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サード・ザグルール Sa‘d Zaghlūl

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世界大百科事典 第2版の解説

サード・ザグルール【Sa‘d Zaghlūl】

1857‐1927
エジプトの近代民族運動史上最大の指導者。農村支配者(ウムダ)の家系の生れ。アズハル大学時代,当時の思想家アフガーニームハンマドアブドゥフの影響を受けた。その後法律家,官吏として身を立て,イギリス占領下の有能な官僚として,1906年文相,12年法相に任命された。エジプト近代化とムハンマド・アリー朝ヘディーウ(副王)専制抑制の一定の効力をイギリス占領に見いだしてきたザグルールは,13年以降官職を辞し,反英民族運動へ傾斜した。

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世界大百科事典内のサード・ザグルールの言及

【ムハンマド・アリー朝】より

…76年におけるエジプト財政の破産に端を発した一連の政情不安の中で,近代エジプト最初の民族主義運動であるアラービー運動(1879‐82)が発生したが,イギリス軍によって鎮圧され,以後エジプトはイギリスの軍事支配下に置かれ,エジプト経済の対西欧,とりわけ対英従属化は強化された。 第1次世界大戦後の1919年,サード・ザグルールを指導者とする反英民族独立運動が発生し,この運動の高まりの中で,22年イギリスはエジプトの独立を一方的に宣言した。しかし,これによって従来のイギリス権益が放棄されたわけではなく,独立は名目的なものであった。…

【ワフド党】より

…エジプトの民族主義政党。第1次世界大戦後,パリ講和会議にエジプトの民族〈代表団〉(ワフドwafd)を送ろうとして始まった運動を母体に,1924年,サード・ザグルールを指導者として成立。〈エジプト人のためのエジプト〉を標榜し,キリスト教徒・ムスリムの違いを超えた広範な大衆の支持を獲得した。…

※「サード・ザグルール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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