シベリア鉄道(読み)シベリアてつどう(英語表記)Транссибирская Магистраль/Transsibirskaya Magistral'

精選版 日本国語大辞典 「シベリア鉄道」の意味・読み・例文・類語

シベリア‐てつどう ‥テツダウ【シベリア鉄道】

モスクワからシベリア南部を横断して日本海岸のウラジオストクに至るロシア連邦の鉄道。全長約九三〇〇キロメートル。幹線(大シベリア鉄道)はチエリャビンスクとウラジオストクとを結ぶ線(七四一六キロメートル)で、一八九一年着工、一九一六年全通。のちバイパス線として、バイカル、ハバロフスク方面と結ぶバム鉄道(第二シベリア鉄道)などが開通。シベリア横断鉄道

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デジタル大辞泉 「シベリア鉄道」の意味・読み・例文・類語

シベリア‐てつどう〔‐テツダウ〕【シベリア鉄道】

ウラル地方のチェリャビンスクに発し、シベリア南部を東西に横断してウラジオストクに至る世界最長(全長7416キロ)の鉄道。1916年全通。現在では、その他の路線も含めたモスクワとウラジオストクとを結ぶ、全長約9300キロの鉄道をいう。シベリア横断鉄道。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シベリア鉄道」の意味・わかりやすい解説

シベリア鉄道
しべりあてつどう
Транссибирская Магистраль/Transsibirskaya Magistral'

ロシアのシベリア南部を東西方向に横断し、ヨーロッパ・ロシアと極東地方を結ぶ大陸横断鉄道。大シベリア鉄道Великая Сибирская Магистраль/Velikaya Sibirskaya Magistral'ともよばれる。当初の開通はウラル山脈東麓(とうろく)のチェリャビンスクから日本海に臨むウラジオストクに至る7416キロメートルだったが、現在はモスクワ(ヤロスラブリ駅)とウラジオストク間の約9300キロメートルの路線をさす。これは世界最長である(2013年時点)。

 1891年、帝政ロシア政府は、シベリア地方の植民・開発と極東における軍事力の強化を目的としてシベリア鉄道の建設を決定し、5月31日、皇太子(後の皇帝ニコライ2世)臨席の下にウラジオストクで起工式を挙行した。西側のチェリャビンスクからの工事は1892年7月に、中央部のオビ川イルクーツク間は1893年にそれぞれ着工された。多くの熟練・非熟練の自由労働者とともに、シベリア流刑の囚人や中国人が過酷な建設工事に従事し、1895年、チェリャビンスク―オビ川西岸間が、途中のイルティシ川橋梁(きょうりょう)(1896年完成)を除いて開通したのを始まりに、1897年オビ川橋梁が完成、1898年4月、線路はイルクーツクに達した。また、1897年12月にはウラジオストク―ハバロフスク間も開通した。同1897年、その前年に締結された李(り)‐ロバノフ条約によって満洲里(まんしゅうり/マンチョウリー)から清国内に入り、ハルビンを経てウラジオストク北方のウスリースクに至る東清鉄道が着工され、1901年11月、ハルビンより分岐して旅順(りょじゅん/リュイシュン)に至る支線とともに全通した。これによって、すでに開通していたムイソフスク(バイカル湖南岸)―満洲里間とあわせて、シベリア鉄道はバイカル湖南岸の迂回(うかい)線区間を除いて開通し、バイカル湖の湖上連絡船を介して、ヨーロッパからウラジオストクへの鉄道連絡がなったのであった。シベリア鉄道建設のなかでももっとも難工事となったバイカル湖迂回線は、おりからの日本との戦争が近づくなかで工事を急ぎ、日露開戦後の1904年9月にようやく開通した。

 日露戦争において、ロシアが中国東北部の戦場に数十万人の将兵と大量の武器・弾薬、軍馬を集中しえたのは、まったくシベリア鉄道のおかげであった。しかし、長距離にわたって交換駅や待避線の不足した単線の線路、操車場や給水設備の不備、軽量のレールや不十分なバラストなどが軍隊の迅速な輸送を著しく遅延させたことも事実で、とくに戦争前半にはその弊害が著しかった。1900年にはモスクワ―イルクーツク間に豪華な寝台車で編成した旅客列車を走らせたが、日露戦争後はモスクワ―ウラジオストクおよび長春(ちょうしゅん/チャンチュン)間に国際急行列車が運転されるようになり、日本の所有に帰したかつての東清鉄道支線である南満州鉄道を介して、大連(だいれん/ターリエン)や北京(ペキン)へも列車が接続した。これはヨーロッパと極東をもっとも迅速に結ぶ交通路であった。同時に、この鉄道の開通は沿線への植民を促し、超割引料金の移民列車によって多くの農民が東方開拓のために輸送された。日露戦争後の1908年、東清鉄道に対する日本の脅威を理由として、アムール川の左岸を経由し、ロシア領内を通過してハバロフスク、ウラジオストクに至る路線が着工された。この線は第一次世界大戦中の1916年に全通し、これが現在のシベリア鉄道のルートとなっている。

 ロシア革命後、シベリア鉄道は、沿線のウラル、クズバス、アンガラ・バイカル、極東などの各コンビナートの形成と並行して、路線の強化(重軌条への交換、路盤の強化、複線化、電化、強力な機関車の開発など)が進められ、第二次世界大戦後も改良のピッチが促進されるとともに、多くの支線の建設が行われた。主要な支線には、バイカル湖東方のウラン・ウデから分岐してモンゴルの首都ウランバートルに至る線(1949年開通)、ハバロフスク西方で分岐し、アムール川下流のコムソモリスク・ナ・アムーレを経て、日本海岸のソビエツカヤ・ガバニに至る線(第二次世界大戦前に着工され、1945年開通)などがある。また、1930年代よりイルクーツク北西方のタイシェトよりバイカル湖北方、レナ川上流地域を経てソビエツカヤ・ガバニに至るバイカル・アムール鉄道(バム鉄道БАМ/BAM鉄道)が起工され、第二次世界大戦終結ごろまでにレナ川上流のウスチ・クトに達していた。1970年代にその延長工事が再開され、1984年、ウスチ・クト―コムソモリスク・ナ・アムーレ間約3100キロメートルが完成したことで、ソビエツカヤ・ガバニまで全線開通した。これらの鉄道の開通はレナ川上流域の開発促進に大きな効果をもたらすと考えられる。

 シベリア鉄道は全線電化され、バム鉄道も部分的に電化されている(2013)。シベリア鉄道の主たる機能は貨物輸送にあるが、モスクワ―ウラジオストク間に直通する旅客列車としては、「ロシア号」が隔日で一往復運転される。また、モスクワから北京と平壌(ピョンヤン)に直通する列車も運転されている。ちなみに「ロシア号」によるモスクワ―ウラジオストク間の所要時間は約150時間(車中6泊7日間)である。

[青木栄一・青木 亮]

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改訂新版 世界大百科事典 「シベリア鉄道」の意味・わかりやすい解説

シベリア鉄道 (シベリアてつどう)
Transsibirskaya magistral'

ロシア連邦のモスクワからシベリアを横断してウラジオストクに至る鉄道幹線の通称。現在は八つの区間に分けて管理されており,全長は9297kmに及ぶ。シベリアに鉄道を敷く考えは,ロシアが太平洋岸を領有するに至った19世紀半ばからあったが,当初は人口希薄な地域に数千kmの鉄道を敷くことはまったくの夢想と考えられていた。実際に着工されたのは1891年で,これは極東への西欧列強の進出が積極化し,ロシアもこれに対抗しようとする戦略的意味が大きな契機となっている。工事はウラジオストクとウラル山脈の東側チェリャビンスクの両方からすすめられたが,経費は乏しく,冬季は酷寒であり,人跡未踏の地域も多く,工事は困難をきわめた。路線短縮,満州(中国東北)への進出企図などから,チタからまっすぐにウラジオストクまで満州を横断する,ロシア鉄道と同一軌幅(1.524m)の東清鉄道線を建設することを清国政府に承認させ,1903年これを完成した。04年に始まった日露戦争では大量の兵員,武器をヨーロッパ・ロシアから極東へ輸送する必要からシベリア鉄道の輸送力は増強され,未完成だったバイカル湖迂回線部分もこのとき開通し,ヨーロッパとアジアがはじめて連続した線路でつながれた。アムール川と並行してロシア領内を通る現行の路線が開通したのは16年である。ロシア革命につづく国内戦,日本軍を主力とする連合国のシベリア干渉戦争はシベリア鉄道に甚大な損害を与えた。多くの機関車,車両,橋梁,線路が破壊された。いまでもシベリア鉄道のいくつかの駅には,日本軍と戦って死んだロシア人の碑が残されている。この打撃からシベリア鉄道が回復するのは25年ころである。

 1920年代末に始まったソ連の工業化政策では,輸送力の増強がその基礎をなしていた。シベリア開発で重要なウラル・クズバス・コンビナートも鉄道が決定的な役割を演じている。27-31年,中央アジアとシベリアを結ぶトルクシブ鉄道も建設され,37年にはシベリア鉄道の全線が複線化された。第2次大戦後,50年代からのシベリア開発の本格化にともない,鉄道の整備強化もすすめられた。53年に始められたシベリア鉄道の電化は,現在,その大部分が完了しており,厳冬期には-30℃以下になるシベリアでの輸送効率を維持するうえで,またその経済性からも,大きな役割を果たしている。レール,まくら木,信号体系なども改善され,多くの支線がシベリア各地に伸びている。

 シベリア鉄道は,開通してから航空機にその地位をゆずるまで,ヨーロッパとアジアを結ぶもっとも速い交通路の地位を占めてきた。1934年の急行〈リュクス〉は,マンチュリー(満洲里)から当時のソ連の西の国境,ストルブツィ(ミンスクの南西78km)まで9日間で走った。現在のウラジオストク~モスクワ間は急行で8日間かかる。70年代から20t積みのコンテナー輸送も始められ,とくに日本とヨーロッパ間の輸送量が増大している。
BAM(バム)
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百科事典マイペディア 「シベリア鉄道」の意味・わかりやすい解説

シベリア鉄道【シベリアてつどう】

シベリア南部を東西に横断する鉄道。厳密にはチェリャビンスクから東をさすが,一般にはモスクワからウラジオストクまでの9297kmの区間をいう。1891年着工,1897年イルクーツク〜ハバロフスク間を除く区間が完成。全線開通は1916年で,1937年全線複線化,1953年以降電化が進められ,現在は大部分が電化。路線の北方180〜500kmには,バイカル〜アムール間全長3145kmのバイカル・アムール鉄道(BAM(バム))がシベリア開発を目的として敷設され,1989年営業を開始。
→関連項目ウラジオストクカラガンダシベリア東清鉄道ナホトカ

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知恵蔵mini 「シベリア鉄道」の解説

シベリア鉄道

ロシア南部を東西に横断する鉄道のこと。シベリア横断鉄道。世界一長い鉄道として知られる。皇帝アレクサンドル3世の命により計画され、1891年に起工式が行われた。1904年に開通し、1916年にはウラル地方のチェリャビンスクとウラジオストクとを結んだ7416キロメートルが全通した。現在一般には、他の線路も含めウラジオストクとモスクワを結ぶ全長約9300キロメートルの鉄道のことを言う。2016年10月2日、日露の政府間協議の中で、シベリア鉄道を延伸しサハリンから北海道までをつなぐ建設案が浮上していることが報道された。

(2016-10-6)

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旺文社世界史事典 三訂版 「シベリア鉄道」の解説

シベリア鉄道
シベリアてつどう
Trains-Siberia Railway

南シベリアを東西に横断する鉄道
1891年に着工し,1916年に全線が開通した。ウラルのチェリヤビンスクと沿海州のウラジヴォストーク間を結び,東部では中国の東北地方(旧北満州)を通過する(旧東清鉄道)。全長7416㎞。蔵相ヴィッテの努力とフランス資本を背景に,19世紀末期からの極東進出を促進した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シベリア鉄道」の解説

シベリア鉄道(シベリアてつどう)

ヨーロッパ・ロシアと極東を結ぶロシアの鉄道。全長9297km。フランスから資金を導入して1891年に着工された。帝政ロシアの極東政策の手段とみなされ,完成に近づいた20世紀初めには日本側は警戒心を強め,その完成前に対露開戦に踏み切るとの考えが生まれた。完成は1905年。

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世界大百科事典(旧版)内のシベリア鉄道の言及

【シベリア開発】より

…これに60年代の後半から加速的になった鉄道建設による輸送力の増強が拍車をかけた。シベリア移民の輸送という点により決定的役割を果たしたのは91年から始まったシベリア鉄道の建設で,1881年には年間10万人だった移住者が99年には22万人に達した。シベリアの開発は人口の増加によく表れている。…

【大陸横断鉄道】より

…酷寒の地シベリアでの鉄道の建設は害虫と疫病にも悩まされ困難をきわめたが,流刑囚とイタリア人労働者の協力のもとに,わずか13年で完成した。おりから始まった日露戦争に役だてるため,ロシア政府は工事を急いだのだった(シベリア鉄道)。(3)オーストラリア オーストラリア大陸横断鉄道は1917年に完成しているが,区間によって線路の幅が異なるため,途中で4回乗り換えなければ東海岸のシドニーから西海岸のパースまでたどりつくことはできなかった。…

【BAM】より

…バイカル・アムール鉄道Baikalo‐Amurskaya Magistral’の略。レナ川上流のウスチ・クートからニジネアンガルスク(バイカル湖北岸),ティンダ(シベリア鉄道のバム駅まで鉄道が通じている)を経てアムール川下流のコムソモリスク・ナ・アムーレまでの全長3145kmの鉄道線。1974年に着工され,84年レール敷設を完了した。…

※「シベリア鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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