精選版 日本国語大辞典 「コミュニケーション」の意味・読み・例文・類語
コミュニケーション
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
もともとは〈ある所(の生物や無生物)から別の所(の生物や無生物)へエネルギー,物体,生物,情報などが移動し,その移動を通じて移動の両端に,ある種の共通性,等質性が生じること〉をいう。ただし普通には〈人(送り手)から人(受け手)への情報の移動〉,もしくはその移動の結果生じた〈心のふれ合い〉〈共通理解〉〈共同関係〉などを指すことが多い。
communicationの語根はラテン語のcommunisで,〈共有の〉とか〈共通の〉〈一般の〉〈公共の〉というような意味をもつが,〈コミュニケーション〉にぴったり相当する日本語はなく,使われている文脈に応じて用語が選ばれる。情報の移動が送り手から受け手への一方通行one-wayの場合は,〈報告〉〈通報〉〈通信〉〈伝達〉である。〈マス・コミュニケーション〉は〈大衆伝達〉〈大衆通報〉で,〈テレ・コミュニケーション〉は〈電気通信〉である。それに対して,情報が送り手と受け手との間を往復する相互通行two-wayの場合は,〈会話〉〈討論〉などで,その結果生まれる〈共通理解〉〈合意〉〈ふれ合い〉などもコミュニケーションの一つの形と考えられる。〈もの〉の一方通行的移動は〈交通〉〈輸送〉〈贈与〉などで,相互通行では〈交易〉〈売買〉〈交換〉などである。熱の〈伝導〉も,コミュニケーションのモデルとされる。また人類学などから出た考え方として,〈婚姻〉も,ある親族集団から別の親族集団への,〈女性(または男性)を媒介とするコミュニケーション〉とみなされている。人間以外の生物が,色,におい,身ぶり,音声などで周囲に情報を発し,あるいは交換していることは周知のことであるが,最近では〈遺伝〉も生物の世代間コミュニケーションとしてとらえられるようになった。
情報のコミュニケーションの分類としては,前述の一方通行か相互通行かのほかに,共時的synchronicか通時的diachronic(歴史記録,文化継承など)か,この現実世界内のものnaturalか神や祖先の霊など超越的存在との間のものsupernaturalか,道具的instrumental(天気予報など)かその場かぎりの完結的consummatory(寄席,漫才など)なものか,などいろいろに分別される。また情報の送り手と受け手の数によって,1対1(対話など),1対多(学校授業やマスコミなど),多対1(国王への請願など),またそれらの複合としての多対多(団体交渉など)に分けられる。両者の社会的関係によって,水平的(友人との会話)か垂直的(上司と部下)かの区別も,命令,合意など日常の社会生活において最も気を使われることである。
以上のような区分,分別に対して,コミュニケーションをその手段により分類して,より解釈的にとらえることができる。この場合は,非言語的non-verbalコミュニケーションと言語的verbalコミュニケーションの二つにまず大別し,さらに前者は表情,身ぶりなどの身体的記号を用いるものから,ものによる象徴,さらには音楽,図像などの複雑な象徴の結合を含むものまで,さまざまな段階に分類することができる。後者も,音声によるものと,文字や図式という複雑な記号体系を用いるものとに分けられ,さらにさまざまな媒体による分類が可能である。
以下,コミュニケーション一般と各論について述べるが,言語的コミュニケーションの中心たる〈言語〉をはじめ,〈記号〉〈象徴〉などについてはそれぞれの項目を参照されたい。
人間が社会的に意味ある情報を伝達したり受け入れたりするためには,いくつかの条件がある。心の中の印象や意図は無媒介的に受け手には伝わらない。謝意の贈物,身ぶり,音声,あるいは文字などの事物的パターンを媒介にして表出されるほかない。これらの媒体がメディアmediaであり,この語は人間と神との媒介者である霊媒の英語名medium,さらにその複数形のmediaに由来する。現代では,身ぶりや音声ばかりでなく,文字とさらにその担体である印刷物や電波など,その幅はきわめて広くなっており,そのうち新聞,雑誌,ラジオ,テレビなど,マス・コミュニケーションの媒体をマス・メディアという。
その語源でもあるように,人間が神や霊魂などと意思を交流するためには,特別の資質や才能をもった仲介者が必要である。シャーマンshaman,呪医magic-doctor,巫女,古代中国の天子,あるいは殷(いん)(前17世紀ころ~前11世紀)の時代に亀甲を焼いて天意を占った卜人などが超自然的コミュニケーションのメディアであった。
人間のコミュニケーションにおいては言語がきわめて重要な役割を担うが,言語の成立以前から,人間は表情や身ぶりで意思や感情を伝え合ってきた。すなわち肉体が非言語的メディアとして活躍していた。また音声も重要なメディアであったが,これはやがて言語へと発達していく。送り手と受け手の距離が広がると,太鼓,旗,のろしなどが,信号・合図のメディアとして用いられるようになった。
人間のコミュニケーションの最初の革命は,文字の発明である。前30世紀ともいわれる古シュメールで楔形文字が生まれた。粘土板を細い棒でひっかいて干し固めたものである。その後は石,パピルス,木,竹,羊皮紙,紙などが,文字を書きしるすメディアとして用いられた。文字によって人間のコミュニケーションは,共時的により広い範囲まで可能になったし,通時的にもずっと正確で容易になった。文字につづく第2の革命は,1450年ごろのJ.グーテンベルクの時代の印刷術の発明である。ヨーロッパではほぼ同時に紙の生産方法も進歩したので,紙に活字で印刷した書籍,雑誌,新聞などのマス・メディアが大量に普及し,識字率の向上とあいまって人類の文明の急速な発展をもたらした。第3の革命は,マス・コミュニケーションの登場と発展である。19世紀末から20世紀初頭にかけて,現在活躍しているさまざまなマス・メディアと,メディアの大量生産技術が,あいついで発明された。そして第2次世界大戦直後のコンピューターの発明と結びついて,情報化社会を現出した。20世紀末の今日,コミュニケーション技術はふたたび飛躍的発展の胎動を示しはじめ,コンピューターと通信技術の結びつきによる大量情報高速処理技術,いわゆる〈ニューメディア〉の実用化に社会の関心と期待が集まっている。
ある音声パターンや表情がなにを意味するかを解読したり,表出したりするためには,意味するものと意味されるものとを関係づけるコードcodeが必要である。この場合コードとは,情報の単位とその組合せが,いかなる意味と結びつけられているかという〈取決め〉である。言語的記号については辞書や文法書にも,そのコードが記されているが,その他の形式の場合,そのコードは明示的には示されておらず,社会的に共有されたものとして,経験を通じて暗黙にその存在が認められているのが普通である。ところで,同じ〈暑いですね〉という発話は,〈窓を開けてほしい〉という請願を伝えたいときにも,〈ほんとうに暑いね。君もそう思うだろ〉と同調を求めるときにも発せられる。そのどちらであるかを正しく解読decodeするためには,両者の関係,それまでの話題等の相互交渉上のコンテキストcontext(文脈)や場面状況が考慮に入れられなくてはならない。一般にコミュニケーションが成立しうると考えられている背景には,コンテキストや場面状況を考慮に入れた意味解読のコードが存在するという暗黙の了解がある。
コードには,(1)絶対優勢dominantコード(絶対多数派が容認している),(2)併存競合negotiatedコード((1)に従属しながらも,一定の独自性を主張している),(3)反対抵抗oppositionalコード((1)を拒否している)がある。言語を例にとって,(1)を標準英語とすれば,(2)はロンドンなまりcockney,(3)はウェールズ語やスコットランド語,といった関係になる。
送り手と受け手が共通コードのもとにあって送り手が情報に盛り込んだ意味を,受け手が共通コードに従って正確に解読すれば,コミュニケーションは成立する。しかし実生活では,コミュニケーションがうまくいかないことが多い。送り手の言い違いや受け手の聞き違い,移動の過程で発生する雑音noise,情報の多義性(たとえば〈カネオクレタノム〉)や難解さ,情報の不足や過剰(とくに受け手の情報処理能力との関連で)など,誤解やコミュニケーション途絶breakdownをひき起こす要因はたくさんある。しかしなかでも,送り手と受け手の間に教養,体験,関心などの違いでコードにずれがあったり(世代間ギャップや異文化接触など),憎悪や不信があったり(信頼度credibilityギャップ)すると,それが障壁barrierとなり,コミュニケーションの成立を阻害する。
近代以前の人間は,風俗習慣,言語,宗教,思想,道徳などの領域にそれぞれ絶対優勢コードのある狭い生活環境(コミュニティcommunity,ドイツ語でゲマインシャフトGemeinschaft)の中で生活していた。身分や性や年齢などの違いで併存競合コードはいつもあったが,反対抵抗コードは異端,一揆,侵略などの形でごくまれに一時的,部分的に生じたにすぎない。それだけにコミュニケーションの成立は容易だった。ところが近代化の進行過程で,人々は古いコミュニティをしだいに離れて生活するようになった。旅行,転勤,転職,遊学,移住,移民,植民など,国内・国外で異文化接触を直接体験するチャンスが増え,またマス・コミュニケーションの情報による間接体験も増えたから,人々の生活環境および擬似環境pseudo-environment(W. リップマンの造語。マスコミの情報をもとにして人々が脳裏に描く環境イメージ。〈環境〉の項参照)は拡大した。
こうして人々は,さまざまな言語,思想,宗教,文化などと出会い,それらとの共存を認める寛容の精神の重要さに気づいた。ただしそのことは,既存の絶対優勢コードを絶対視せずに相対化したことや,その分絶対優勢コードの優位が崩れて人間がそこから解放されたこと,多数の有力な併存競合コードや反対抵抗コードが活性化したこと,を意味する。そこで中央集権的な近代国家は,学校やマスコミを通して国家レベルの絶対優勢コードづくりを推進する。標準語や公用語を定めて方言類を屈服させたり,特定の主義主張を宣伝したり禁圧したりするのは,その一環である。
20世紀も世紀末を迎えた今,コミュニケーションのインフラストラクチャー(下部構造,技術基盤)は,めざましい飛躍をしようとしている。しかもその一方で,コミュニケーションの危機はいよいよ深刻さを増している。その危機の様相を3点にまとめておく。
コミュニケーション技術の発展のおかげで,情報も人間も商品の類も世界の隅々にまで,ごく短時間で移動できるようになった。けれども戦争は各地で頻発し,複雑な国際緊張がつづき,国内での暴動,弾圧,暗殺,失業,飢餓,差別などの諸矛盾は消滅しない。しかも,こういう憂慮すべき事態への無関心も広がって,コミュニケーションを通しての共通理解,共同関係の形成という理想の実現にはほど遠い。
情報化社会の到来のなかで,情報格差はあちこちでむしろ拡大の傾向を示している。1970年代後半から,主として第三世界が新世界情報コミュニケーション秩序の形成を訴えている。とはいえ情報の南北問題は未解決であり,国内でもニュー・メディアの登場と普及は,情報格差を解消する可能性がある反面,逆に拡大する蓋然性も小さくない。
絶対優勢コードを失った現代人は,失われたものの幻影を追って,過剰同調,画一化に走る性向を内包している。有名ブランド商品が崇拝され,新奇ファッションやブームが大衆を巻き込み,何百万部ものベストセラーが生まれ,毎朝の連続テレビドラマに何千万人もが熱い視線を送る。商業CMや政治宣伝も秘術をこらす。こうして上からの垂直的コミュニケーションに社会の大半が共感し,同意-同調するなら,それはまさにファシズム社会の到来である。
したがって今こそ,人類規模の視野と関心をもつこと,上からのコミュニケーションを批判しながら受けとめる個性を確立すること,反省や対話という水平的コミュニケーションを通して新しい共通理解や共同関係を形成することが,きわめて重要である。
執筆者:稲葉 三千男
人間は言語を獲得する以前にも,なんらかのコミュニケーション手段をもっていたはずである。また言語獲得以後においても,非言語的な身体的表出に頼って,言語では伝達しえない意を交換し合っている。たとえば,感情的に微妙な事がらを電話で話し合うようなとき,一種のいらだたしさとともに,コミュニケーションにおける非言語的な部分の比重の大きさを感じさせられるはずである。さらに言葉によるよりも,それ以外の手段に訴えるほうがより効果的な場合もある。たとえば冗談話をする際,その旨の伝達はそれ相応の表情やウィンクがふさわしく,〈私はうそをついている〉という言語表現では循環的言述となって意味をなさない。ともあれ情報の発出基体であるわれわれは,口腔以外にも身体をさまざまに操りながら言語的形式以外の諸情報を,発話とは独立に,あるいは発話に随伴させつつ発出し,相互にコミュニケートし合っている。
ところで言語的コミュニケーションである〈会話〉が,関与者による発話の交代という形式をとるのが普通であるのに対し,しぐさや姿態など身体的動作や形姿によるコミュニケーションは,交代的形式をとらず,関与者どうしの同時的表出の様相をとる。挨拶のために頭を下げたり握手したりする行動は,開始者の先後はあっても,同時に進行しうるものであり,あるいは邂逅や別離のしるしとして同時に了解し合い,それを拒否する場合とは明らかに区別された意味を両者の間に成立させる。触覚依存度の高い性的交渉の例はさておき,これら以外にも筋書きを共有し合った者どうしの共同作業や儀礼の場面で,人は言葉を発しなくとも,相互の身体的行動の軌跡を視覚的に読みとることで,コミュニケートし合っている。相撲やラグビーもまた,言葉を発することなく,相互の動きを視覚的あるいは触覚的知覚にもとづいて認知して,言葉によらぬコミュニケーションを行いつつ,同時並行的に競い合っているのである。
もちろんこれらの非言語的表出は,言語のように,それ自身の内的意味が明確なものはきわめて少ない。金銭を示す親指と人差指でつくった輪,あるいは目上に対する低姿勢は,まだ意味についての合意度は高い。しかし微笑した表情や,うなだれた頭は,それが当人のなにを表現しているのか,定めることが難しい。うなだれた頭は,関係を避ける積極的忌避か,恥じらいか,それともなにかを思案中なのか,多義的な解釈を可能にする。またほほ笑みも,自分への歓迎の意を示しているのか,職業的につくられたものなのか,読みとりは難しい。これらの身体的表出はあいまいなだけに,逆に行為主体がそのあいまいさを利用して演技する道が開かれてもいる。ここに偽りのコミュニケーションの源泉があると同時に,プライバシー保持の最後のとりでも築かれることになる。なぜなら身体的表出の起因である身体内の〈思い〉は,物的証拠をあげてせんさくする糸口をもたない。このように表情その他身体的表出は,枢要なコミュニケーション手段であると同時に,他方,自己のための強固な遮蔽体としての働きをもつ。
ただし,身体的表出をつねにあいまいにしておくことは,他方において,他者との協力の糸口を断つ。他者と接近し,会話を始める以前においても,われわれはほほ笑み,挨拶するのが普通である。また会話の途上でも,その会話が自分にとって好ましいものか,もう打ち切りたいものか,相互交渉についてのある種の情報を表出している。意識しているか否かにかかわりなく,身体的に表出される情報を,受け手は送り手の意図を超えて,送り手がおもわず漏らしたものまで読みとって,交渉を相互に調整している。
それでは人間は,身体的表出をどのように枠づけているのだろうか。偽装可能性さえ完全なあいまいさの下では不可能であり,われわれはいくつかのレベルで,表出や読みとりにかかわる意味制限的参照枠組みをもっていると考えるほかない。身体的表出は,第1に,特定の内容を表現するための動作・形姿上の参照枠組み,第2に,特定の動作・形姿と,それが解読される場(コンテキスト)との関係についての参照枠組みを伴っている。かしわでが料亭で打たれたときは仲居を呼ぶしるしと理解され,神社で打たれたときは参拝のしるしと理解されるのである。この例では,表出形式も読解枠組みもともに文化的に特殊だが,笑いや悲しみなどのいわゆる情緒表現としての表情のように,文化を超えて共通し,身体的にうめこまれた人間一般の形式であるものもある。にもかかわらず,異なる文化において,思いがけぬ身ぶりや微笑に出くわして当惑するのは,文化的に異なる文脈上の枠組みの差によるものと考えられる。
それだけでなく,同じ文化内の人どうしでさえ,同じ場面で笑う人もあれば怒る人もある。そこには,単に人間一般や文化一般の行動や意味解読上の準則では割り切れぬ,場面についての個人特有の文脈認知の枠があり,可視的世界の枠の中で自己をいかに表出し演ずるかということについての,コミュニケーション以前の,自己と他者との〈視界〉の相違あるいは食違いの問題がある。もちろんこういう差異を回避するために,各人の志向性を限定し,作法や行為規則を強制的に教育することを,どの社会でもある程度は行っている。しかし個人の自由を完全に抑制することは生を否定することになる。あいまいさを残す身体的表出の基体である身体は,プライバシーのとりでであると同時に,偽装の源泉つまり混乱の源泉ともなる。個人の主体性と社会の規範性,換言すれば自由と秩序とは身体的表出という領域において,相互に背反しつつ補足し合っているかにみえる。
〈もの〉による情報は,一般的には状況陳述的情報である。客間にいけられた花は,その主人の趣味,あるいは客をうけ入れる態度についての一般的状況を示唆してくれる。儀礼における特別の道具立てや飾りは,まさに聖なる空間についての,また儀礼の過程についての情報を提供している。このような特定の意味を付された〈もの〉を象徴という。〈もの〉と意味との関係はしばしば恣意的である。庭の中にある白い石が大洋の中の島を意味するというとき,われわれは日本庭園での象徴的意味解釈のコードに照らしてのみ,納得される。
こういう点で,身体的表出のあるものは,種としての人間の行動習性に根ざすという意味で自然的基礎をもつのに対して,〈もの〉に付与された象徴的意味は文化的に特殊であり,したがって多様である。かつ行為的主体をはなれて存在しうるから非個性的であり,むしろ陳述的情報として,場面の状況について語っているケースが多い。ただ贈物のように贈主の感謝や期待を伝える場合もないわけではない。特定の意味を象徴するものとはいえ,この贈物としての〈もの〉は,送り手の固有名をつねに付されている。もしそれが固有名を失い,無名化して交換されはじめるや,それは貨幣に近いものとなる。経済的交換行為をコミュニケーションの一つの形態とみるかどうかは議論のあるところだが,象徴としての〈もの〉のコミュニケーショナルな機能については,状況陳述的レベルから,自己表出的,さらには経済交換的レベルにまで及ぶ,広い範囲があるというべきであろう。
これまでは,一般的にいって共時的なコミュニケーションを想定して述べてきたが,時間的,世代的へだたりをおいたコミュニケーションとでもいえる,情報の蓄積ないし後代への伝承の相というものがある。というと,一般的にはすぐに歴史書とか口誦伝承などが連想されるが,そのような蓄積,伝承はけっして言語的,文字的な形式ばかりではない。固有の名をもつ1本の大木は,かつて数百年にもわたる首長国の歴史を物語りえた。都市の通りに付された革命日や偉人の名は,都市のつづくかぎり,そのできごとについての情報を後代に伝えるのである。人よりも木に,木よりも都市に,都市よりも星にと,できごとを刻印する〈もの〉の永続性の度を高めつつ,情報の伝承はなされたのである。
これまで非言語的コミュニケーションについて身体的表出を中心に述べてきたが,しかし諸文化は身体の形姿以外にも多くのコミュニケーション方法を生み出してきた。非言語的な音響には叫び声や歌のメロディ,また発声器官の二次的延長としての楽器などがあり,これらによってかなり高度のコミュニケーションを行っている人々もいる。ニューギニアの高地人は,叫び声の抑揚や長短で,森を通して遠隔コミュニケーションを達成している。また西アフリカの人々は,太鼓の音の組合せで,複雑な情報を伝えている。分節化の度の高い音やメロディは,そういう複雑な記号の組合せを可能にしている。それに対して姿態の延長として身体をおおう衣服は図像的である。形態や色模様の組合せによって,種々のパターンを生み出すことができ,それをまとうものの職業,部族,性,そして場面に応じた自己の態度や気分を示す手段として用いられている。かつて衣装は,人の帰属集団や地位,あるいは人々の集会の意味を明示するしるしとして,重要な意味をもっていた。むしろ言語や身体的表出のほうが,衣装の生み出す枠づけのなかで,表現され,意味づけられることさえ少なくなかった。伝統的社会においては,言語的発話やしぐさが,これら物的道具立てに従属するかたちで,いわばその網目からもれでるものにすぎないこともあったのである。
ともあれ身体接触時のかすかな触感の瞬間的なやりとりから,世紀を超えた情報の伝達にいたるまで,幅広いレベルのなかで,われわれは文化によって異なるさまざまのコードを用いて世界を解釈しつつ生きてきたのである。
→身ぶり語
執筆者:谷 泰
人間社会がコミュニケーションなしに存立しえないと同様,国際社会もコミュニケーションなしには機能しえない。一般に国境を越えて行われるシンボル,人,物,さらに暴力の交換を国際コミュニケーションと呼び,現在の国際社会はメッセージの交換,つまりコミュニケーション活動から成り立っているといえる。この意味において国際コミュニケーションは,国際主体間の情報交換に基礎づけられる。近年国際主体の多様化に伴い,国際コミュニケーションの経路も多元化し,国際関係のあり方に大きな影響を与え,外交方式に変革をもたらした。国家間の友好関係,国民の国際理解やイメージ形成,国際紛争とその解決には,コミュニケーションが不可欠である。また,政策決定者が〈情況の定義〉を行う場合,それを基礎づけるのはコミュニケーションの流れそのものである。第2次大戦後の行動科学の発展のなかで多くの政治学者が〈権力の理論〉から〈コミュニケーションの影響力の理論〉への転換を説いた。サイバネティックスを政治学に応用したドイッチュKarl Wolfgang Deutsch(1912-92)は,伝統的な権力の研究を排し,国家や国際政治をコミュニケーションの過程とシステムと考えた。それゆえ国家は,情報の〈生産者〉かつ〈消費者〉であり,国際コミュニケーションの〈処理者〉であるとした。国際コミュニケーション研究の先駆者であるR.C.ノースは〈近代国家は,本質的に,国内問題ならびに外交関係に関するメッセージの交換に基づく,意思決定と制御のシステムである〉という。すなわち,国際コミュニケーションは,発信者がある政策を実現する目的で受信者の支持と協力をうるために発する説得コミュニケーションである。そのためにありとあらゆるコミュニケーション手段が動員される。かつてヨーロッパでのできごと,たとえばフランス革命が日本に伝わるのにはかなりの日時を要したであろう。しかし現在では世界のできごとを瞬時にして居間のテレビで見ることができる。諸コミュニケーション手段を通じて政策決定者も国民も自己イメージ,世界についてのイメージを形成し,ある場合にはそれをフィードバックし,さらに国際理解を深めたり,争点を明確化したりし,それらは国際世論形成の媒体の役割を果たす。たとえば,ベトナム反戦や反核の国際連帯が〈世論は軍隊よりも強力である〉という一面を示したのは,国際コミュニケーションの発展を抜きにしては考えられない。
国際コミュニケーションのタイプは,直接的と間接的コミュニケーション,秘密と公開コミュニケーション,明示的と黙示的コミュニケーションに分類することができる。古典的外交の時代には外交の主体は国家のみであった。しかし現在権力の国際的組織化や企業の国際化,民衆間の交流の増大につれて多くの国際コミュニケーターが登場した。それは大別すると政府的,非政府的,文化的の三つの要因からなっている。従来,国際コミュニケーションで無視されがちであった文化的要因は,人間が創造するものであると同時にそれによって人間の行動が規制されるため,外国の軍事占領,伝道活動,さらには対外援助の成否に大きな影響を与える。〈沈黙のことば〉としての文化は,多くの場合コミュニケーションや相互理解を困難にし,国際政治におけるイメージ・ギャップを発現させる契機となる。国際紛争は国家間にではなく,むしろ国家のゆがめられたイメージ間に起こるといわれる理由がここにある。したがって,紛争解決に必要なことは,コミュニケーションの増進を図り,相互信頼を醸成することである。そのためには情報の国際化のなかで,それぞれの国の文化,価値観,行動様式の相違を認識し合い,コミュニケーションや交流を増大させることが肝要になる。そして情報の多様な経路を確立し,多元的な国際イメージを構築することによって,国際的な経済摩擦や政治的緊張を緩和し,異文化間の融合を促進し,文化接触による誤解や偏見を除去することが必要である。国際(文化)交流があらゆるレベルで多角的に行われ,人類の共通の財産にまで高められねばならないゆえんがここにある。
70年代に入り注目すべき国際的な動きが起きた。それは,新世界情報コミュニケーション秩序の模索であり,第三世界の国々がユネスコを舞台として大国,先進国中心の国際コミュニケーション体制に異議を唱え,公正な情報システムの確立をめざしていることである。しかし90年代に至ってもなお,この問題については大きな進歩はみられない。
執筆者:臼井 久和
動物のコミュニケーションを考える場合には,受け手の側の心理的変化を外からうかがい知ることができないので,〈ある個体(送り手)の行動が他個体(受け手)の行動を変化させること〉と定義しておくのが妥当であろう。ここでいう行動には単なる身ぶりや姿勢だけでなく音声やにおいの信号も含まれる。人間の場合のように送り手がコミュニケーションの効果を予測していると考えられるような例は,一部の高等哺乳類を除けばまれである。コミュニケーションのためにとくによく発達したディスプレーや信号をもつ動物は多いが,それらも最初は単なる驚きや恐れ,威嚇といった送り手の側の生理的反応にすぎなかったものが,相手に対して一定の意味を獲得し,進化の過程で特殊な発達をとげたものとみなされる。この過程は儀式化と呼ばれるが,儀式化を通じて行動は信号としてより効果的,象徴的なものとなる。受け手の側は送り手の側の行動全体に反応するのではなく,そのうちの一定の成分のみ(これをリリーサーと呼ぶ)を引金として受けとめるのであり,人工的なリリーサーによっても同じ反応を引き起こすことができる。したがって,動物のコミュニケーションにおける意味解読のコードは,遺伝的に決定されたものといえる。
動物のコミュニケーションの機能は次のように大別することができる。(1)配偶時に,求愛から交尾に至る過程をスムーズに行わせるためのもの。(2)親子,家族,群れなどの絆(きずな)を維持するためのもの。(3)なわばり防衛や順位確認など社会的秩序維持のためのもの。(4)餌のありかや進路などを仲間に伝えるもの。(5)敵の存在を仲間に知らせるもの,である。(4)および(5)については種間コミュニケーションもありうる(たとえばミツオシエの案内行動や小鳥類の警戒声)が,原則としては同種間に限られる。
コミュニケーション手段はひじょうに多様で,視覚,聴覚,嗅覚(化学的感覚),接触覚のすべてが動員されるが,個々の動物についてみれば,その方法は種特異的である。視覚的コミュニケーションの最も単純なものは体色(または角などの形態)で,多くの動物にみられるが,一般に特定の信号部位をみせるための行動が伴う。ついで表情や身ぶりがあげられるが,最もみごとな例としてミツバチの働きバチが蜜源の位置を知らせる尻振りダンスがあげられる。特殊なものとしてはホタルなどの発光動物の発光パターンがある。聴覚的コミュニケーションの代表は音声で,小鳥類のさえずり,鳴く虫の声(ほとんど鳴くのは雄のみで,雌を誘引し,雄を排除する働きをもつ),カエルの鳴き声,哺乳類の咆哮(ほうこう)など多様であり,特殊なものとしてはコウモリやイルカ類の超音波がある。嗅覚ないし化学感覚によるコミュニケーションの例としては,多くの昆虫の雌が分泌するフェロモン,哺乳類がなわばり宣言のために分泌物や排出物を木や石にこすりつけるマーキング行動などがあげられる。接触覚によるコミュニケーションは哺乳類の親子間や,昆虫をはじめ多くの動物の配偶行動において重要な役割を果たしている。
同種間コミュニケーションにおいて,ある手段が信号としての機能をもつためには,それを信号として知覚する機構の存在が前提となるので,一般に複雑なコミュニケーションは高度な体制をもつもののみに可能である。
→行動
執筆者:奥井 一満
動物にも音声をコミュニケーション手段として用いるものは多いが,言語と呼びうるほどの象徴性をもつものはない。37種類にも分類されるニホンザルの音声も,その大部分は強い感情の表出であり,そうでないものも不特定多数に向けての意思表示にすぎない。ごく少数の音だけが特定個体に向けて発せられる1対1の平静な〈ささやき〉であり,これこそ最も言語的内容をもつものである。
音声ではなく,行動型としてみれば,このカテゴリーに入るものは少なくない。類人猿のチンパンジーでは,このカテゴリーに入るものとして〈あいさつ〉とか〈なだめ〉とかの微妙な伝達行動が多様にあらわれる。にもかかわらず,サルや類人猿が音声言語を使えないのは,発声器官とくに喉頭部の構造に帰するといわれる。すなわち,ヒトは直立することによって気道の自由な開閉が可能になり,有節音の発声ができるようになったのだという。実際,チンパンジーにヒトの音声言語を習得させることはできないが,1970年以来の多くの研究によってチンパンジーが手話を覚え,絵札や鍵盤による人造語を習得する能力のあることがわかった。すなわち,平叙文ばかりか疑問文や仮定法までも理解し,つくり,表出する能力があるという。訓練によって,飼育チンパンジーどうしで簡単な手話による会話までする。しかしながら野生状態のチンパンジーでは,言語の片鱗すら見つかってはいない。なお,キュウカンチョウやオウムはヒトの言葉をまねることで知られているが,音声の模倣が,その内容まで理解したコミュニケーション機能にまで高まることはまったくない。
執筆者:杉山 幸丸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間にとって、コミュニケーションは基礎的社会過程である。個人の発達にとっても、集団や組織の形成と存続にとっても、コミュニケーションは必要不可欠であり、人間社会の基礎をなすものといってよい。アメリカの社会学者ランドバーグGeorge Andrew Lundberg(1895―1966)の表現を借りるならば、「社会と社会を構成する諸組織とがれんが造りの家屋であるとすれば、コミュニケーションはその建築を可能にし、全体を統一的に結び合わせるモルタル」である。
[岡田直之]
アメリカの社会心理学者ハートレーEugene Leonard Hartley(1912―2002)によると、コミュニケーションは個人に対して次のような三つの機能を果たしている。(1)コミュニケーションは個人に対して世界をパターン化する。(2)コミュニケーションは他の人々との関係において、個人自身の位置を定義づける。(3)コミュニケーションは個人が首尾よく環境に適応するのを助長する。他方、社会や集団・組織にとって、コミュニケーションは、(1)社会統制の手段であり、(2)構成員の社会化と統合に不可欠な機制であり、(3)文化の創造、享受、継承を可能ならしめる。
このように、人間と社会にとって基礎的重要性をもつにもかかわらず、コミュニケーションの概念はまことに多様であって、統一された共通の定義が存在するわけではない。ちなみに、社会学者、社会心理学者、コミュニケーション研究者などによる若干の定義を紹介してみるならば、コミュニケーションとは、「一方から他方へのメッセージの伝達」「情報を伝達して反応を引き出すこと」「情報、観念、あるいは態度を共有すること」「一連の規則によって行動の諸要素あるいは生活の諸様式を共有すること」「精神の相通じること、参加する人々の精神に共通のシンボルを生ぜしめること、要するに了解のこと」「人から人へと情報、観念、態度を伝達する行為のこと」「ある人ないし集団から他の人ないし集団(あるいは人々ないし諸集団)へ、主としてシンボルによって情報を伝達すること」「メッセージによる社会的相互作用のこと」といったぐあいに、実に多様な定義が提示されてきた。
こうしたコミュニケーションの概念的多様性にもかかわらず、「人々がなにものか(情報、観念、態度、行動、感情、経験など)を共有すること」というコミュニケーションの基底的属性がおのずから浮かび上がってくる。もともとコミュニケーションということばはラテン語のコムニスcommunisから派生したものであり、「共通の」とか「共有の」といった意味を語源的にもっている。この心的共通性・共有性という基底的属性こそ、人間コミュニケーションの原点である。
[岡田直之]
もっとも広く知られているコミュニケーション・モデルは、アメリカの応用数学者シャノンとウィーバーWarren Weaver(1894―1978)によって提示されたものである。このモデルは通信情報理論の基礎となった記念碑的業績といってよいが、電気通信で情報を迅速かつ正確に送るためには、どうすればよいかという通信工学的問題意識に基づいて構築されている。したがって、本来は機械系コミュニケーションにもっともよく適用されるが、人間を含めて生体系コミュニケーションのシステムにも広く応用できる点で、もっとも影響力のあったコミュニケーション・モデルといえる。
このモデルはおよそコミュニケーションを考察する場合の、もっとも基礎的な諸要素をほとんど網羅している。情報源はまず伝えたいと望むメッセージを選択する。送信体はこのメッセージを信号に変え(符号化・記号化)、信号はコミュニケーション・チャンネルを通して受信体に送られる。受信体はその信号をふたたびメッセージに変換して(複号化・記号解読)、目標に送り込む。信号の伝達過程でメッセージの正確さや有効性を低減させる要素をノイズ(雑音)とよぶ。
このように、このモデルには、「情報源/送信体」「目標/受信体」「メッセージ」「チャンネル」「ノイズ」「符号化・記号化」「複号化・記号解読」といったコミュニケーション過程にかかわる基本的要素ないし要因がほとんど含まれている。
[岡田直之]
シャノン‐ウィーバー・モデルの特徴は、なによりも、情報源から送り先への直線的・一方向的なコミュニケーション過程を前提にしていることであるが、いうまでもなく、人間のコミュニケーションは意味の伝達と共有を図る双方向的・循環的・創発的な記号・象徴行為である。「フィードバック」feedbackの概念を導入しなければ、人間のコミュニケーションの動態を理解することはできない。話し手が聞き手の表情や返答などの反応に配慮しながら会話を進める場合、彼はフィードバック機能を行っている。聞き手の反応が好意的であれば、話し手はおそらく会話をより活発に続けようとするだろうし、逆に聞き手が無関心であったり、不機嫌であれば、話し手はたぶん会話を打ち切るであろう。前者は正のフィードバックの働きであり、後者は負のフィードバックの働きである。
フィードバックがコミュニケーション行動の事後的調整であるのに対して、「フィードフォワード」feedforwardは、予想や予期に基づくコミュニケーション行動の事前の調節機能である。話し手が会話のある時点で、聞き手にある種の反応を期待し、予想された反応が生じなかったならば、別のコミュニケーション行動がとれるようにあらかじめ準備しておく場合、こうした期待や予想のメカニズムがフィードフォワードとよばれる。フィードフォワードが作動することによって、フィードバックはより柔軟かつ円滑に機能でき、人間のコミュニケーションは質的により豊かになる。
人間のコミュニケーションの場合、情報源と送信体、受信体と目標とはそれぞれ別個のコミュニケーション単位としてよりも、一組のコミュニケーション構成単位としてとらえ、情報源=送信体(送り手)におけるメッセージの記号化と、目標=受信体(受け手)におけるメッセージの解読・解釈との連結ユニットを想定したほうが理解しやすい。しかも、人間のコミュニケーションにおける相互性と循環性を考えるならば、個人は送り手であるとともに受け手であり、受け手であるとともに送り手でもあるのだから、人間のコミュニケーションの場合、いわゆる送り手、受け手にかかわりなく、メッセージの記号化、解読、解釈は重層的に進行すると考えるべきであろう。
人間のコミュニケーションはつねに社会的、文化的脈絡で生起する。そもそも人間のコミュニケーションは、主として言語による象徴的コミュニケーションであるが、言語が相互に了解可能な意味をもつ記号のシステムである限り、コミュニケーションは優れて文化的に規定された事象にならざるをえない。異文化間のコミュニケーションがいかに困難で、やっかいな問題を抱えているかを考えれば、コミュニケーション事象における文化的要因の決定的重要性は容易に理解できよう。しかし、同一文化圏の内部においてすら、階層・階級やエスニック・グループ(人種集団)やジェンダーなどの差によって、記号やメッセージの意味内容が微妙にずれて、いわゆる意味論的ノイズの問題が発生する。
さらに、人間社会のコミュニケーション・システムは経済や政治とも深く絡み合っている。経済システムと政治システムの態様が、その社会におけるコミュニケーションの様式と機能を規定し、多大の影響を及ぼしている。人間のコミュニケーションは、けっして社会的・文化的真空のなかで生起するわけではないのである。
1980年代以降のコミュニケーションの定義で注目されるのは、(1)コミュニケーションを共有の普遍的な言語ゲームに基づいて社会的結合・統合・合意を図る行為・過程であるとみなすだけではなく、コミュニケーションの惹起する葛藤(かっとう)・差異・離反・排除・抑圧の位相にも目を向ける複眼的な視座の台頭と、(2)コミュニケーションとメディアとを表裏一体の関係としてとらえるメディア論的パラダイムへのシフト、であろう。
[岡田直之]
ある動物が音やにおいなどの信号によって情報を送り、別の個体が感覚器を通じてその情報の内容を読み取ると、コミュニケーションが成立したことになる。コミュニケーションの方法は、動物によってさまざまであり、信号を受ける感覚器の違いにより次の4種に大別できる。
(1)聴覚刺激による伝達 昆虫やカエルの音声、鳥の歌、人の声、ゴリラのドラミングなどである。昆虫やカエルでは、鳴き声が種の認知をしたり、雌を引き付けるのに役だっているといわれる。
(2)視覚刺激による伝達 色、形、動きなどが信号として伝わる。体表面、羽毛の色や模様を目だたせることにより、同種であることを認知したり、発情などの生理的状態を伝えると考えられる。威嚇や防衛を表す決まりきった行動の型、求愛時などのディスプレー、人やサルでみられる複雑な顔の表情なども視覚刺激であり、これらの行動は表現行動ともよばれる。
(3)嗅覚(きゅうかく)刺激による伝達 動物が体外に化学物質を放出することで情報が伝わるが、情報を受け取るのが同種である場合に、その化学物質をフェロモンとよんでいる。カイコガでは、雌がフェロモンを分泌して雄を誘引する。哺乳(ほにゅう)類では、排出物を残したり、皮脂腺(ひしせん)からの分泌物をこすりつける行動(マーキング行動marking behavior)をして、縄張りを誇示したり個体あるいはグループを認知させる。
(4)触覚刺激による伝達 鳥の羽づくろい、哺乳類の抱くという行動や毛づくろいなどがある。ニホンザルでは、ほかの個体との毛づくろいが、群れ内の社会関係の維持に重要な役割を果たしているとされる。
これら4種の伝達方法のうち、ある情報を伝達するために一つしか用いないこともあれば、複数の方法が組み合わされることもある。もっとも単純な例としては、トゲウオやコマドリで雄の腹の赤い色が、ほかの雄に攻撃行動を解発させることがあげられる。これに対して、ニホンザルの雌では、発情すると顔や尻(しり)が鮮やかに赤くなり、雄の後を追い「恋鳴き」とよばれる音声を出すが、においによっても雄を引き付けるといわれる。しかし、一般には単純な方法しか用いなくても、相手の反応過程との組合せによって複雑な内容が伝わることが多い。
動物がある情報を伝えるのに、どの伝達方法を用いるのかは、それぞれの動物の生活のあり方と、伝える相手との距離に大いに関係がある。たとえば、夜行性のガの雌はフェロモンを使って雄を誘引するが、昼行性のチョウでははねの模様が重要である。縄張りをもつ鳥や哺乳類では、遠くの個体に対する縄張り宣言は音声によるが、縄張り内の情報伝達では4種の方法のすべてが用いられる。
情報の受け手は同種であることが多いが、共生や被食・捕食関係にある2種間や、擬態をする種とだまされる種との間の情報伝達では、他種が受け手である。また、同種に向けた信号が本来の受け手ではない捕食者等の他種によって受け取られ利用される場合もある。
信号はさまざまな情報を伝達する。鳥のさえずりの多くは、その区域を縄張りとして所有していることの宣言になっており、しかも周囲の個体は、さえずりを聞くだけでそれを歌っているのが誰であるかを判断できる。闘争において使われる信号には、闘争能力に関する情報が含まれており、これによって勝ち目のない闘争を避けることができる。また、配偶相手としてふさわしい相手を選ぶために、求愛者の出す信号が手がかりとして用いられることもある。さらに、動物の信号のなかには外的事象をシンボリックに指し示す例(参照的信号機能)も知られている。サバナに住むベルベットモンキーは3種類の捕食者に対して異なる警戒音を発するが、群れの仲間はその違いを聞き分けて、その敵に応じた適切な逃避行動をとる。またクモザルは命名体系をもち、群れの他個体に呼びかけるときには、その個体に応じた鳴き声を用いる。
[井上美智子・川道武男・藪田慎司]
1970年代後半以降、動物のコミュニケーションの進化についての理解が著しく深まった。進化的観点からみれば、コミュニケーションにおいて重要なのは、情報を伝達することというよりも、むしろ信号の受け手の行動を変えることである。その変化が送り手に有利なものであれば、その信号は自然選択によって進化するだろう。だとすると、動物がコミュニケーションで用いる信号は正直なものなのか、という疑問が生まれる。たとえば、闘争において自分の力を誇示している個体や、求愛において自分の魅力をふりまいている個体は、本来以上の力があるように見せかけないのだろうか。なぜなら、どちらの場合でもそうすることで利益が得られる(ライバルを追い払えたり、雌を獲得できたりする)からである。しかし、逆に信号の受け手の立場から考えれば、正直でない信号にだまされることは不利益である。受け手は正直でない信号を見抜くかもしれないし、信号自体を無視するかもしれない。このような受け手による信号のえり好みが行われる結果、いくつかのタイプの正直な信号が進化することがわかっている。
正直な信号の例の一つは、信号とそれが伝えている情報の内容との間に直接的で必然的な結び付きがある場合である。たとえば、威嚇に使われる音声の周波数は、しばしば体の大きさの正直な信号になっている。これは、体が大きい方がより低い声を出すことができるという物理的理由による。信号と情報に直接的で必然的な結び付きがない場合には、送り手は正直でない信号を出すことができる。しかしその場合であっても、動物が互いに個体識別しているなら、やはり正直な信号が進化すると考えられる。嘘(うそ)の信号を出す個体は次からは信用されなくなるため、不利益を被るかもしれないからである。このため正直でない個体の適応度が下がり、結果として正直な信号を出す個体が自然選択によって選ばれていくだろう。
正直な信号が進化する別のケースもある。それは、信号が送り手のある種の「優良さ」を示し、かつ、実際よりも「優良」であるように見せかけることにコストがかかる場合である。この場合、自分の「分を超える」信号を出そうとしても、結局、分不相応なコストに耐えることができない。より「優良」な信号を出すことができるのは、その信号を出すのに見合うコストを支払える個体、つまり本当に優良な個体だけである。この結果、正直な信号が進化するだろう。たとえば、ツバメの雄は長い尾羽をもっている。それは、雌にとっては魅力的であるが逆に雄の生存にとっては不利である。しかし、この長い尾羽は、まさにそれが生存に不利だからこそ進化してきたということになる。雌からみれば、長い尾羽をもつ雄は、その不利にもかかわらず生存しているのであり、それは不利を打ち消すだけの「優良さ」をもっていることを示す正直な信号になる。実際、実験的に長い尾羽をもたせた雄はその長い尾羽のコストに耐えられず生存率が低下する。この「優良さ」が具体的に何であるかについては、餌(えさ)を捕まえる能力等のほかに、寄生虫等の感染に対する抵抗力や免疫力等の可能性が注目されている。同様の正直な信号が、捕食者から逃避する動物の行動にも存在する。ガゼルは、捕食者に狙われた時に一目散に逃げるのではなく、ピョンピョンと跳躍してみせる。これは、捕食者に自分の逃走能力の高さを示している信号だと考えられる。逃げる能力が本当に高いガゼルでなければ、高く激しく飛ぶことはできないし、そんな無駄なことをして余裕をみせたりできないからである。
信号の進化の初期に目を向けると、最初に信号として何が選ばれるのかが問題である。音なのか、匂いなのか、視覚刺激なのか。さらに、たとえば視覚刺激が選ばれたとして、それは、どんな形なのか、動きなのか、色なのか。事実上、信号デザインの可能性は無限である。そのなかで、一つの可能性が選ばれて進化してくるわけだが、そのメカニズムには、信号は受け手に認知されなくてはならないという単純な制約が関係している。受け手となる動物は、すでに彼らの生活の必要性から、さまざまな認知システムを発達させてきている。信号の送り手が受け手の行動に影響を与えようとするなら、すでに存在する受け手の認知システムを利用するのがよい方法のはずだ。たとえば、ミズダニのあるグループでは、雄の雌に対する求愛信号が、前脚を雌の前で振動させる行動からなりたっている。この求愛信号に対する感受性は、そのような求愛信号をもたない近縁種の雌にもみられる。これは、信号への感受性が信号よりも先に進化していたことを意味する。実際、求愛行動の振動は餌の振動を模したものになっているらしい。ミズダニの求愛信号は、雌のもつ餌への感受性に便乗して進化したと考えられる。多くの信号進化の初期には、このようなメカニズムが働いていたと考えられる。
人間のコミュニケーション能力を進化的観点から理解する試みも進められている。人間という動物のコミュニケーションを特徴づけるのは言語であるが、人間の言語コミュニケーション能力は、単一の能力というよりも複数の認知能力の複合であると考えられる。たとえば、意図的な音声表出能力、参照的な音声信号、非言語的な概念表象を構成する能力、他者に「心」を帰属させることでその行動を予測する能力(心の理論)、文法にのっとった文をつくり出す能力等が関係していると考えられる。これらに類似した諸能力が他の動物にもみられる。これらの能力が他の動物でどのように進化してきたのか、またそれらが人間の言語コミュニケーション能力の進化とどのように関係しているのか(相同なのか相似なのか)を知ることが重要であると考えられる。
[藪田慎司]
『C・I・ホヴランドほか著、辻正三・今井省吾訳『コミュニケーションと説得』(1960・誠信書房)』▽『C・チェリー著、都丸喜成・木納崇訳『ヒューマン・コミュニケーション』(1961・光琳書院)』▽『山田宗睦編『現代社会学講座4 コミュニケーションの社会学』(1963・有斐閣)』▽『ウィルバー・シュラム編、波多野完治監修、テレ・コミュニケーション研究会訳『コミュニケーションの心理学』(1964・誠信書房)』▽『江藤文夫著『見る――現代のコミュニケーション』(1965・三一書房)』▽『吉田民人・加藤秀俊・竹内郁郎著『今日の社会心理学4 社会的コミュニケーション』(1967・培風館)』▽『C・E・シャノン、W・ウィーヴァー著、長谷川淳・井上光洋訳『コミュニケーションの数学的理論――情報理論の基礎』(1969・明治図書)』▽『R・ウィリアムズ著、立原宏要訳『コミュニケーション』(1969・合同出版)』▽『田中靖政著『コミュニケーションの科学』(1969・日本評論社)』▽『飽戸弘著『コミュニケーション――説得と対話の科学』(1972・筑摩書房)』▽『山田宗睦著『コミュニケーションの文明』(1972・田畑書店)』▽『D・K・バーロ著、布留武郎・阿久津喜弘訳『コミュニケーション・プロセス――社会行動の基礎理論』(1972・協同出版)』▽『慶應義塾大学新聞研究所編『コミュニケーション行動の理論――インターディシプリナリー・アプローチ』(1972・慶応通信)』▽『江藤文夫ほか編『講座・コミュニケーション』全6巻(1972~1973・研究社)』▽『内川芳美ほか編『講座 現代の社会とコミュニケーション』全5巻(1973~1974・東京大学出版会)』▽『東京大学新聞研究所編『コミュニケーション――行動と様式』(1974・東京大学新聞研究所)』▽『稲葉三千男著『現代コミュニケーションの理論』(1975・青木書店)』▽『O・ラービンジャー著、小川浩一・伊藤陽一訳『コミュニケーションの本質』(1975・新泉社)』▽『佐藤毅著『現代コミュニケーション論』(1976・青木書店)』▽『南博・社会心理研究所著『くちコミュニケーション』(1976・誠信書房)』▽『滝沢正樹著『コミュニケーションの社会理論』(1976・新評論)』▽『阿久津喜弘編・解説「コミュニケーション――情報・システム・過程」(『現代のエスプリ』110号・1976・至文堂)』▽『D・マクウェール著、山中正剛監訳『コミュニケーションの社会学――その理論と今日的状況』(1979・川島書店)』▽『生田正輝著『コミュニケーション論』(1982・慶応通信)』▽『水原泰介・辻村明編『コミュニケーションの社会心理学』(1984・東京大学出版会)』▽『M・セール著、豊田彰・青木研訳『コミュニケーション――ヘルメス1』(1985・法政大学出版局)』▽『J・ハーバーマス著、河上倫逸・藤沢賢一郎・丸山高司ほか訳『コミュニケイション的行為の理論』上中下(1985、1986、1987・未来社)』▽『コミュニケーション研究班編『社会的コミュニケーションの研究』1~3(1985~1987・関西大学経済・政治研究所)』▽『加藤春恵子著『広場のコミュニケーションへ』(1986・勁草書房)』▽『青池慎一ほか著『日常生活とコミュニケーション』(1986・慶応通信)』▽『D・マクウェール、S・ウィンダール著、山中正剛・黒田勇訳『コミュニケーション・モデルズ』(1986・松籟社)』▽『竹内成明著『コミュニケーション物語』(1986・人文書院)』▽『妹尾剛光著『コミュニケーションの主体の思想構造――ホッブズ・ロック・スミス』(1986・北樹出版)』▽『鍋倉健悦著『人間行動としてのコミュニケーション』(1987・思索社)』▽『電気通信政策総合研究所著『新しいコミュニケーション理論の研究』(1987・電気通信政策総合研究所)』▽『林進編『コミュニケーション論』(1988・有斐閣)』▽『田野崎昭夫ほか編『現代社会とコミュニケーションの理論』(1988・勁草書房)』▽『鶴見俊輔・粉川哲夫編『コミュニケーション事典』(1988・平凡社)』▽『橋元良明著『背理のコミュニケーション――アイロニー・メタファー・インプリケーチャー』(1989・勁草書房)』▽『嵯峨山雄也著『ボディ・コミュニケーション――動作でつくるよい人間関係』(1989・勁草出版サービスセンター)』▽『有吉広介編『コミュニケーションと社会』(1990・芦書房)』▽『原岡一馬編『人間とコミュニケーション』(1990・ナカニシヤ出版)』▽『東京大学新聞研究所編『高度情報社会のコミュニケーション――構造と行動』(1990・東京大学出版会)』▽『辻村明、D・L・キンケード編、中島純一訳『コミュニケーション理論の東西比較――異文化理解のパラダイム』(1990・日本評論社)』▽『J・B・ベンジャミン著、西川一廉訳『コミュニケーション――話すことと聞くことを中心に』(1990・二瓶社)』▽『中島梓著『コミュニケーション不全症候群』(1991・筑摩書房)』▽『稲葉三千男著『コミュニケーションの総合理論』(1992・創風社)』▽『E・M・ロジャーズ著、安田寿明訳『コミュニケーションの科学――マルチメディア社会の基礎理論』(1992・共立出版)』▽『飽戸弘著『コミュニケーションの社会心理学』(1992・筑摩書房)』▽『宮原哲著『入門コミュニケーション論』(1992・松柏社)』▽『R・R・ラッシュ、D・アレン著、村松泰子編訳『新しいコミュニケーションとの出会い――ジェンダーギャップの橋渡し』(1992・垣内出版)』▽『飯塚久夫ほか編『コミュニケーションの構造――人間・社会・技術階層による分析』(1993・NTT出版)』▽『橋本満弘・石井敏編『コミュニケーション基本図書1 コミュニケーション論入門』『コミュニケーション基本図書2 日本人のコミュニケーション』(1993・桐原書店)』▽『郵政国際協会電気通信政策総合研究所編・刊『情報社会におけるコミュニケーション構造の変容』(1993)』▽『大田信男ほか著『コミュニケーション学入門』(1994・大修館書店)』▽『高橋純平・藤田綾子編『コミュニケーションとこれからの社会』(1994・ナカニシヤ出版)』▽『正村俊之著『秘密と恥――日本社会のコミュニケーション構造』(1995・勁草書房)』▽『伊藤守・小林直毅著『情報社会とコミュニケーション』(1995・福村出版)』▽『尾関周二ほか編『思想としてのコミュニケーション』(1995・大月書店)』▽『田中伯知著『コミュニケーションと情報』(1996・芦書房)』▽『船津衛著『コミュニケーション・入門――心の中からインターネットまで』(1996・有斐閣アルマ)』▽『橋元良明編著『コミュニケーション学への招待』(1997・大修館書店)』▽『佐藤勉編『コミュニケーションと社会システム――パーソンズ・ハーバーマス・ルーマン』(1997・恒星社厚生閣)』▽『大谷裕著『コミュニケーション研究――社会の中のメディア』(1998・慶應義塾大学出版会)』▽『竹内郁郎ほか編著『メディア・コミュニケーション論』(1998・北樹出版)』▽『池村六郎著『コミュニケーション――メッセージの解読とメディアの経験』(1998・阿吽社)』▽『中森強編著『新現代図書館学講座15 コミュニケーション論』(1998・東京書籍)』▽『田村紀雄著『コミュニケーション――理論・教育・社会計画』(1999・柏書房)』▽『後藤将之著『コミュニケーション論――愛と不信をめぐるいくつかの考察』(1999・中央公論新社)』▽『伊藤陽一他著『入門セミナー・現代コミュニケーション1 コミュニケーションのしくみと作用』』▽『関口一郎他著『入門セミナー・現代コミュニケーション2 現代日本のコミュニケーション環境』(1999・大修館書店)』▽『橋元良明・船津衛編『シリーズ情報環境と社会心理3 子ども・青少年とコミュニケーション』(1999・北樹出版)』▽『池田謙一著『社会科学の理論とモデル5 コミュニケーション』(2000・東京大学出版会)』▽『阿部潔著『日常のなかのコミュニケーション――現代を生きる「わたし」のゆくえ』(2000・北樹出版)』▽『正村俊之著『コミュニケーション・メディア――分離と結合の力学』(2001・世界思想社)』▽『宮崎公立大学コミュニケーション学会編『コミュニケーション用語事典』(2001・北樹社)』▽『A・J・プリマック著、中野尚彦訳『チンパンジー読み書きを習う』(1978・思索社)』▽『鈴木健二著『フェロモン』(1980・三共出版)』▽『C・K・キャッチポール著、浦本昌紀・大庭照代訳『鳥のボーカルコミュニケーション』(1981・朝倉書店)』▽『T・R・ハリデイ、P・J・B・スレイター編、浅野俊夫・長谷川芳典・藤田和夫訳『動物コミュニケーション』(1988・西村書店)』▽『J・R・クレブス、N・B・デイビス著、山岸哲・巌佐庸訳『行動生態学(原書第2版)』(1991・蒼樹書房)』▽『Marc D. HauserThe Evolution of Communication(1996, MIT Press, Cambridge MA)』▽『A. Manning & M. S. Dawkins ed.An Introduction to Animal Behaviour, Fifth ed.(1998, Cambridge University Press, Cambridge)』
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…通信とは,メディア(媒体)を用いた隔地間のコミュニケーションを指す。社会経済活動の迅速化,複雑化,広域化などに伴って,通信に対する社会的ニーズは著しく高度化,多様化しつつあり,またこれらに対応して通信技術の進歩発展もめざましい。…
…【北森 俊行】
[社会科学への応用]
フィードバックの概念は,サイバネティックスの社会科学への応用ということから,経済学,社会学,政治学などにも用いられるようになり,モデルの説明のほか,広義には政策の結果をみて政策を変更するなどの場合にも用いられている。また人間のコミュニケーションを説明する概念の一つともなっており,例えばオズグッドC.E.OsgoodとシビオクT.A.Sebeokは,コミュニケーションとは話し手が聞き手に一方的に情報を伝達する過程ではなく,むしろ話し手の伝える情報が種々の要因によって規制され,システムとしての安定性が維持されるという観点から,話し手が自分自身の音声を聞きながら話の内容を修正していく〈個人内フィードバック〉と,聞き手の身ぶりや返答を確かめながら修正していく〈個人間フィードバック〉という概念を導入している。個人間の会話ではこれらのフィードバックが常に機能しコミュニケーション・システムを制御しているが,他方,高度な機械技術を使って不特定多数の大衆に情報を同時に伝達するマス・コミュニケーションにおいては受け手からのフィードバックが少なく,伝達が一方的になる傾向がみられる。…
…したがって,翻訳の本質を明らかにするためにはやはり(2)の機構の解明から出発するのがよい。
【言語間翻訳】
翻訳は何よりもコミュニケーションとして理解されなければならない。コミュニケーション図式にすると,話し手は自分の言語(コード)を用いて文(メッセージ)を作り(コード化),それを聞き手に送る。…
…マス・メディア(画一的な内容を大量生産する媒体。高速輪転機で印刷された新聞や雑誌,ラジオとテレビ,映画など)を用いて大量(マス)の情報を大衆(マス)に伝達するコミュニケーション。〈大衆伝達〉〈大衆通報〉などの訳語もあるが,〈マスコミ〉という日本独特の短縮形が愛用されており,この場合情報を生産する送り手(新聞社,出版社,放送局など)をさすこともある。…
…
[動作と身ぶりのあいだ]
生のあるかぎり,人間がほとんどたえまなく行う身体運動のうちには,他者へのコミュニケーションを目的とする,伝達的,表現的な動作があるが,これらは一般に〈身ぶり〉とよばれる。身ぶりのなかには,ことばにひとり言があるのと同様に,指折り数える動作のようにむしろ自己伝達的なものもある。…
…従来,ロボットの設計・製作・制御に重点がおかれていたため,ロボット工学を指す場合が多いが,近年,産業面以外の応用の議論が盛んになされ,ロボットに関連したさまざまな科学研究を総じて〈ロボティクス(ロボット学)〉と呼ぶ傾向が強くなってきている。現在,工場などで利用されている産業用ロボットは,一般大衆がイメージするロボットから程遠く,後者は主に大学や研究所などで〈自律ロボット〉として研究対象となっている。…
※「コミュニケーション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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