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コンシデラン Considérant, Victor Prosper

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コンシデラン
Considérant, Victor Prosper

[生]1808.10.12. サラン
[没]1893.12.27. パリ
フランスの社会主義者。技術者として陸軍に入ったが,C.フーリエユートピア思想に共鳴し,軍隊をやめて彼の弟子となった。 1837年以降,フーリエ主義の機関誌『ラ・ファランジュ』 La Phalangeを主宰した。 49年ベルギーに亡命。 69年フランスに帰国するまでブリュッセルを中心にフーリエ主義の実践に活躍した。また何度かアメリカに渡り,52年ダラスに共産主義的コロニー「ラ・レユニオン」を建設したが,失敗した。主著『社会の命運』 Destinée sociale (3巻,1834~44) 。

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世界大百科事典 第2版の解説

コンシデラン【Prosper Victor Considérant】

1809‐93
フランスのフーリエ派社会主義者。ジュラ生れ。理工科大学卒業後,工兵将校となるが,フーリエの思想に共鳴し,退役。以後,フーリエ派の中心的人物として活躍した。1836年《ラ・ファランジュ》誌,43年《平和的民主主義》紙を創刊。《社会の命運》3巻(1834‐44),《社会主義の諸原理》(1847)などを著した。彼は,資本主義の無政府性による独占の進行,労働大衆の窮乏化,階級分裂の進展,過剰生産の導く侵略的対外政策などを鋭く指摘し,フーリエの理論を一歩前進させたが,平和的改革論者であり,二月革命期には階級協調を強く訴えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コンシデラン
こんしでらん
Victor Considrant
(1808―1893)

フランスの社会主義者。理工科大学(エコール・ポリテクニク)出の工兵士官であったが、1832年フーリエの思想に共鳴してユートピア的協同体「ファランジュ」建設運動に参加。1837年、師フーリエ亡きあとフーリエ派の総帥として『平和的民主主義』紙などを中心に理論活動や選挙改革運動に取り組んだ。1848年の二月革命では臨時政府を支持、ルイ・ブランのリュクサンブール委員会にも加わった。社会的共和主義の立場を明確にして1848年4月以降国会議員を務めたが、1849年6月、ルイ・ナポレオンのローマ出兵に抗議する共和派の蜂起(ほうき)に連座して訴追され、ベルギーに亡命した。1854年末アメリカのテキサスに渡り、再度「ファランジュ」建設を試みたが失敗に終わり、1869年に帰国後は第一線を退いた。主著『社会主義の原理』(1847)はマルクスの『共産党宣言』(1848)に多大の影響を与えたといわれている。[谷川 稔]

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世界大百科事典内のコンシデランの言及

【比例代表制】より

…各種の方法が考案されており,その数は300を超す。 従来の多数代表制では少数党が過少に代表される欠陥があり,18世紀後半,フランスの数学者ボルダJ.C.Bordaやコンドルセらによって批判と代替的方法の提案がなされ,1846年にはフランスのP.V.コンシデランによって今日の名簿式比例代表制にあたるものが提案された。1855年にデンマークの数学者で当時の大蔵大臣であったアンドレーC.C.G.Andraeにより具体的制度として比例代表制が提唱され,同年の議会選挙で実施されたのが最初である。…

※「コンシデラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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