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サン・アントニオ サンアントニオ

百科事典マイペディアの解説

サン・アントニオ

米国,テキサス州南部の商工業都市。サン・アントニオ川に臨む。農産物,家畜,羊毛の集散加工地として発展,近年は製油・製鉄工業も盛ん。温泉地。陸軍基地がある。1718年スペイン人が創設,フランシスコ会宣教の拠点であった。1821年の米墨戦争でメキシコ領となったが,1836年のテキサス共和国の独立をへて,1845年に合衆国に併合された。132万7407人(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サン・アントニオ
さんあんとにお
San Antonio

アメリカ合衆国、テキサス州南部の商工業都市。人口114万4646(2000)。サン・アントニオ川に面し、周辺に広がる農業地帯の商業・金融の中心地である。食品加工、航空機、建築用資材、化学製品、木工製品、衣服、機械などの工業が発達している。ケリー、ランドルフ、ブルークス、ラックランドの四つの空軍基地が近くにあり、最大の雇用機関となっている。
 1718年に建設された伝道教会サン・アントニオ・デ・バレロとサン・アントニオ・デ・ベジャール砦(とりで)が基礎となって町が建設された。スペインおよびメキシコの統治下時代には、テキサス地方の行政・軍事の重要な都市であった。テキサス独立戦争時の1835年12月にテキサスがサン・アントニオを占領したが、36年3月メキシコがアラモの砦を攻撃し、テキサス側の188人の兵士が全員死亡した話はよく知られている。南北戦争後、とくに1877年に鉄道が通じてから、スペインの町のおもかげを残す、牛の取引中心地として発展した。第二次世界大戦後、メキシコからの移民が流入し、住民の半分以上はメキシコ系である。
 市街地の中心を曲がりくねって流れている川の両岸は遊歩道になっており、カフェーやレストランが並び、川を観光船が行き来している。1749年建設の旧スペイン知事公邸、サン・フェルナンド寺院などが旧サン・アントニオとよばれる地区にある。ヘミスフェア・プラザには高さ228.8メートルのアメリカ塔があり、ここから市街地とその外側に広がる平原を展望することができる。[菅野峰明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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