日本大百科全書(ニッポニカ) 「サハラ越え交易」の意味・わかりやすい解説
サハラ越え交易
さはらごえこうえき
アフリカ大陸の南北を結ぶ交易ルートのうち、インド洋、大西洋経由の海洋ルートに対して、サハラ砂漠を縦断する内陸ルートによる交易をいう。内陸ルートは大別すると、現在のモロッコからモーリタニアを経てセネガル、マリなどセネガル川流域に至る西スーダン・ルート、チュニジアやリビアからサハラ砂漠中央部を通ってニジェール、チャドなどニジェール川中流域やチャド湖地方に至る中央ルートに分けられる。北から南には馬、工芸品、岩塩など、南から北へは黄金、象牙(ぞうげ)、奴隷などが主要な交易品として運ばれた。道中の安全維持や水場の補修などが交易の継続には欠かせなかったため、商品の流れやルートは時期により、また周辺の政治勢力の消長によって次のように変化した。
(1)フェニキア時代 ベルベル系遊牧民が仲介して地中海貿易と内陸交易を結び付けた。中央ルート主体で馬車も使用された。
(2)ローマ時代 ベルベル系遊牧民によってサハラ地方に都市国家が形成され、西スーダン・ルートを用いた交易が拡大した。ラクダが使用されるようになった。
(3)イスラム時代 西スーダンに交易ルートを支配する王国が成立し、支配者はムスリム商人との取引のためにイスラムに改宗した。
(4)オスマン時代 ヨーロッパとの競合下でオスマン帝国が交易に介入し、西スーダン・ルートより中央ルートが栄えた。
(5)ヨーロッパ人による奴隷貿易の開始、植民地化とともにサハラ越え交易は衰退し、周辺地域の遊牧民(トゥアレグなど)による交易に規模が縮小した。
現代では道路網が整備されたことに伴ってトラック輸送によるサハラ越えの貿易が行われている。サハラ縦断道路の完成によってアフリカ諸国間の貿易が飛躍的に発展することが期待されている。
[宮治一雄]
『私市正年著『サハラが結ぶ南北交流』(2004・山川出版社)』