ロシアが中国東北部に建設した鉄道。現在の中国長春鉄路。もと中東(中国東北)鉄道と称し,日本では東支鉄道,北満州鉄道と呼んだ。1896年の露清同盟密約により,ロシアは北満州を横断してシベリア鉄道とウラジオストクを結ぶ敷設権を獲得した。96年露清銀行・清国間の契約に基づき,97年ロシア政府の全額出資による中東鉄道会社が創立され,98年から着工した。98年にはハルビン~旅順間の南部線敷設権も獲得し,1901年全線開通,03年営業を開始した。05年ポーツマス条約により長春~旅順間とこれに付属する権益を日本に譲渡,06年日本は南満州鉄道株式会社を設立し,これを経営した。24年東清鉄道は中ソ共同経営となるが,満州事変後,日ソ交渉の末に35年全鉄道が〈満州国〉へ譲渡・売却された。ヤルタ協定によりソ連は全線の優先的利益を容認され,45年8月の中ソ友好同盟条約はこれを確認し,日本敗戦時に移管した。50年2月の中ソ友好同盟相互援助条約に基づき,中国長春鉄路は52年12月中国に無償返還された。
執筆者:小林 英夫
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満洲の幹線,ロシアのシベリア鉄道に接続する満洲里(マンチュリ)‐綏芬河(すいふんが)間の本線とハルビン‐大連間の南満洲支線からなる。本線は1896年の李鴻章(りこうしょう)‐ロバノフ密約により,南満洲支線は98年の遼東半島租借条約によりロシアがその敷設権を取得して建設,経営にあたった。日露戦争後,南満洲支線の長春‐大連間は日本に譲渡され,さらに満洲国成立後,1935年本線,支線ともに満洲国がロシアから買収して南満洲鉄道株式会社が経営にあたった。
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1898~1903年にロシアが満州に敷設した全長約2500kmの鉄道。極東進出をねらったロシアは,シベリア鉄道をウラジオストクに最短距離で結ぶため,清国から満州における鉄道敷設利権を獲得し,満州里―綏芬河(すいふんが)間を東西に結ぶ本線,ハルビン―旅順間の南満州支線を完成。日露戦争後,南満州支線の長春以南は日本に譲渡され,新設の南満州鉄道会社の経営となった。残った本線などは東支鉄道・中東鉄道・北満鉄道などとよばれ,ロシア(のちソ連)が管理したが,ロシア革命,列強のシベリア出兵,中国民族主義の台頭,満州事変などで経営がしばしば不安定となり,中ソ共同経営をへて,1935年(昭和10)に満州国に譲渡された。
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…工事はウラジオストクとウラル山脈の東側チェリャビンスクの両方からすすめられたが,経費は乏しく,冬季は酷寒であり,人跡未踏の地域も多く,工事は困難をきわめた。路線短縮,満州(中国東北)への進出企図などから,チタからまっすぐにウラジオストクまで満州を横断する,ロシア鉄道と同一軌幅(1.524m)の東清鉄道線を建設することを清国政府に承認させ,1903年これを完成した。04年に始まった日露戦争では大量の兵員,武器をヨーロッパ・ロシアから極東へ輸送する必要からシベリア鉄道の輸送力は増強され,未完成だったバイカル湖迂回線部分もこのとき開通し,ヨーロッパとアジアがはじめて連続した線路でつながれた。…
…日本の〈満州〉経略上のかなめとなった半官半民の国策会社。1905年のポーツマス条約により日本政府は長春~旅順間の東清鉄道およびその支線とそれに付属する権益,特権,財産ならびに撫順などの重要炭鉱の経営権を清国の承認を経てロシアから獲得した。この権利を運用するため06年勅令第142号〈南満州鉄道株式会社設立の件〉により児玉源太郎を委員長とする南満州鉄道株式会社設立委員会が設置され,このもとで06年11月に設立された。…
※「東清鉄道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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