ブランティング(読み)ぶらんてぃんぐ(英語表記)Karl Hjalmar Branting

デジタル大辞泉 「ブランティング」の意味・読み・例文・類語

ブランティング(Karl Hjalmar Branting)

[1860~1925]スウェーデン政治家社会民主労働党結成参加、のち党首。その後、蔵相首相歴任して労働者の地位向上に尽力。1921年、C=H=ランゲとともにノーベル平和賞受賞

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブランティング」の意味・わかりやすい解説

ブランティング
ぶらんてぃんぐ
Karl Hjalmar Branting
(1860―1925)

スウェーデンの社会主義運動家、政治家。ウプサラ大学卒業後ジャーナリストとなり、1886年『ソシアルデモクラーテン』紙記者、1888年同紙編集長。1889年スウェーデン社会民主労働者党結成に参加、党内右派の指導者となった。1896年社会主義者として最初の下院議員。1907年初代の正式党首となった。改良主義的政策を唱え、普通選挙問題などでしばしば自由主義者と提携。1917~1918年自由連合党との連立内閣財務大臣となった。1919~1920年パリ講和会議代表、第二インターナショナル議長。1920年3月初めて首相となったが、選挙で敗れ10月辞任。1921~1923年第二次内閣を組織した。1924年第三次内閣を組織し、健康上の理由で1925年1月辞任、翌月死亡。1921年ランゲChristian Lous Lange(1869―1938)とともにノーベル平和賞を受賞。

[本間晴樹]

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改訂新版 世界大百科事典 「ブランティング」の意味・わかりやすい解説

ブランティング
Karl Hjalmar Branting
生没年:1860-1925

スウェーデンの新聞編集長,社会民主労働党委員長。1920-23,24-25年首相を務める。青年時代ドイツの社会主義を同国に導入し,新聞の主幹を務めた後,政治家に転じた。社民党の指導者として労働者の地位向上に腐心し,男子普通選挙権,老齢年金婦人参政権,8時間労働など次々と法制化に尽力した。同国の社会民主主義の理論を確立し,精力的に実践して福祉国家の礎を築いた。21年にノーベル平和賞を受賞。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブランティング」の意味・わかりやすい解説

ブランティング
Branting, Karl Hjalmar

[生]1860.11.23. ストックホルム
[没]1925.2.24. ストックホルム
スウェーデンの政治家,ジャーナリスト。ストックホルム,ウプサラ両大学で科学を学んだのちジャーナリストとなり,1886~1917年日刊紙"Social-Demokraten"主筆,1889年社会民主労働党の創設に参加。 96年下院議員,1907年社会民主労働党党首,17年蔵相,20,21~23,24~25年首相。平和主義者として 21年ノーベル平和賞を受けた。

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百科事典マイペディア 「ブランティング」の意味・わかりやすい解説

ブランティング

スウェーデンの政治家。1889年スウェーデン社会民主党を創立,1907年党首。1896年以後国会議員として労働者の地位向上に尽力。第1次世界大戦には中立を主張し,早期終結に努力した。戦後3度組閣。老齢年金,婦人参政権,8時間労働などの法制化につとめ,福祉国家スウェーデンの基礎を築いた。1921年ノーベル平和賞。

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