アムール川(読み)あむーるがわ(英語表記)Амур/Amur

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アムール川」の意味・わかりやすい解説

アムール川
あむーるがわ
Амур/Amur

ロシア、中国、モンゴルの3国にまたがり、ロシアと中国との国境をなして流れる世界屈指の大河。中国では黒竜江(ヘイロンチヤン)または黒河(こくが)(ヘイホー)という。源流オノン川が、モンゴル高原のヘンテイ山脈北麓(ほくろく)に発し、ネルチンスク付近でヤブロノイ山脈を源とするシルカ川に合流する。シルカ川は漠河(ばくが)の西でヘンテイ山脈の南麓に発するアルグン川と合流してアムール川となる。これより中ロ国境を北東から南東に流路を変え、ブラゴベシチェンスク左岸からゼヤ川を合流し、このあたりで渓流から緩やかな流れに変わって、沿岸平野のなかで蛇行を繰り返す。途中、右岸から松花江、さらにハバロフスクウスリー江をあわせて北東に転じ、ニコラエフスク・ナ・アムーレ付近で間宮海峡(タタール海峡)に注ぐ。

 ハバロフスク付近から河口に至るまでの約950キロメートルは、両岸に泥炭地や湿原が多く、川幅も10キロメートルに達する。全長4350キロメートル(アルグン、シルカ合流点より下流では2824キロメートル)、流域面積185万5000平方キロメートルで、東北アジア最大。水量は豊富で、モンスーンの影響を受ける夏から秋にかけて高水期を迎える。冬期の10月上旬から4月下旬にかけては結氷し、最低水位となる。本・支流とも結氷期以外は航路として利用され、極東沿海地方の一大交通動脈となっている。沿岸にはコムソモリスク、ハバロフスクなどの都市の発達をみるが、いずれもロシア側で、中国側には黒河のほかにみるべき都市がない。サケ、マス、コイ科の魚、チョウザメなど魚族に恵まれ、年間の漁獲量が多い。

[村田 護]

歴史

黒竜江が中国史上に名をみせるのは南北朝のころで、南の長白山に対する北の黒水として現れる。隋(ずい)・唐時代には、黒水靺鞨(まっかつ)の居住地として知られたが、黒竜江が歴史上重要性をもつのは、ロシア人が極東に進出した17世紀以降で、河川交通路として重要な役割をもつ黒竜江の沿岸地方では、清(しん)・ロシア両勢力の衝突が繰り返される。1689年ネルチンスク条約により、清・ロシア国境はアルグン川―外興安嶺(こうあんれい)と定められたが、19世紀に入ってロシアはふたたび南下して黒竜江の沿岸を占領し、1858年に愛琿(アイグン)条約を結んで黒竜江北岸の地を得、同時に黒竜江の航行権を獲得した。さらに1860年、北京(ペキン)条約で沿海州が割譲され、現在の国境が定められた。

[村田 護]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アムール川」の意味・わかりやすい解説

アムール川
アムールがわ
reka Amur

ロシアと中国の国境を流れたのちオホーツク海に注ぐ大河。中国名ヘイロン (黒竜) 江。東流してくるシルカ川と北東流してくるアルグン川 (中国ではエルグン〈額爾古納〉川) が,ロシア東部のザバイカリスキー地方東端,中国との国境で合流してアムール川となり,ハバロフスクまで国境を南東流,東流したのち,ハバロフスク地方を北東流してタタール海峡のアムール湾に注ぐ。全長 2824km。アルグン川の水源からは約 4424km。流域面積約 185万5000km2。上流部は主として山地の河谷を流れ,中流部でゼーヤブレヤ平原に出るが,右岸にはシヤオシンアンリン (小興安嶺) 山脈が迫る。下流部は大部分湿地帯を流れ,ところどころで分流し,沿岸には多数の湖沼が分布する。11月~5月は結氷。おもな支流は左岸のゼーヤ川ブレヤ川アムグン川,右岸のソンホワ (松花) 江ウスリー川。沿岸主要都市はロシアのブラゴベシチェンスク,ハバロフスク,コムソモーリスクナアムーレ,ニコラエフスクナアムーレ,中国のモーホー (漠河) ,フーマー (呼瑪) ,ヘイホー (黒河) 。不凍期には全長航行可能で,並行するシベリア横断鉄道とともに農産物,水産物,原油などを運ぶ大動脈となる。

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