コント55号(読み)こんとごじゅうごごう

知恵蔵 「コント55号」の解説

コント55号

コント55号は、萩本欽一(=欽ちゃん)と坂上二郎(=二郎さん)のお笑いコンビ
萩本欽一は、1941年東京生まれ。高校卒業後、浅草東洋劇場の軽演劇一座に加わり、自ら座長となって浅草新喜劇を作るなどしていた。坂上二郎は、34年鹿児島生まれ。54年、内海突破氏に弟子入りし、安藤ロールの芸名で東宝名人会に出演。島倉千代子の専属司会などを務めていた。
2人に浅草フランス座での共演経験があったことから、66年に「コント55号」を結成。「お昼のゴールデンショー」(68年)や「コント55号の世界は笑う」(同)、「コント55号!裏番組をブッ飛ばせ!!」(69年)などのテレビ番組で人気を博した。舞台を自由に動き回るスタイルで「テレビ画面を飛び出す男たち」と呼ばれ、坂上二郎の、飛行機を形作り「飛びます、飛びます」と言うギャグは一世を風靡(ふうび)した。
コント55号という名前の由来には、王貞治がホームラン記録年間55本にさしかかるときの「今度で55号ですね」とのアナウンス、ゴーゴーダンスの「ゴーゴー」、台風の名前など諸説あるが、真相ははっきりしない。
68年度、コント55号として第6回ゴールデンアロー賞「特別賞」受賞
70年代からは個人での活動が増え、萩本は、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」「欽ちゃんの仮装大賞」などのテレビ出演や司会、坂上は、テレビドラマ「夜明け刑事」などの出演や、歌手としての活動が主となった。
一方、75年にスタートしたクイズ番組「ぴったしカンカン」では、両名がそれぞれの解答者チームのキャプテンを務め、コンビの新しい魅力を生み出し、好評を博したりもした。
坂上は2003年9月、ゴルフ中に脳梗塞(こうそく)で倒れて2カ月間入院。04年6月に舞台に復帰したが、10年8月に再び倒れて入院。11年1月に明治座での公演に予定していた出演を取りやめ、療養していたが、3月10日、脳梗塞のため栃木県内の病院で死去した。76歳。

(葛西奈津子  フリーランスライター / 2011年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コント55号」の意味・わかりやすい解説

コント55号
コントごじゅうごごう

萩本欽一 1941.5.7. 東京,東京~ 
坂上二郎 1934.4.16. 鹿児島,鹿児島~2011.3.10. 栃木
1966年結成のコント 2人組。当時浅草の軽演劇やショーの司会で活躍していた坂上と,無名の萩本が組んでコントを始め,一躍舞台で人気を得た。おりからのテレビ演芸ブームに乗って,その担い手となり,爆発的人気を集めた。その後映画やテレビなどで,それぞれの活動が増えたが,1992年コンビ活動を再開した。

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世界大百科事典(旧版)内のコント55号の言及

【軽演劇】より

…こうした人々(〈デン助劇団〉の大宮敏充(1913‐76)なども含めて)の多くが,タップを素養として身につけていることにも注目したい。さびれゆく浅草が生んだ最後の軽演劇スターは,フランス座改め東洋劇場から出た〈コント55号〉の萩本欽一(1941‐ )・坂上二郎ということになろうか。だが,80年代に入って,久々に,という印象で,ヌード劇場(渋谷の道頓堀劇場)から,〈コント・レオナルド〉のレオナルド熊が登場した。…

※「コント55号」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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