精選版 日本国語大辞典 「ソシュール」の意味・読み・例文・類語
ソシュール
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スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891-1913)。1907年,08-09年,10-11年の3回にわたって行われた〈一般言語学講義〉は,同名の題《一般言語学講義Cours de linguistique générale》(1916)のもとに弟子のC.バイイ,セシュエA.Sechehaye(1870-1946)および協力者リードランジェA.Riedlingerの手によって死後出版されたが,この書を通して知られるソシュールの理論は,後年プラハ言語学派(音韻論)やコペンハーゲン言語学派(言理学)などに大きな影響を与え,構造主義言語学(構造言語学)の原点とみなされている。そのインパクトは言語学にとどまらず,文化人類学(レビ・ストロース),哲学(メルロー・ポンティ),文学(R. バルト),精神分析学(J. ラカン)といったさまざまな分野において継承発展され,20世紀人間諸科学の方法論とエピステモロジーにおける〈実体概念から関係概念へ〉というパラダイム変換を用意した。また,1955年以降,ゴデルR.Godelによって発見された未刊手稿や講義録(Les sources manuscrites du Cours de linguistique générale,1957)のおかげで,それまでのソシュール像は大きく修正され,さらにエングラーR.Englerの精緻なテキスト・クリティークによる校定版(Cours de linguistique générale,editioncritique,1967-68,1974),スタロビンスキJ.Starobinskiのアナグラム資料(Les motssous les mots:Les anagramme de F.de Saussure,1971)によれば,ソシュールの理論的実践分野は,一般言語学と記号学sémiologieの2領域に大別することができる。
弱冠21歳で発表した《インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo-européennes》(1878)は少壮(青年)文法学派の業績の一つと考えられていたが,これはすでに従来の歴史言語学への批判の書であり,その関係論的視座は1894年ころまでに完成したと思われる一般言語学理論と通底するものであった。ソシュールはまず人間のもつ普遍的な言語能力・シンボル化活動を〈ランガージュlangage〉とよび,これを社会的側面である〈ラングlangue〉(=社会制度としての言語)と個人的側面である〈パロールparole〉(=現実に行われる発話行為)とに分けた。後2者は,コードとメッセージに近い概念であるが,両者が相互依存的であることを忘れてはならない。人びとの間にコミュニケーションが成立するためには〈間主観的沈殿物〉としてのラングが前提となるが,歴史的には常にパロールが先行し,ラングに規制されながらもこれを変革するからである。ソシュールはついで,言語の動態面の研究を〈通時言語学〉,静態面の研究を〈共時言語学〉とよび,この二つの方法論上の混同をいましめた。彼はまた,プラトンや聖書以来の伝統的言語観である〈言語命名論〉や〈言語衣装観〉を否定し,言語以前にはそれが指し示すべき判然と識別可能な事物も観念も存在しないことを明らかにする。言語とは,人間がそれを通して連続の現実を非連続化するプリズムであり,恣意的(=歴史・社会的)ゲシュタルトにほかならない。したがって,言語記号は自らに外在する指向対象の標識ではなく,それ自体が〈記号表現〉(シニフィアンsignifiant)であると同時に〈記号内容〉(シニフィエsignifié)であり,この二つは互いの存在を前提としてのみ存在し,〈記号〉(シーニュsigne)の分節とともに産出される(なお,かならずしも適切な訳語とはいえないが,日本における翻訳紹介の歴史的事情もあって,signifiantには〈能記〉,signifiéには〈所記〉の訳語がときに用いられる)。これはギリシア以来の西欧形而上学を支配していたロゴス中心主義への根底的批判であり,この考え方が次に見る文化記号学,文化記号論の基盤になったと言えよう。
→言語学
これは社会生活において用いられるいっさいの記号を対象とする学問で,非言語的なシンボルもそれが文化的・社会的意味を担う限りにおいて一つのランガージュとしてとらえられる。その結果,あらゆる人間的行動は,その背後に隠された無意識的ラングという文化の価値体系における〈差異化現象〉として位置づけられ,所作,音楽,絵画,彫刻からモードにいたるまで,すべて〈記号〉の特性のもとにその本質が照射される。狭義の言葉が音声言語であるのは偶然にすぎず,記号とは,視覚,嗅覚,触覚,味覚といったいかなる感覚に訴える手段を用いても顕在化される〈関係態〉であって,それが体系内の何かと対立する限りは,〈実質substance〉を有さないゼロの形をとることさえ可能である。この〈形相forme性〉は〈恣意性arbitraire〉の帰結であり,文化記号の価値は即自的に存在するものではなく,一つには体系内の他の辞項の共存により,二つにはこれを容認し沈殿せしめる集団的実践によって,決定されることが明らかになる。その結果生ずる記号の物神性は,構造自体が内包する反構造的契機によってのみ克服される,と考えたソシュールは,静態的〈記号分析〉から力動的〈記号発生の場〉の闡明(せんめい)へと移行し,晩年の神話・アナグラム研究へと歩を進めたが,その理論的完成を待たずに没し,いくつかの貴重な示唆を残すにとどまった。
→記号
執筆者:丸山 圭三郎
スイスの科学者,登山家。クーシェに生まれた。大学で哲学を学ぶが自然科学を専門とし,気象学,鉱物学,生物学などを研究,1762-86年ジュネーブ大学教授をつとめた。毛髪湿度計や天色計vanomètreの考案がある。登山史上は〈アルプス登山の父〉といわれ,86年M.パカールとJ.バルマがモン・ブラン初登頂を果たしたのはソシュールの熱心な後援によるもので,翌87年にはソシュール自身もモン・ブランに登頂して気象観測などを行った。また,モンテ・ローザなど多くの山に登り,アルプスの地質構造,氷河,植物分布などの科学的研究を行い,その記録を《アルプス旅行記》4巻(1779-96)に著し,登山誌の古典として,登山愛好家に多くの影響を与えた。なお,《植物の化学的研究》(1804)を著し,植物生理学の分野に功績を残したニコラ・テオドール・ド・ソシュールNicolas Théodore de Saussure(1767-1845)は彼の子であり,言語学者として名高いフェルディナン・ド・ソシュールは曾孫にあたる。
執筆者:徳久 球雄
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[現代文化記号論の発展]
人間と文化を記号として解明しようとする現代文化記号論の理論モデルは構造言語学である。パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。…
…彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]
近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれるF.deソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリでA.メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。…
…ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。…
…人間的実存についてのこうした考えに立って彼は,《ヒューマニズムとテロル》(1947)や《意味と無意味》(1948)に集められた論文において,マルクス主義の歴史哲学や政治哲学に新たな照明を当て,それを決定論や全体主義から解放することによって,実存主義とマルクス主義の統合を図っている。
[中期の思想]
1940年代末に行われたソシュール言語学の批判的摂取がきっかけとなり,50年代に入るとその思想は〈構造主義〉といってもよい方向に新たな展開を見せる。初期の思想が言語以前の知覚経験を根源的なものと見,言語をその延長線上に位置づけていたのに対し,この時期には知覚経験そのものがすでに言語によって媒介されていると考えられ,そこにもラングとパロールの関係が探しもとめられることになる。…
…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…
…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソー,H.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…
…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…
…この日,アルプスの最高峰モン・ブランは,シャモニに住む水晶採りのジャック・バルマと医者のガブリエール・パカールによって初登頂された。この登頂にはスイスの学者H.B.deソシュールが大きく貢献している。ここに山登りそのものを目的とする〈登山〉という新しいスポーツが誕生した。…
…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソー,H.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…
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[近代的登山の発展]
近代的登山の幕開けとなったのはアルプスの最高峰モン・ブラン(4807m)登頂である。1760年,ジュネーブの自然科学者H.B.deソシュールはフランスのシャモニを訪れ,モン・ブランの初登頂者に賞金を出すことを提唱し,これにこたえ86年シャモニの医者M.G.パカールと案内人の水晶取りJ.バルマが登頂に成功した。ソシュール自身も翌年登頂している。…
…初登頂は1786年8月8日。スイス人地質学者H.B.deソシュールの賞金提供(1760)がきっかけで,地元シャモニの医師G.パカールと水晶採りのJ.バルマの両名によってフランス側からなされた。これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。…
※「ソシュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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