セイシェル(読み)せいしぇる(英語表記)Republic of Seychelles 英語

精選版 日本国語大辞典 「セイシェル」の意味・読み・例文・類語

セイシェル

(Seychelles) インド洋西部、マダガスカル島の北東方にある、セイシェル諸島を中心とした約九〇の小島から成る共和国。一九七六年、イギリス領から独立。漁業を主とするが、観光地としても発展。首都は、主島マヘ島ビクトリア

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セイシェル」の意味・わかりやすい解説

セイシェル
せいしぇる
Republic of Seychelles 英語
République des Seychelles フランス語

アフリカ大陸東岸タンザニア、ケニアの東方約1700キロメートルのインド洋に位置するセイシェル諸島を中心とする島嶼(とうしょ)国。主島マヘ島のあるセイシェル諸島のほか、アミラント諸島、プロビデンス諸島、アルダブラ諸島コスモレド諸島など約100の小島からなる。面積はわずか457平方キロメートルにすぎないが、103.6万平方キロメートルの海洋に島々が点在している。人口9万0945(2010センサス)、9万8000(2020世界銀行)。首都はマヘ島のビクトリア。正式名称はセイシェル共和国Republic of Seychelles。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

自然

島々は北東部の花崗(かこう)岩性の島と南部や西部のサンゴ礁の島からなる。花崗岩性の島は山がちで、急峻(きゅうしゅん)あるいは半球形の山頂、海岸の巨岩などが美しさを添えている。サンゴ礁性の島は平坦で標高が低く、多くが未開拓で無人島である。気候は赤道に近いが海洋性気候のため、沿岸部の気温は通年27℃前後で安定している。マヘ島海岸部の年降水量は2360ミリメートルであるが、山岳部では3550ミリメートルに及ぶ。5~9月は南東モンスーンが吹いて比較的涼しく晴天が続き、12~3月は北西モンスーンによって雨が多く暑くなる。

 雌株には女性臀部(でんぶ)の形をした実がなり、雄株の花房は男性性器の形状を呈することから、多くの夢と想像をもたらしたオオミヤシフタゴヤシ。フランス語でココ・ド・メールとよばれる)が北東部のプララン島ヴァレ・ド・メ国立公園(メ渓谷自然保護区)に自生する。南西部のアルダブラ環礁は絶滅したリクガメの近縁種アルダブラゾウガメの生息地として知られ、ヴァレ・ド・メとともに世界遺産(自然遺産)に登録されている。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

歴史

1502年にバスコ・ダ・ガマがセイシェル南部のアミラント諸島を「発見」して以来、アラブ人やポルトガル人が訪れていた。1742年にフランス領であったモーリシャスの総督マエー・ド・ラブルードネBertrand-François Mahé de La Bourdonnais(1699―1753)の命により探検隊が派遣され、1770年代にモーリシャスから開拓者が来島した。主島のマヘ島は総督名、国名は当時のフランスの蔵相ジャン・モロー・ドゥ・セシェルJean Moreau de Séchelles(1690―1761)に由来する。フランスとイギリスによる争奪戦のすえ1794年にイギリス海軍が支配し、1814年のパリ条約でイギリスの領有権が承認された。19世紀には当時イギリス領であったモーリシャスの属国として支配されていたが、1903年にアミラント諸島、コスモレド諸島などの多数の島々をあわせて広くセイシェル諸島としてイギリスの直轄植民地となり、総督が置かれた。1976年にイギリス連邦内の共和国として独立した。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

政治

独立前の1964年に、マンチャムJames Mancham(1939―2017)を党首としてイギリスとの連係を望むセイシェル民主党(SDP:Seychelles Democratic Party)と完全な独立を主張するルネFrance-Albert René(1935―2019)が率いるセイシェル人民連合党(SPUP:Seychelles People's United Party)が誕生した。1967年に最初の普通選挙が実施され、両党の勢力が拮抗(きっこう)したが、1970年にはSDPが勝利し、マンチャムが首相に就任した。しかしイギリスがマンチャムの掲げる連係を拒否したため、1973年、方針を変更し単独独立を企図した。1975年の立憲会議で独立を準備する政府が成立し、1976年6月28日にイギリス連邦内の共和国として独立、大統領にマンチャム、首相にルネが選出された。

 1977年6月、マンチャムがロンドンでのイギリス連邦会議に出席した不在中にルネがクーデターを起こし、新大統領となった。1978年6月SPUPはセイシェル人民進歩戦線(SPPF:Seychelles People's Progressive Front)と改称され、翌1979年には社会主義を志向する新憲法が発布された。以後、同党による一党支配が続いたが、1993年に複数政党制を定めた新憲法が発布され、同年7月の大統領選挙と議会選挙の結果、ルネが4選を果たすとともに議会でもSPPFが圧倒的多数の議席を占めた。同選挙後、ルネは自由経済路線へと政策を転換し、1998年3月、2001年9月の大統領選挙でも再選されて通算6選(新憲法のもとでも3選)を果たした。

 2004年4月、ルネは高齢を理由に大統領を引退し、かわって副大統領ミッシェルJames Alix Michel(1944― )が新大統領に就任、2006年7月の大統領選挙にも勝利した。なお、与党SPPFは、2009年6月に党名を人民党(PL:Parti Lepep。英語でPeople's Party)に改称した。ミッシェルは、2011年5月、2015年12月の大統領選挙にも勝利し再任されたが、2016年12月、憲法改正により大統領任期が3期から2期になったため、任期途中で退任し、副大統領のフォールDanny Faure(1962― )が新大統領に就任した。2018年11月、与党の人民党はセイシェル連合(United Seychelles)に改称した。2020年10月の大統領選挙では、野党セイシェル民主連合(LDS)のラムカラワンWavel Ramkalawan(1961― )が勝利し、1977年のクーデター以降、セイシェル内政史上初の民主的選挙による政権交代が実現した。大統領の任期は5年。議会は一院制の国民議会で議席数は34、議員任期は5年である。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

経済・産業

セイシェルの主要産業は観光産業であり、国内総生産(GDP)の約30~40%を占める。1971年のマヘ国際空港の開設以来、観光ホテルや外国人観光客が急増した。2019年の観光客数はおよそ43万人で、人口の約4倍の外国人観光客が訪れていることになる。農業や漁業は零細で、工業は食品加工に偏っており、貿易は大幅赤字を続けている。輸出品は、かつてはシナモン、バニラなどのスパイスやコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)などの農産品であったが、近年ではマグロ缶詰が約9割を占め、ほかには冷凍水産品などの漁業関連品が多い。一方、輸入品としては主食の米などの食料品、石油製品、機械製品が多い。通貨はセイシェル・ルピー。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

社会・文化

住民のほとんどは白人入植者と奴隷間の婚姻などによるヨーロッパ人と黒人との混血=クレオールである。ほかにイギリスの植民地時代に連れてこられたインド人と中国人の子孫、そしてヨーロッパ人が居住している。言語は英語、フランス語、クレオール語(フランス語とアフリカ諸語の合成語)がともに公用語として併用されている。

 宗教は、カトリック82%、イギリス国教会6%などキリスト教徒が多く、イスラム教徒やヒンドゥー教徒も少数存在する。初等・中等教育の義務教育は無料で、高等教育機関としてマヘ島に教員養成のためのカレッジが置かれている。

[寺谷亮司 2022年3月23日]

日本との関係

日本とは1976年(昭和51)に外交関係を樹立した。日本国大使館はなく、在ケニア日本国大使館が業務を兼轄している。日本へは、おもに冷凍マグロを輸出し、自動車を輸入している。在留邦人数は7人(2019)。

[寺谷亮司 2022年3月23日]


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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セイシェル」の解説

セイシェル
Seychelles

マダガスカル島南東の約90の群島からなる国。7世紀アラブ人が来訪し,17世紀に海賊の基地となった。18世紀半ばフランスが支配下に入れたが,18世紀末イギリスが占領し,1814年植民地とした。1976年の独立後は非同盟主義を維持。

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