スウェーデンの社会主義運動家、政治家。ウプサラ大学卒業後ジャーナリストとなり、1886年『ソシアルデモクラーテン』紙記者、1888年同紙編集長。1889年スウェーデン社会民主労働者党結成に参加、党内右派の指導者となった。1896年社会主義者として最初の下院議員。1907年初代の正式党首となった。改良主義的政策を唱え、普通選挙問題などでしばしば自由主義者と提携。1917~1918年自由連合党との連立内閣で財務大臣となった。1919~1920年パリ講和会議代表、第二インターナショナル議長。1920年3月初めて首相となったが、選挙で敗れ10月辞任。1921~1923年第二次内閣を組織した。1924年第三次内閣を組織し、健康上の理由で1925年1月辞任、翌月死亡。1921年ランゲChristian Lous Lange(1869―1938)とともにノーベル平和賞を受賞。
[本間晴樹]
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