シラヌカ場所(読み)しらぬかばしよ

日本歴史地名大系 「シラヌカ場所」の解説

シラヌカ場所
しらぬかばしよ

東蝦夷地における場所(漁場)の一つ。その範囲は西は直別ちよくべつ川をもってトカチ場所に、東はタン子ノニイをもってクスリ場所に接していた。後年、クスリ場所との境は「往古は浜なるフンベヲマナイと申処に有之候よし。然るをいつとはなくヲタノシケの少し脇此間凡十二三丁なるタン子ノニイと申候処え直したる也」とされており、またトカチ場所との境も往古は直別川より西のヲコツヘであったという。場所名はもとはシラリカといい、シラヌカの番屋の前の岩のある所の名をとって名付けられたとされる(場所境調書)。設定された時期は不明だが、享保十二年所附に「しらぬか」とみえている。シャクシャインの戦の後、それまでの商場から漁場へ移行し松前藩家臣の知行地となった。支配所持名前帳には飛内儀右衛門持の「志羅奴賀鳥屋一ケ所」とあり、鷹狩場の存在がうかがえる。一七三九年(元文四年)頃の給主も同人(蝦夷商賈聞書)、八〇年代には飛内亀右衛門(蝦夷草紙別録)、九一年(寛政三年)にも同人(東蝦夷地道中記)。「蝦夷商賈聞書」によれば出物はトカチ場所と同様干鮭などで、塩鶴はないという。また運上金は年々不同とされている。一七八六年(天明六年)頃には運上屋二戸があった(蝦夷拾遺)。同時期にシラヌカ場所の乙名はコタカ、小使はチヤラといい、請負商人は松前の材木屋藤右衛門、運上金は四〇両(蝦夷草紙別録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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