ソシュール/用語解説(読み)そしゅーるようごかいせつ

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ソシュール/用語解説
そしゅーるようごかいせつ

アナグラム anagramme
 ベーダ詩、ギリシア・ローマ詩のなかにみいだされる特殊な技法の一つ、とソシュールが考えたもので、詩句に〈キー・ターム〉mot-clもしくは〈テーマ語〉mot-thme(多くの場合その詩の主題と関連ある固有名詞)の音的要素が散種されている現象。これは、詩句の発想と成立にとっての母型がミニアチュアのような形をとって詩のなかに象嵌(ぞうがん)されている〈主題象嵌〉mise en abymeでもある。
 アナグラムは、語の下に語を潜ませ、テクストの背後にテクストを同時存在せしめることによって、〈線状性〉linaritという制約のもとにある言語にポリフォニー(多声音楽)的性格を回復させるばかりか、これに分節・未分節の両義性を体現させる詩人の無意識的営為である。一連の語の下に潜む異なった位相の語は既成の分節の境界線を崩れさせ、そこではことばが単線にして複線、不連続にして連続、非可逆にして可逆という双面を有し、意識と無意識の間の枠が取り払われ、その断層の間の流れとなって漂う。
 アナグラム研究は、コード違反によって得られる〈パラグラム〉paragramme的読解という読みの可能性を生み出すとともに、言語以前の欲動の世界、夢や無意識の領域にも新たな照明が当てられる契機となった。
共時態(きょうじたい)・通時態(つうじたい) synchronie, diachronie
 その対象が一つの価値体系である科学においては、時間軸上の一定の状態(価値の均衡)とその変化(価値の変動)を峻別(しゅんべつ)すべきだという考えから生まれた方法論的概念。前者を共時態(静態status)とよび、後者を通時態(動態motus)とよぶ。現実には、体系は刻々と移り変わるばかりか、複数の体系が重なり合って共存するが、時間の作用をいちおう無視して言語を記述する研究を〈共時言語学〉linguistique synchroniqueという。これに対して、時代の移り変わるさまざまな段階で記述される共時的な断面と断面を比較し、言語体系総体の変化をたどろうとする研究が〈通時言語学〉linguistique diachroniqueである。
形相(けいそう)・実質(じっしつ) forme, substance
 前者は、ソシュールが「言語とは物理的・生理的・心理的事実の集成体ではなく、体系内の各要素間の関係からなる」とした考えを、イェルムスレウL. Hjelmslevが術語化したものであって、〈関係の網〉にあたる概念である。アリストテレスの〈形相〉eidos(エイドス)とは異なる。この関係態は、ほとんどの場合実質に支えられている。自然言語に限っていえば、実質は音的実質と意味的実質の二つに分けられよう。そのいずれも、言語の網(形相)を投影させない限り、どこにくぎりを入れようもない連続体であって、それ自体は体系とは無関係な存在である。音的実質が、人間によって発声・聞き取り可能なすべての物質音であるとすれば、意味的実質は、人間によって体験可能なすべての言語以前的現実である。ことばは形相を通してその両面にくぎりを入れ、一方では物質音を対立関係に置き、他方では生体験を概念化する働きをもつ。
恣意性(しいせい) arbitraire
 次の二つの恣意性を区別せねばならない。第一の恣意性は、言語記号内部において音のイメージとそれが担う概念との間にいささかも自然かつ論理的な絆(きずな)がないという事実をさし、第二の恣意性は、言語記号そのものの分節が、本能図式に基づく生体的ゲシュタルトをそのまま反映していない事実をさしていう。いずれの恣意性も、反自然性という点では共通しているが、第一の恣意性が個別辞項の内部の絆にかかわるものである限り、これは、第二の恣意性によって体系内の価値が成立したのちの問題でしかありえない。
 また、上の二つの恣意性が、制度内においては、個人も大衆も手のつけようのない〈必然性〉として映る逆説を指摘しておくべきだろう。物象化した日常意識にあっては、ことばとはそれと必然的に結び付く観念・事物を指し示すコミュニケーションの道具であり、ある言語音のイメージは、いやおうなしにある特定の意味を担っている。またその価値の布置図式にしても、特定共時文化のなかに生まれ落ちた個人にとっては、必然的ア・プリオリであるかのように思われる。しかし、ことばのもつ必然性は、実践的惰性態としての制度の強制力がもたらす必然にすぎず、ヒトという動物種の生理的必然と混同すべきではない。意味と音のイメージが切り離せないのは、それがあくまでも非自然的な歴史・社会的産物である限りにおいてであり、辞項の価値が必然的なのは、それがあくまでも非本能的な歴史・社会的実践によってもたらされた文化的化石である限りにおいてである。
シーニュ、シニフィアン、シニフィエ signe, signifiant, signifi
 一般には「自らとは別の現象を告知したり指示したりするもの」をシーニュ(記号)とよび、そこには〈図像〉icone、〈指標〉indice、〈徴候〉symptme、〈象徴〉symboleなども含まれるが、ソシュールにおけるシーニュは、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)からなる不可分離な双面体をさす。
 重要な点は、〔1〕シーニュが、あらかじめ別々に存在する二つの実体を結び合わせてつくられたものではなく、シニフィアンとシニフィエはシーニュの誕生とともに生まれ、互いの存在を前提としてのみ存在すること、〔2〕シニフィアン、シニフィエともに〈形相〉formeであって〈実質〉substanceではない、ということである。〔1〕をいいかえれば、言語記号は同時に表現であり内容であるという認識にほかならず、〔2〕からわかることは、シニフィエを〈指向対象〉rfrentと混同したり、シニフィアンを〈物質音〉son matrielと混同してはならないという戒めであろう。
ランガージュ、ラング、パロール langage, langue, parole
 ランガージュは人間のもつシンボル化能力とその諸活動(言語、所作、音楽、絵画、彫刻など)のこと。広義のことばにあたる。この能力は生得的ではあっても本能とは異なり、生後一定期間内に社会生活を営まなければ顕現しない。ランガージュは自我をつくる根源であって、そのほかにも時間・空間意識をはじめ想像力、羞恥(しゅうち)心、エロティシズムなどを生み出す。したがって、これは人間を他の動物から弁別する文化のしるしとみなされる。
 ランガージュが個別社会において独自の構造となりコード化されたものをラングとよぶ。日本語とかフランス語といった諸言語のことである。これは、個人の行為を規制する条件・規則の総体としての価値体系とみなされよう。
 パロールは、個人がラングの規則に従って自らの意思を表白するために行う具体的な言行為をさす。現実には、制度としてのラングの強い規制のもとにあるが、ラングそのものを変革する働きもまた、この実践を通してのみ可能となる。したがって、ラングをコードとみなし、パロールをメッセージと解するのみではなく、両者が相互依存の形をとっていることも忘れてはなるまい。
 アリストテレス的概念とそのまま重なり合うわけではないが、ランガージュを〈デュナミス〉dynamis(=可能態・潜勢能力)、ラングを〈エルゴン〉ergon(=作品)、パロールを〈エネルゲイア〉energeia(=現実態・活動)と解することができる。[丸山圭三郎]

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