スウェーデン社会民主労働者党(読み)すうぇーでんしゃかいみんしゅろうどうしゃとう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

スウェーデン社会民主労働者党
すうぇーでんしゃかいみんしゅろうどうしゃとう
Sveriges socialdemokratiska arbetarepartietスウェーデン語

スウェーデンの社会民主主義政党。1889年パルム、ブランティングらを中心に結成。党機関紙は『ソシアルデモクラーテン』(1885創刊)。初期の党の路線については、アナーキストから改良主義者までに及ぶ各派の論争があったが、いちおう議会主義路線をとり、普通選挙運動を推進。20世紀になると右派の改良主義者が主導権を握り、1907年同派のブランティングが初代党首となる。議会には1896年初めて議席を得、1914年以後下院の第一党となる。1917年2月急進派が分離し、左派社会民主党を結成するが、残った多数派は10月、自由連合党のエデーン内閣に連立与党として参加。1920年3~10月ブランティングが初めて組閣、その後21~23年と24~25年ブランティング、25~26年サンドレルの下で政権を握り、軍縮と国際協調を推進。1932年以後、短期の中絶(36年6~9月)を除き46年まで、ハンソンを首班とし政権を担当、経済恐慌から脱出し、社会福祉制度を著しく整備。また、しだいに武装中立政策へと転換し、第二次世界大戦中は他党と連立して中立を堅持。1946年のハンソンの没後はエルランデル、69年以後はパルメの下で続けて政権を維持し、中立外交を進めるとともに、高福祉社会のいっそうの実現を図る。しかし、それに伴う高率課税や官僚主義などが批判を招き、1976年の選挙に敗れ政権を離れる。1982年の選挙には勝利を得、ふたたびパルメが組閣したが86年暗殺され、カールソンが後を継いだ。[本間晴樹]
 その後、カールソンが率いた1991年の選挙で敗れ、保守連合に政権を譲った。だが、1994年に行われた選挙では勝利を獲得、カールソンはふたたび首相の座についた。1996年に党首がカールソンからペーションに交替、2002年の選挙でもペーション党首のもとで勝利を収めた。しかし、ペーション政権が進めた財政再建のための福祉削減に対する反発や、失業率が増大したため、2006年の選挙で穏健党を中心とした保守4党連合に僅差で敗れ、12年間続いた政権を失った。[編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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