日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
セントルイス・カージナルス
せんとるいすかーじなるす
St.Louis Cardinals
アメリカのプロ野球球団。ナショナル・リーグ所属(中地区)。フランチャイズをミズーリ州セントルイスに置き、ブッシュ・スタジアムを本拠地としている。球団名の変遷は、セントルイス・ブラウンス(1892年)―セントルイス・パーフェクトズ(1899年)―セントルイス・カージナルス(1900年)。
アメリカン・アソシエーションが創設された1882年から加盟していたブラウンストッキングスが前身。翌年からブラウンスと改称したが、1891年限りで同リーグは消滅。1892年からナショナル・リーグに加盟した。1899年の1年だけパーフェクトズを名のり、1900年から現名称となった。球団初優勝は1926年。強打者ロジャース・ホーンスビーが監督兼任で強打を振るい、同年途中でシカゴ・カブスから移籍してきた大投手ピート・アレキサンダーPete Alexander(1887―1950)がニューヨーク・ヤンキースとのワールド・シリーズでも活躍して「世界一」となった。主砲ジム・ボトムリーJim Bottomley(1900―1959)が本塁打と打点の二冠王となった1928年にリーグ優勝し、1930年にもリーグ優勝。1931年はフィラデルフィア・アスレチックス(現、オークランド・アスレチックス)を降してワールド・シリーズを制した。1934年には、ディジー・ディーンDizzy Dean(1910―1974)が最多勝と奪三振王を獲得して最優秀選手(MVP)となる活躍でリーグ優勝し、ワールド・シリーズではデトロイト・タイガースを破った。1941年に「ザ・マン」とよばれ七度首位打者になったスタン・ミュージアルがデビューすると、1942年から3年連続リーグ優勝して1942年と1944年にワールド・シリーズを制し、1946年にも「世界一」となった。ミュージアルは1963年で引退したが、豪腕ボブ・ギブソンがエースとしてチームの柱となり、1964年、1967年にもワールド・シリーズを制した。ギブソンが最優秀防御率と奪三振王を獲得し、サイ・ヤング賞とMVPを同時受賞した1968年はリーグ優勝したが、ワールド・シリーズではタイガースに敗れた。なおこの間、1966年には本拠地ブッシュ・スタジアム(旧)が開場した。両リーグ2地区制となった1969年から東地区の所属となった。ストライキで前、後期制となった1981年から名将ホワイティー・ハーゾグDorrel Norman Elvert "Whitey" Herzog(1931―2024)が監督に就任。機動力と守備力で1982年にワールド・シリーズに勝ち、1985年と1987年にもリーグ優勝した。中心となったのは、「オズの魔法使い」とよばれた名遊撃手オジー・スミスであった。両リーグ3地区制が導入された1994年からは中地区所属となった。1996年から、オークランド・アスレチックスで名将とよばれたトニー・ラルーサが監督に就任。1年目から地区優勝した。1997年途中にアスレチックスからマーク・マグワイアをトレードで獲得。マグワイアは1998年にシカゴ・カブスのサミー・ソーサと激しいホームランレースを展開し、当時の新記録となるホームラン70本を打って本塁打王となった。2000年、2002年には地区優勝、2001年は2位ながらワイルドカード(リーグごとに各地区優勝チーム以外の最高勝率チームに与えられるプレーオフ進出の権利)となり、3年連続でプレーオフに進出。しかし、いずれもリーグ優勝はできなかった。マグワイアの現役最終年となった2001年に、強打のアルバート・プーホルスがデビューし、満票で新人王に選ばれた。2004年には17年ぶりのリーグ優勝を果たし、ワールド・シリーズでボストン・レッドソックスと対戦。4連敗を喫して「世界一」は逃した。翌2005年も地区優勝したが、プレーオフで敗れ、2年連続のリーグ優勝はならなかった。
[山下 健]
2006年以降
2006年には新ブッシュ・スタジアムが開場した。チームも3年連続地区優勝、チャンピオンシップ・シリーズでニューヨーク・メッツを破り、リーグ優勝を果たした。ワールド・シリーズではデトロイト・タイガースを4勝1敗で降し、24年ぶり10回目の「世界一」となった。しかし、翌2007年は勝率5割を切り、3位に終わった。なお、2002年から2007年まで田口壮(そう)がプレー、脇役ながら貴重な戦力としてチームに貢献した。
1892年から2007年までの通算成績は、9062勝8763敗、地区優勝9回、リーグ優勝17回(うち1リーグ時代は0回)、ワールド・シリーズ優勝10回。
[編集部]