後世「戦いの王」として多くの神話,伝説がつくられた。
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…伝承上,洪水後最初の王朝とされるキシュ第1王朝の王名中にはアッカド系の名前が多く見られ,前27世紀ころにはシュメールの都市国家シュルッパクの史料中にアッカド語の人名が見いだされる。前2350年ころサルゴンが,おそらく幾世代にもわたってシュメール文化に親しんでいたセム系のアッカド人を率いてこの地に首都アガデAgadeを造営し(その遺跡は未発見。シッパルとキシュの間のユーフラテス川沿いに位置するとされる),メソポタミア最初の帝国を建設,伝承によると11王,181年(前2350ころ‐前2150ころ)に及ぶ王朝を創始した。…
…彫刻の分野では,現存している作品の数こそ少ないが,技術的にも芸術的にも高い水準に達していたことがわかる。ニネベ出土のブロンズ製の男の頭部は,アッカドのサルゴン王の肖像とも考えられているが,頭髪,あごひげの表現にシュメール初期王朝時代の手法を残しながらも,顔の表情にはそれまでに見られなかった自然な特色が現れている。この像はまた,当時ブロンズの鋳造技術が高度に発達していたことを証明する貴重な存在である。…
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[青銅器時代]
シリアが史上初めて文献史料に言及されるのは,ウルク王ルガルザゲシの征服記録中においてである。次いで,ユーフラテス川上流域出身の人とされるサルゴンがアッカド王となり,自らアマヌス山中に遠征した。彼の王朝は前3千年紀末葉のシリアを支配した。…
…しばしば北部のアッシリアと対比され,またバビロニア南部はシュメール,北部はアッカドと呼ばれる。その歴史は,厳密にはバビロンによるメソポタミア南部の統一をもって始まるとみるべきであろうが,以下の記述では,サルゴンによるアッカド帝国の建設によりメソポタミア南部が初めて政治的に統合された時をもってその出発点とし,アレクサンドロス大王による征服までを扱う。なお,以下に掲げるアケメネス朝以前の諸王の治世年代はすべてA.レオ・オッペンハイム《古代メソポタミア》(改訂版,1977)に付されているJ.A.ブリンクマンの年代表に従う。…
…貴族のひげは許されたがほかの人々には認められず,家人の喪に服する間だけはひげが伸びても容認されたという(ヘロドトス《歴史》)。 ひげと神権または王権との結合はあまねく見られ,アッカド王国の創始者サルゴンはほおから下を豊かな編みひげで覆い,ペルシアの王や貴族は金粉や金糸を添えたひげを誇り,女王も付けひげを黄金の鎖でとめていた。さらに時代を下ればアーサー王のひげがあり,《ローランの歌》はカール大帝(シャルルマーニュ)の白ひげを繰り返し歌っている。…
…最後のウルカギナ(ウルイニムギナ)はウンマのルガルザゲシに敗北した。ルガルザゲシはウルク王になるとともに他都市をも軍事占領し,ここにシュメール都市国家時代が終わるが,のちルガルザゲシはセム系アッカドのサルゴンに敗れた(前24世紀中葉)。 キシュ王の高官であったサルゴンは,のち独立してアッカド王朝を樹立した。…
※「サルゴン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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