ザロメ(その他表記)Lou Andreas-Salomé

改訂新版 世界大百科事典 「ザロメ」の意味・わかりやすい解説

ザロメ
Lou Andreas-Salomé
生没年:1861-1937

多くの思想家や文学者たちとの多彩な知的交流と,奔放な恋愛で知られるロシア人女性。正しくはアンドレアス・ザロメ。サンクト・ペテルブルグ貴族の家に生まれる。1880年チューリヒで神学,哲学等の勉強を始めるが,胸を病み,青鞜運動の重要な存在であったマイゼンブーク女史を頼ってローマに移る。女史はワーグナーニーチェの友人であり,ザロメは彼女を通じて82年ニーチェおよびその友人P.レーとも知り合う。三人には奇妙な三角関係が生じるが,レーと暮らし始めた彼女はニーチェの求愛を退ける。ニーチェ晩年の著作には彼女がさまざまな形で影を落としている。社会学者テンニースから想いを寄せられたりもするが,97年に詩人リルケと知り合う。同棲した二人はロシアに旅し,リルケのロシア体験を生む。当時彼女は東洋語学者のF.K.アンドレアスと形ばかりの結婚をしていたが,かかりつけの医者や,S.フロイトの若い弟子等とも奔放かつきわめて知的な恋愛生活を送っていた。第1次世界大戦前にフロイトを知ってからは,彼の弟子および共同研究者としてそのサークルに多くの知的刺激を与えた。その神秘的魅力と聡明さは有名無名の多くの知識人たちを虜(とりこ)にしたといわれる。自叙伝《生の回顧》(1951),またそのニーチェ論,リルケ論は当時の精神界の一大絵巻である。
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百科事典マイペディア 「ザロメ」の意味・わかりやすい解説

ザロメ

ロシア人女性。正しくはアンドレアス・ザロメ。サンクト・ペテルブルクの貴族の家に生まれる。哲学者ニーチェとの交流,詩人リルケとの同棲,精神分析家フロイトのサークルへの参加など,その聡明さと魅力とで多くの知識人をとりこにした。自叙伝《生の回顧》(1951年)がある。

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世界大百科事典(旧版)内のザロメの言及

【ニーチェ】より

…この時期の81年,ニーチェはスイス・アルプスのシルバプラナ湖畔で永劫回帰の覚知に達し,いっさいが〈力への意志〉である以上,宇宙と歴史の変動は永遠に自己回帰を続ける瞬間からなっているとの思想を得ている。
[《ツァラトゥストラ》とそれ以後]
 翌1882年にはザロメとの不幸な恋愛があったが,翌年初頭,ジェノバ郊外のポルトフィノで《ツァラトゥストラ》の着想を抱き,彼の言によれば,“嵐のような”筆の運びでまたたくまに第1部が完成した。この作品は第4部(1885)まで書かれるが,第4部になると出版者がつかず私家版で出さざるをえないほどに世間からは無視されていた。…

【リルケ】より

…早くからブルジョア社会の低俗性に反発,芸術の世界で成功することによりその社会から離脱して生きることを望む。プラハの大学生のころから多量の詩や評論を書き,1897年ミュンヘンに出て積極的に文壇に名を知られるように努めるが,女流作家アンドレアス・ザロメ(ザロメ)と親交を結ぶに及んでむやみな文筆活動を控え,反時代的な精神を糧として独自の詩世界を内に育てることに専念する。2回にわたるアンドレアス・ザロメとのロシア旅行はその原点ともいうべき体験である。…

※「ザロメ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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