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ソシュール ソシュールSaussure, Ferdinand de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ソシュール
Saussure, Ferdinand de

[生]1857.11.26. ジュネーブ
[没]1913.2.22. ジュネーブ
スイスの言語学者,ジュネーブ大学教授 (1901~13) 。 20世紀の言語学に決定的な影響を与え,構造主義言語学の祖とも呼ばれる。みずからは印欧語比較文法の分野で少数の論文を残しただけであるが,そのなかでは印欧祖語に新しい音素を設定した『インド=ヨーロッパ諸語の母音の原体系についての覚え書』 (1878) が特に有名である。言語学史上,重要な意義をもつのは,ジュネーブ大学での講義を彼の死後 C.バイイと A.セシュエが編集して出版した『一般言語学講義』 Cours de linguistique générale (1916) で,ここでは,言語活動ラングパロールに分け,言語学はまずラングを対象とするものであり,その研究法として共時言語学通時言語学とを峻別すべきことを説く。そして,言語の本質は互いに対立をなしておのおのの価値をもつ要素から成る記号体系であると強調する。これらの学説は,当時歴史的な面に集中していた言語研究を記述言語学へと向わせ,個別的なものの寄せ集めになりがちだった記述に構造,体系の骨組みを与えるうえに決定的な役割を果し,直接的ジュネーブ学派の祖となるとともに,間接的には欧米の構造言語学の出発点となった。

ソシュール
Saussure, Nicolas Théodore de

[生]1767. ジュネーブ
[没]1845. ジュネーブ
スイスの植物学者。父は高名なアルプス探検家。植物の養分摂取や炭酸同化について広範な研究を行なった。とりわけ,生長のみならず植物の生存にとっても二酸化炭素 (炭酸ガス) が必須であり,炭酸同化の際に植物が酸素を放出すること,光が当っていなければそれが起らないことを明らかにしたのは重要な業績とされる。また,植物を焼いたあとに残る灰は根が土中より吸収した無機物に由来することを立証し,それら無機物が植物の生長にとって本質的な役割を果すことに気づいた。以上のような結論はすべて定量的な実験に基づいて引出されており,著書『植物に関する化学的研究』 Recherches chimiques sur la végétation (1804) は,植物の栄養生理に関する研究にとって礎石の一つとなった。

ソシュール
Saussure, Horace Bénédict de

[生]1740.2.17. ジュネーブ
[没]1799.1.22. ジュネーブ
スイスの物理学者,地質学者,アルプス登山の祖。1762年にジュネーブ・アカデミーの物理学,哲学教授に就任。1766年,おそらく世界初の電位計を開発した。30年以上に及ぶ地質学研究の成果をまとめた著作 "Voyages dans les Alpes"(1779~96)第1巻で,「地質学」ということばを初めて使用した。1783年,ヒトの毛髪を使った湿度計(毛髪湿度計)を考案した。花崗岩の起源の調査実験なども行なった。

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デジタル大辞泉の解説

ソシュール(Saussure)

(Horace-Bénédict de ~)[1740~1799]スイスの地質学者・登山家。1786年のモンブラン初登頂を後援、翌年自らも登頂した。著「アルプス山旅行」。
(Nicolas-Théodore de ~)[1767~1845]スイスの植物生理学者。の子。植物は根から窒素化合物を吸収し、ガス交換二酸化炭素を吸収して酸素を放出することなどを発見。
(Ferdinand de ~)[1857~1913]スイスの言語学者。の曽孫。ドイツに学び、パリやジュネーブで教育・研究にあたった。印欧語研究にめざましい業績をあげたほか、講義をまとめた「一般言語学講義」は言語理論の発展に大きな影響を及ぼし、構造主義言語学の礎となった。

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百科事典マイペディアの解説

ソシュール

スイスの言語学者。ライプチヒベルリン両大学で印欧比較言語学を学んだ。パリの高等学術研究所で比較言語学,のちジュネーブ大学で比較言語学,サンスクリット学を担当,フランコ・スイス学派ジュネーブ学派の基を築いた。
→関連項目記号論コペンハーゲン言語学派シニフィアン/シニフィエバンブニストプラハ言語学派

ソシュール

スイスの地質学者,登山家。ジュネーブ近くの農家の子。ジュネーブ大学教授。アルプスの地質研究の開拓者。アルプスを縦横に旅行,《アルプス紀行》4巻を著した。また彼の提供した懸賞がもとで1786年フランス人バルマとパカールがモン・ブランへ登頂,翌年ソシュール自身も登頂に成功,近代アルピニズムへの道が開かれた
→関連項目アルプス[山脈]登山

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世界大百科事典 第2版の解説

ソシュール【Ferdinand de Saussure】

1857‐1913
スイスの言語学者,言語哲学者。ジュネーブ大学教授(1891‐1913)。1907年,08‐09年,10‐11年の3回にわたって行われた〈一般言語学講義〉は,同名の題《一般言語学講義Cours de linguistique générale》(1916)のもとに弟子のC.バイイセシュエA.Sechehaye(1870‐1946)および協力者リードランジェA.Riedlingerの手によって死後出版されたが,この書を通して知られるソシュールの理論は,後年プラハ言語学派(音韻論)やコペンハーゲン言語学派(言理学)などに大きな影響を与え,構造主義言語学(構造言語学)の原点とみなされている。

ソシュール【Horace Bénédict de Saussure】

1740‐99
スイスの科学者,登山家。クーシェに生まれた。大学で哲学を学ぶが自然科学を専門とし,気象学,鉱物学,生物学などを研究,1762‐86年ジュネーブ大学教授をつとめた。毛髪湿度計や天色計vanomètreの考案がある。登山史上は〈アルプス登山の父〉といわれ,86年M.パカールとJ.バルマがモン・ブラン初登頂を果たしたのはソシュールの熱心な後援によるもので,翌87年にはソシュール自身もモン・ブランに登頂して気象観測などを行った。

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大辞林 第三版の解説

ソシュール【Saussure】

〔Ferdinand de S.〕 (1857~1913) スイスの言語学者。の曽孫。構造主義言語学の原型を与え、印欧語学・一般言語学理論のみならず広く人文諸科学に影響を与えた。著「印欧語母音原始体系覚え書」「一般言語学講義」(教え子が講義録をまとめたもの)など。
〔Horace Bénédict de S.〕 (1740~1799) スイスの博物学者・登山家。アルプスの地形・地質、氷河、植物などを科学的に研究。著「アルプス旅行記」
〔Nicolas Théodore de S.〕 (1767~1845) スイスの植物生理学者。の子。植物の無機栄養や組成と分解、植物と環境の関係、アルコール発酵など植物生理学・生態学の先駆的な仕事をした。

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世界大百科事典内のソシュールの言及

【記号】より


[現代文化記号論の発展]
 人間と文化を記号として解明しようとする現代文化記号論の理論モデルは構造言語学である。パースらとともに現代文化記号論の祖の一人とされるスイスのF.deソシュールは儀礼,作法などの諸文化現象を記号として考え,記号論sémiologie(英語ではsemiotics)の展望を開いた。ソシュールは言語学を記号論の一分野として位置づけ,記号論が発見する諸法則を言語学に適用することを考えたが,第2次大戦後のフランスにおける構造主義者R.バルトは,むしろ記号論こそ言語学のなかに位置づけられるべきであると主張した。…

【構造言語学】より

…彼らはいずれも諸言語に共通する,ことばの社会的機能や記号的性質を研究する普遍主義的・構造主義的な言語研究の新しい分野の可能性を説いたが,同時代の大多数の学者から無視される結果となった。
[ソシュールと構造言語学]
 近代における言語学のコペルニクス的転換の契機を作ったとされ,近代言語学の父とも呼ばれるF.deソシュールは若くしてインド・ヨーロッパ語比較文法の俊秀として令名があり,パリでA.メイエをはじめ多くの比較言語学者を育てたが,1891年から生れ故郷のジュネーブに移り,1913年に死ぬまで大学の教壇に立った。その死後16年になって弟子たちが筆記ノートを集めて彼の講義を復原し,師の名による《一般言語学講義》として出版した。…

【バイイ】より

…ジュネーブ大学教授(1913‐39)。ソシュール学説を継承発展させた〈ジュネーブ学派〉の代表者の一人で,とりわけ,〈理性的文体論〉の創始者として知られている。これは,作家などが美的意図にもとづいて表現する個人的な情緒発現を対象にするものではなく,日常的な言語の〈実現化〉一般の科学的研究であるとされた。…

【メルロー・ポンティ】より

…人間的実存についてのこうした考えに立って彼は,《ヒューマニズムとテロル》(1947)や《意味と無意味》(1948)に集められた論文において,マルクス主義の歴史哲学や政治哲学に新たな照明を当て,それを決定論や全体主義から解放することによって,実存主義とマルクス主義の統合を図っている。
[中期の思想]
 1940年代末に行われたソシュール言語学の批判的摂取がきっかけとなり,50年代に入るとその思想は〈構造主義〉といってもよい方向に新たな展開を見せる。初期の思想が言語以前の知覚経験を根源的なものと見,言語をその延長線上に位置づけていたのに対し,この時期には知覚経験そのものがすでに言語によって媒介されていると考えられ,そこにもラングとパロールの関係が探しもとめられることになる。…

【アルピニズム】より

…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…

【スイス】より

…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソーH.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…

【アルピニズム】より

…このような考え方の登山者をアルピニストalpinistと呼び,ハイカーhikerとは区別している。この言葉は1787年スイスの学者ソシュールH.B.de Saussureがモン・ブランに登頂したころから用いられ,一般的になったのは19世紀後半に入ってからで,近代的スポーツ登山と同義的に用いられる。日本には1897年ごろからとり入れられ,志賀重昂の《日本風景論》の影響をうけ,1905年小島烏水らによって日本最初の山岳会(後の日本山岳会)が創設された。…

【アルプス[山脈]】より

…この日,アルプスの最高峰モン・ブランは,シャモニに住む水晶採りのジャック・バルマと医者のガブリエール・パカールによって初登頂された。この登頂にはスイスの学者H.B.deソシュールが大きく貢献している。ここに山登りそのものを目的とする〈登山〉という新しいスポーツが誕生した。…

【スイス】より

…特にデュレンマットは時代と社会の状況を風刺的に描いた喜劇を得意としている。フランス語系スイス作家も少なくないが,ドイツ語系のハラーに対応する人物に《アルプス旅行記》(1779‐96)を書いたド・ソシュールHorace Bénédict de Saussure(1740‐99)がいる。ジュネーブ出身のJ.J.ルソーH.F.アミエルもフランス語系スイス作家を語るとき忘れてはならない。…

【登山】より


[近代的登山の発展]
 近代的登山の幕開けとなったのはアルプスの最高峰モン・ブラン(4807m)登頂である。1760年,ジュネーブの自然科学者H.B.deソシュールはフランスのシャモニを訪れ,モン・ブランの初登頂者に賞金を出すことを提唱し,これにこたえ86年シャモニの医者M.G.パカールと案内人の水晶取りJ.バルマが登頂に成功した。ソシュール自身も翌年登頂している。…

【モン・ブラン[山]】より

…初登頂は1786年8月8日。スイス人地質学者H.B.deソシュールの賞金提供(1760)がきっかけで,地元シャモニの医師G.パカールと水晶採りのJ.バルマの両名によってフランス側からなされた。これがアルプスでのスポーツ登山の開幕となった。…

※「ソシュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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