目次 用語と範囲 分類 コミュニケーションの前提 メディア メディアの歴史 コード 成立と阻害 コミュニケーションの変質 現代的課題 コミュニケーションの拡大と諸問題 情報格差 ファシズム の脅威 非言語的コミュニケーション 身体的表出の特性 身体的表出の多義性 身体的表出の読解 身体的表出と個性 ものによる非言語的コミュニケーション 超世代的コミュニケーション その他の非言語的コミュニケーション 国際コミュニケーション 動物のコミュニケーション 機能 動物における言語の可能性 もともとは〈ある所(の生物や無生物)から別の所(の生物や無生物)へエネルギー ,物体,生物,情報などが移動し,その移動を通じて移動の両端に,ある種の共通性,等質性が生じること〉をいう。ただし普通には〈人(送り手)から人(受け手)への情報の移動〉,もしくはその移動の結果生じた〈心のふれ合い〉〈共通理解〉〈共同関係〉などを指すことが多い。
用語と範囲 communicationの語根はラテン語のcommunisで,〈共有の〉とか〈共通の〉〈一般の〉〈公共の〉というような意味をもつが,〈コミュニケーション〉にぴったり相当する日本語はなく,使われている文脈に応じて用語が選ばれる。情報の移動が送り手から受け手への一方通行one-wayの場合は,〈報告〉〈通報〉〈通信〉〈伝達〉である。〈マス・コミュニケーション 〉は〈大衆伝達〉〈大衆通報〉で,〈テレ・コミュニケーション〉は〈電気通信〉である。それに対して,情報が送り手と受け手との間を往復する相互通行two-wayの場合は,〈会話〉〈討論〉などで,その結果生まれる〈共通理解〉〈合意〉〈ふれ合い〉などもコミュニケーションの一つの形と考えられる。〈もの〉の一方通行的移動は〈交通〉〈輸送〉〈贈与〉などで,相互通行では〈交易〉〈売買〉〈交換〉などである。熱の〈伝導〉も,コミュニケーションのモデルとされる。また人類学などから出た考え方として,〈婚姻〉も,ある親族集団から別の親族集団への,〈女性(または男性)を媒介とするコミュニケーション〉とみなされている。人間以外の生物が,色,におい,身ぶり,音声などで周囲に情報を発し,あるいは交換していることは周知のことであるが,最近では〈遺伝〉も生物の世代間コミュニケーションとしてとらえられるようになった。
分類 情報のコミュニケーションの分類としては,前述の一方通行か相互通行かのほかに,共時的synchronicか通時的diachronic(歴史記録,文化継承など)か,この現実世界内のものnaturalか神や祖先の霊など超越的存在との間のものsupernaturalか,道具的instrumental(天気予報など)かその場かぎりの完結的consummatory(寄席,漫才など)なものか,などいろいろに分別される。また情報の送り手と受け手の数によって,1対1(対話など),1対多(学校授業やマスコミなど),多対1(国王への請願など),またそれらの複合としての多対多(団体交渉など)に分けられる。両者の社会的関係によって,水平的(友人との会話)か垂直的(上司と部下)かの区別も,命令,合意など日常の社会生活において最も気を使われることである。
以上のような区分,分別に対して,コミュニケーションをその手段により分類して,より解釈的にとらえることができる。この場合は,非言語的non-verbalコミュニケーションと言語的verbalコミュニケーションの二つにまず大別し,さらに前者は表情,身ぶりなどの身体的記号を用いるものから,ものによる象徴,さらには音楽,図像などの複雑な象徴の結合を含むものまで,さまざまな段階に分類することができる。後者も,音声によるものと,文字や図式という複雑な記号体系を用いるものとに分けられ,さらにさまざまな媒体による分類が可能である。
以下,コミュニケーション一般と各論について述べるが,言語的コミュニケーションの中心たる〈言語 〉をはじめ,〈記号 〉〈象徴 〉などについてはそれぞれの項目を参照されたい。
コミュニケーションの前提 メディア 人間が社会的に意味ある情報を伝達したり受け入れたりするためには,いくつかの条件がある。心の中の印象や意図は無媒介的に受け手には伝わらない。謝意の贈物,身ぶり,音声,あるいは文字などの事物的パターンを媒介にして表出されるほかない。これらの媒体がメディアmedia であり,この語は人間と神との媒介者である霊媒の英語名medium,さらにその複数形のmediaに由来する。現代では,身ぶりや音声ばかりでなく,文字とさらにその担体である印刷物や電波など,その幅はきわめて広くなっており,そのうち新聞,雑誌,ラジオ,テレビなど,マス・コミュニケーションの媒体をマス・メディアという。
メディアの歴史 その語源でもあるように,人間が神や霊魂などと意思を交流するためには,特別の資質や才能をもった仲介者が必要である。シャーマンshaman,呪医magic-doctor,巫女,古代中国の天子,あるいは殷(いん)(前17世紀ころ~前11世紀)の時代に亀甲を焼いて天意を占った卜人などが超自然的コミュニケーションのメディアであった。
人間のコミュニケーションにおいては言語がきわめて重要な役割を担うが,言語の成立以前から,人間は表情や身ぶりで意思や感情を伝え合ってきた。すなわち肉体が非言語的メディアとして活躍していた。また音声も重要なメディアであったが,これはやがて言語へと発達していく。送り手と受け手の距離が広がると,太鼓,旗,のろし などが,信号・合図のメディアとして用いられるようになった。
人間のコミュニケーションの最初の革命は,文字 の発明である。前30世紀ともいわれる古シュメールで楔形文字が生まれた。粘土板を細い棒でひっかいて干し固めたものである。その後は石,パピルス,木,竹,羊皮紙,紙などが,文字を書きしるすメディアとして用いられた。文字によって人間のコミュニケーションは,共時的により広い範囲まで可能になったし,通時的にもずっと正確で容易になった。文字につづく第2の革命は,1450年ごろのJ.グーテンベルク の時代の印刷 術の発明である。ヨーロッパ ではほぼ同時に紙 の生産方法も進歩したので,紙に活字で印刷した書籍,雑誌,新聞などのマス・メディアが大量に普及し,識字率の向上とあいまって人類の文明の急速な発展をもたらした。第3の革命は,マス・コミュニケーションの登場と発展である。19世紀末から20世紀初頭にかけて,現在活躍しているさまざまなマス・メディアと,メディアの大量生産技術が,あいついで発明された。そして第2次世界大戦直後のコンピューター の発明と結びついて,情報化社会 を現出した。20世紀末の今日,コミュニケーション技術はふたたび飛躍的発展の胎動を示しはじめ,コンピューターと通信 技術の結びつきによる大量情報高速処理技術,いわゆる〈ニューメディア 〉の実用化に社会の関心と期待が集まっている。
コード ある音声パターン や表情がなにを意味するかを解読したり,表出したりするためには,意味するものと意味されるものとを関係づけるコードcodeが必要である。この場合コードとは,情報の単位とその組合せが,いかなる意味と結びつけられているかという〈取決め〉である。言語的記号については辞書や文法書にも,そのコードが記されているが,その他の形式の場合,そのコードは明示的には示されておらず,社会的に共有されたものとして,経験を通じて暗黙にその存在が認められているのが普通である。ところで,同じ〈暑いですね〉という発話は,〈窓を開けてほしい〉という請願を伝えたいときにも,〈ほんとうに暑いね。君もそう思うだろ〉と同調を求めるときにも発せられる。そのどちらであるかを正しく解読decodeするためには,両者の関係,それまでの話題等の相互交渉上のコンテキスト context (文脈)や場面状況が考慮に入れられなくてはならない。一般にコミュニケーションが成立しうると考えられている背景には,コンテキストや場面状況を考慮に入れた意味解読のコードが存在するという暗黙の了解がある。
成立と阻害 コードには,(1)絶対優勢dominantコード(絶対多数派が容認している),(2)併存競合negotiatedコード((1)に従属しながらも,一定の独自性を主張している),(3)反対抵抗oppositionalコード((1)を拒否している)がある。言語を例にとって,(1)を標準英語とすれば,(2)はロンドンなまりcockney,(3)はウェールズ語 やスコットランド語,といった関係になる。
送り手と受け手が共通コードのもとにあって送り手が情報に盛り込んだ意味を,受け手が共通コードに従って正確に解読すれば,コミュニケーションは成立する。しかし実生活では,コミュニケーションがうまくいかないことが多い。送り手の言い違いや受け手の聞き違い,移動の過程で発生する雑音noise,情報の多義性(たとえば〈カネオクレタノム〉)や難解さ,情報の不足や過剰(とくに受け手の情報処理能力との関連で)など,誤解 やコミュニケーション途絶breakdownをひき起こす要因はたくさんある。しかしなかでも,送り手と受け手の間に教養,体験,関心などの違いでコードにずれがあったり(世代間ギャップや異文化接触など),憎悪や不信があったり(信頼度credibilityギャップ)すると,それが障壁barrierとなり,コミュニケーションの成立を阻害する。
コミュニケーションの変質 近代以前の人間は,風俗習慣,言語,宗教,思想,道徳などの領域にそれぞれ絶対優勢コードのある狭い生活環境(コミュニティcommunity,ドイツ語でゲマインシャフトGemeinschaft)の中で生活していた。身分や性や年齢などの違いで併存競合コード はいつもあったが,反対抵抗コードは異端,一揆,侵略などの形でごくまれに一時的,部分的に生じたにすぎない。それだけにコミュニケーションの成立は容易だった。ところが近代化の進行過程で,人々は古いコミュニティをしだいに離れて生活するようになった。旅行,転勤,転職,遊学,移住,移民,植民など,国内・国外で異文化接触を直接体験するチャンスが増え,またマス・コミュニケーションの情報による間接体験も増えたから,人々の生活環境および擬似環境pseudo-environment(W. リップマン の造語。マスコミの情報をもとにして人々が脳裏に描く環境イメージ。〈環境 〉の項参照)は拡大した。
こうして人々は,さまざまな言語,思想,宗教,文化などと出会い,それらとの共存を認める寛容の精神の重要さに気づいた。ただしそのことは,既存の絶対優勢コードを絶対視せずに相対化したことや,その分絶対優勢コードの優位が崩れて人間がそこから解放されたこと,多数の有力な併存競合コードや反対抵抗コードが活性化したこと,を意味する。そこで中央集権的な近代国家は,学校やマスコミを通して国家レベルの絶対優勢コードづくりを推進する。標準語や公用語を定めて方言類を屈服させたり,特定の主義主張を宣伝したり禁圧したりするのは,その一環である。
現代的課題 20世紀も世紀末を迎えた今,コミュニケーションのインフラストラクチャー (下部構造,技術基盤)は,めざましい飛躍をしようとしている。しかもその一方で,コミュニケーションの危機はいよいよ深刻さを増している。その危機の様相を3点にまとめておく。
コミュニケーションの拡大と諸問題 コミュニケーション技術の発展のおかげで,情報も人間も商品の類も世界の隅々にまで,ごく短時間で移動できるようになった。けれども戦争は各地で頻発し,複雑な国際緊張がつづき,国内での暴動,弾圧,暗殺,失業,飢餓,差別などの諸矛盾は消滅しない。しかも,こういう憂慮すべき事態への無関心も広がって,コミュニケーションを通しての共通理解,共同関係の形成という理想の実現にはほど遠い。
情報格差 情報化社会の到来のなかで,情報格差はあちこちでむしろ拡大の傾向を示している。1970年代後半から,主として第三世界が新世界情報コミュニケーション秩序 の形成を訴えている。とはいえ情報の南北問題は未解決であり,国内でもニュー・メディアの登場と普及は,情報格差を解消する可能性がある反面,逆に拡大する蓋然性も小さくない。
ファシズムの脅威 絶対優勢コードを失った現代人は,失われたものの幻影を追って,過剰同調,画一化に走る性向を内包している。有名ブランド商品が崇拝され,新奇ファッションやブームが大衆を巻き込み,何百万部ものベストセラー が生まれ,毎朝の連続テレビドラマに何千万人もが熱い視線を送る。商業CMや政治宣伝も秘術をこらす。こうして上からの垂直的コミュニケーションに社会の大半が共感し,同意-同調するなら,それはまさにファシズム社会の到来である。
したがって今こそ,人類規模の視野と関心をもつこと,上からのコミュニケーションを批判しながら受けとめる個性を確立すること,反省や対話という水平的コミュニケーションを通して新しい共通理解や共同関係を形成することが,きわめて重要である。 執筆者:稲葉 三千男
非言語的コミュニケーション 人間は言語を獲得する以前にも,なんらかのコミュニケーション手段をもっていたはずである。また言語獲得以後においても,非言語的な身体的表出に頼って,言語では伝達しえない意を交換し合っている。たとえば,感情的に微妙な事がらを電話で話し合うようなとき,一種のいらだたしさとともに,コミュニケーションにおける非言語的な部分の比重の大きさを感じさせられるはずである。さらに言葉によるよりも,それ以外の手段に訴えるほうがより効果的な場合もある。たとえば冗談話をする際,その旨の伝達はそれ相応の表情やウィンクがふさわしく,〈私はうそをついている〉という言語表現では循環的言述となって意味をなさない。ともあれ情報の発出基体であるわれわれは,口腔以外にも身体をさまざまに操りながら言語的形式以外の諸情報を,発話とは独立に,あるいは発話に随伴させつつ発出し,相互にコミュニケートし合っている。
身体的表出の特性 ところで言語的コミュニケーションである〈会話〉が,関与者による発話の交代という形式をとるのが普通であるのに対し,しぐさや姿態など身体的動作や形姿によるコミュニケーションは,交代的形式をとらず,関与者どうしの同時的表出の様相をとる。挨拶 のために頭を下げたり握手したりする行動は,開始者の先後はあっても,同時に進行しうるものであり,あるいは邂逅や別離のしるしとして同時に了解し合い,それを拒否する場合とは明らかに区別された意味を両者の間に成立させる。触覚依存度の高い性的交渉の例はさておき,これら以外にも筋書きを共有し合った者どうしの共同作業や儀礼の場面で,人は言葉を発しなくとも,相互の身体的行動の軌跡を視覚的に読みとることで,コミュニケートし合っている。相撲やラグビーもまた,言葉を発することなく,相互の動きを視覚的あるいは触覚的知覚にもとづいて認知して,言葉によらぬコミュニケーションを行いつつ,同時並行的に競い合っているのである。
身体的表出の多義性 もちろんこれらの非言語的表出は,言語のように,それ自身の内的意味が明確なものはきわめて少ない。金銭を示す親指と人差指でつくった輪,あるいは目上に対する低姿勢は,まだ意味についての合意度は高い。しかし微笑した表情や,うなだれた頭は,それが当人のなにを表現しているのか,定めることが難しい。うなだれた頭は,関係を避ける積極的忌避か,恥じらいか,それともなにかを思案中なのか,多義的な解釈を可能にする。またほほ笑みも,自分への歓迎の意を示しているのか,職業的につくられたものなのか,読みとりは難しい。これらの身体的表出はあいまいなだけに,逆に行為主体がそのあいまいさを利用して演技する道が開かれてもいる。ここに偽りのコミュニケーションの源泉があると同時に,プライバシー保持の最後のとりでも築かれることになる。なぜなら身体的表出の起因である身体内の〈思い〉は,物的証拠をあげてせんさくする糸口をもたない。このように表情その他身体的表出は,枢要なコミュニケーション手段であると同時に,他方,自己のための強固な遮蔽体としての働きをもつ。
身体的表出の読解 ただし,身体的表出をつねにあいまいにしておくことは,他方において,他者との協力の糸口を断つ。他者と接近し,会話を始める以前においても,われわれはほほ笑み,挨拶するのが普通である。また会話の途上でも,その会話が自分にとって好ましいものか,もう打ち切りたいものか,相互交渉についてのある種の情報を表出している。意識しているか否かにかかわりなく,身体的に表出される情報を,受け手は送り手の意図を超えて,送り手がおもわず漏らしたものまで読みとって,交渉を相互に調整している。
それでは人間は,身体的表出をどのように枠づけているのだろうか。偽装可能性さえ完全なあいまいさの下では不可能であり,われわれはいくつかのレベルで,表出や読みとりにかかわる意味制限的参照枠組みをもっていると考えるほかない。身体的表出は,第1に,特定の内容を表現するための動作・形姿上の参照枠組み,第2に,特定の動作・形姿と,それが解読される場(コンテキスト)との関係についての参照枠組みを伴っている。かしわでが料亭で打たれたときは仲居を呼ぶしるしと理解され,神社で打たれたときは参拝のしるしと理解されるのである。この例では,表出形式も読解枠組みもともに文化的に特殊だが,笑いや悲しみなどのいわゆる情緒表現としての表情のように,文化を超えて共通し,身体的にうめこまれた人間一般の形式であるものもある。にもかかわらず,異なる文化において,思いがけぬ身ぶりや微笑に出くわして当惑するのは,文化的に異なる文脈上の枠組みの差によるものと考えられる。
身体的表出と個性 それだけでなく,同じ文化内の人どうしでさえ,同じ場面で笑う人もあれば怒る人もある。そこには,単に人間一般や文化一般の行動や意味解読上の準則では割り切れぬ,場面についての個人特有の文脈認知の枠があり,可視的世界の枠の中で自己をいかに表出し演ずるかということについての,コミュニケーション以前の,自己と他者との〈視界〉の相違あるいは食違いの問題がある。もちろんこういう差異を回避するために,各人の志向性を限定し,作法 や行為規則を強制的に教育することを,どの社会でもある程度は行っている。しかし個人の自由を完全に抑制することは生を否定することになる。あいまいさを残す身体的表出の基体である身体は,プライバシーのとりでであると同時に,偽装の源泉つまり混乱の源泉ともなる。個人の主体性と社会の規範性,換言すれば自由と秩序とは身体的表出という領域において,相互に背反しつつ補足し合っているかにみえる。
ものによる非言語的コミュニケーション 〈もの〉による情報は,一般的には状況陳述的情報である。客間にいけられた花は,その主人の趣味,あるいは客をうけ入れる態度についての一般的状況を示唆してくれる。儀礼における特別の道具立てや飾りは,まさに聖なる空間についての,また儀礼の過程についての情報を提供している。このような特定の意味を付された〈もの〉を象徴という。〈もの〉と意味との関係はしばしば恣意的である。庭の中にある白い石が大洋の中の島を意味するというとき,われわれは日本庭園での象徴的意味解釈のコードに照らしてのみ,納得される。
こういう点で,身体的表出のあるものは,種としての人間の行動習性に根ざすという意味で自然的基礎をもつのに対して,〈もの〉に付与された象徴的意味は文化的に特殊であり,したがって多様である。かつ行為的主体をはなれて存在しうるから非個性的であり,むしろ陳述的情報として,場面の状況について語っているケースが多い。ただ贈物 のように贈主の感謝や期待を伝える場合もないわけではない。特定の意味を象徴するものとはいえ,この贈物としての〈もの〉は,送り手の固有名をつねに付されている。もしそれが固有名を失い,無名化して交換されはじめるや,それは貨幣に近いものとなる。経済的交換行為をコミュニケーションの一つの形態とみるかどうかは議論のあるところだが,象徴としての〈もの〉のコミュニケーショナルな機能については,状況陳述的レベルから,自己表出的,さらには経済交換的レベルにまで及ぶ,広い範囲があるというべきであろう。
超世代的コミュニケーション これまでは,一般的にいって共時的なコミュニケーションを想定して述べてきたが,時間的,世代的へだたりをおいたコミュニケーションとでもいえる,情報の蓄積ないし後代への伝承の相というものがある。というと,一般的にはすぐに歴史書とか口誦伝承などが連想されるが,そのような蓄積,伝承はけっして言語的,文字的な形式ばかりではない。固有の名をもつ1本の大木は,かつて数百年にもわたる首長国の歴史を物語りえた。都市の通りに付された革命日や偉人の名は,都市のつづくかぎり,そのできごとについての情報を後代に伝えるのである。人よりも木に,木よりも都市に,都市よりも星にと,できごとを刻印する〈もの〉の永続性の度を高めつつ,情報の伝承はなされたのである。
その他の非言語的コミュニケーション これまで非言語的コミュニケーションについて身体的表出を中心に述べてきたが,しかし諸文化は身体の形姿以外にも多くのコミュニケーション方法を生み出してきた。非言語的な音響には叫び声や歌のメロディ,また発声器官の二次的延長としての楽器などがあり,これらによってかなり高度のコミュニケーションを行っている人々もいる。ニューギニアの高地人は,叫び声の抑揚や長短で,森を通して遠隔コミュニケーションを達成している。また西アフリカの人々は,太鼓の音の組合せで,複雑な情報を伝えている。分節化の度の高い音やメロディは,そういう複雑な記号の組合せを可能にしている。それに対して姿態の延長として身体をおおう衣服は図像的である。形態や色模様の組合せによって,種々のパターンを生み出すことができ,それをまとうものの職業,部族,性,そして場面に応じた自己の態度や気分を示す手段として用いられている。かつて衣装は,人の帰属集団や地位,あるいは人々の集会の意味を明示するしるしとして,重要な意味をもっていた。むしろ言語や身体的表出のほうが,衣装の生み出す枠づけのなかで,表現され,意味づけられることさえ少なくなかった。伝統的社会においては,言語的発話やしぐさが,これら物的道具立てに従属するかたちで,いわばその網目からもれでるものにすぎないこともあったのである。
ともあれ身体接触時のかすかな触感の瞬間的なやりとりから,世紀を超えた情報の伝達にいたるまで,幅広いレベルのなかで,われわれは文化によって異なるさまざまのコードを用いて世界を解釈しつつ生きてきたのである。 →身ぶり語 執筆者:谷 泰
国際コミュニケーション 人間社会がコミュニケーションなしに存立しえないと同様,国際社会もコミュニケーションなしには機能しえない。一般に国境を越えて行われるシンボル,人,物,さらに暴力の交換を国際コミュニケーションと呼び,現在の国際社会はメッセージ の交換,つまりコミュニケーション活動から成り立っているといえる。この意味において国際コミュニケーションは,国際主体間の情報交換に基礎づけられる。近年国際主体の多様化に伴い,国際コミュニケーションの経路も多元化し,国際関係のあり方に大きな影響を与え,外交方式に変革をもたらした。国家間の友好関係,国民の国際理解やイメージ形成,国際紛争とその解決には,コミュニケーションが不可欠である。また,政策決定者が〈情況の定義〉を行う場合,それを基礎づけるのはコミュニケーションの流れそのものである。第2次大戦後の行動科学の発展のなかで多くの政治学者が〈権力の理論〉から〈コミュニケーションの影響力の理論〉への転換を説いた。サイバネティックス を政治学に応用したドイッチュKarl Wolfgang Deutsch(1912-92)は,伝統的な権力の研究を排し,国家や国際政治をコミュニケーションの過程とシステムと考えた。それゆえ国家は,情報の〈生産者〉かつ〈消費者〉であり,国際コミュニケーションの〈処理者〉であるとした。国際コミュニケーション研究の先駆者であるR.C.ノースは〈近代国家は,本質的に,国内問題ならびに外交関係に関するメッセージの交換に基づく,意思決定と制御のシステムである〉という。すなわち,国際コミュニケーションは,発信者がある政策を実現する目的で受信者の支持と協力をうるために発する説得コミュニケーションである。そのためにありとあらゆるコミュニケーション手段が動員される。かつてヨーロッパでのできごと,たとえばフランス革命が日本に伝わるのにはかなりの日時を要したであろう。しかし現在では世界のできごとを瞬時にして居間のテレビで見ることができる。諸コミュニケーション手段を通じて政策決定者も国民も自己イメージ,世界についてのイメージを形成し,ある場合にはそれをフィードバックし,さらに国際理解を深めたり,争点を明確化したりし,それらは国際世論形成の媒体の役割を果たす。たとえば,ベトナム反戦や反核の国際連帯が〈世論は軍隊よりも強力である〉という一面を示したのは,国際コミュニケーションの発展を抜きにしては考えられない。
国際コミュニケーションのタイプは,直接的と間接的コミュニケーション,秘密と公開コミュニケーション,明示的と黙示的コミュニケーションに分類することができる。古典的外交の時代には外交の主体は国家のみであった。しかし現在権力の国際的組織化や企業の国際化,民衆間の交流の増大につれて多くの国際コミュニケーターが登場した。それは大別すると政府的,非政府的,文化的の三つの要因からなっている。従来,国際コミュニケーションで無視されがちであった文化的要因は,人間が創造するものであると同時にそれによって人間の行動が規制されるため,外国の軍事占領,伝道活動,さらには対外援助の成否に大きな影響を与える。〈沈黙のことば〉としての文化は,多くの場合コミュニケーションや相互理解を困難にし,国際政治におけるイメージ・ギャップを発現させる契機となる。国際紛争は国家間にではなく,むしろ国家のゆがめられたイメージ間に起こるといわれる理由がここにある。したがって,紛争解決に必要なことは,コミュニケーションの増進を図り,相互信頼を醸成することである。そのためには情報の国際化のなかで,それぞれの国の文化,価値観,行動様式の相違を認識し合い,コミュニケーションや交流を増大させることが肝要になる。そして情報の多様な経路を確立し,多元的な国際イメージを構築することによって,国際的な経済摩擦や政治的緊張を緩和し,異文化間の融合を促進し,文化接触による誤解や偏見を除去することが必要である。国際(文化)交流があらゆるレベルで多角的に行われ,人類の共通の財産にまで高められねばならないゆえんがここにある。
70年代に入り注目すべき国際的な動きが起きた。それは,新世界情報コミュニケーション秩序 の模索であり,第三世界の国々がユネスコを舞台として大国,先進国中心の国際コミュニケーション体制に異議を唱え,公正な情報システムの確立をめざしていることである。しかし90年代に至ってもなお,この問題については大きな進歩はみられない。 執筆者:臼井 久和
動物のコミュニケーション 動物のコミュニケーションを考える場合には,受け手の側の心理的変化を外からうかがい知ることができないので,〈ある個体(送り手)の行動が他個体(受け手)の行動を変化させること〉と定義しておくのが妥当であろう。ここでいう行動には単なる身ぶりや姿勢だけでなく音声やにおいの信号も含まれる。人間の場合のように送り手がコミュニケーションの効果を予測していると考えられるような例は,一部の高等哺乳類を除けばまれである。コミュニケーションのためにとくによく発達したディスプレー や信号をもつ動物は多いが,それらも最初は単なる驚きや恐れ,威嚇といった送り手の側の生理的反応にすぎなかったものが,相手に対して一定の意味を獲得し,進化の過程で特殊な発達をとげたものとみなされる。この過程は儀式化 と呼ばれるが,儀式化を通じて行動は信号としてより効果的,象徴的なものとなる。受け手の側は送り手の側の行動全体に反応するのではなく,そのうちの一定の成分のみ(これをリリーサー と呼ぶ)を引金として受けとめるのであり,人工的なリリーサーによっても同じ反応を引き起こすことができる。したがって,動物のコミュニケーションにおける意味解読のコードは,遺伝的に決定されたものといえる。
機能 動物のコミュニケーションの機能は次のように大別することができる。(1)配偶時に,求愛から交尾に至る過程をスムーズに行わせるためのもの。(2)親子,家族,群れなどの絆(きずな)を維持するためのもの。(3)なわばり防衛や順位確認など社会的秩序維持のためのもの。(4)餌のありかや進路などを仲間に伝えるもの。(5)敵の存在を仲間に知らせるもの,である。(4)および(5)については種間コミュニケーションもありうる(たとえばミツオシエ の案内行動や小鳥類の警戒声)が,原則としては同種間に限られる。
コミュニケーション手段はひじょうに多様で,視覚,聴覚,嗅覚(化学的感覚),接触覚のすべてが動員されるが,個々の動物についてみれば,その方法は種特異的である。視覚的コミュニケーションの最も単純なものは体色(または角などの形態)で,多くの動物にみられるが,一般に特定の信号部位をみせるための行動が伴う。ついで表情や身ぶりがあげられるが,最もみごとな例としてミツバチの働きバチが蜜源の位置を知らせる尻振りダンスがあげられる。特殊なものとしてはホタルなどの発光動物の発光パターンがある。聴覚的コミュニケーションの代表は音声で,小鳥類のさえずり,鳴く虫の声(ほとんど鳴くのは雄のみで,雌を誘引し,雄を排除する働きをもつ),カエルの鳴き声,哺乳類の咆哮(ほうこう)など多様であり,特殊なものとしてはコウモリやイルカ類の超音波がある。嗅覚ないし化学感覚によるコミュニケーションの例としては,多くの昆虫の雌が分泌するフェロモン ,哺乳類がなわばり宣言のために分泌物や排出物を木や石にこすりつけるマーキング行動 などがあげられる。接触覚によるコミュニケーションは哺乳類の親子間や,昆虫をはじめ多くの動物の配偶行動において重要な役割を果たしている。
同種間コミュニケーションにおいて,ある手段が信号としての機能をもつためには,それを信号として知覚する機構の存在が前提となるので,一般に複雑なコミュニケーションは高度な体制をもつもののみに可能である。 →行動 執筆者:奥井 一満
動物における言語の可能性 動物にも音声をコミュニケーション手段として用いるものは多いが,言語と呼びうるほどの象徴性をもつものはない。37種類にも分類されるニホンザル の音声も,その大部分は強い感情の表出であり,そうでないものも不特定多数に向けての意思表示にすぎない。ごく少数の音だけが特定個体に向けて発せられる1対1の平静な〈ささやき〉であり,これこそ最も言語的内容をもつものである。
音声ではなく,行動型としてみれば,このカテゴリーに入るものは少なくない。類人猿のチンパンジー では,このカテゴリーに入るものとして〈あいさつ〉とか〈なだめ〉とかの微妙な伝達行動が多様にあらわれる。にもかかわらず,サルや類人猿が音声言語を使えないのは,発声器官とくに喉頭部の構造に帰するといわれる。すなわち,ヒトは直立することによって気道の自由な開閉が可能になり,有節音の発声ができるようになったのだという。実際,チンパンジーにヒトの音声言語を習得させることはできないが,1970年以来の多くの研究によってチンパンジーが手話を覚え,絵札や鍵盤による人造語を習得する能力のあることがわかった。すなわち,平叙文ばかりか疑問文や仮定法までも理解し,つくり,表出する能力があるという。訓練によって,飼育チンパンジーどうしで簡単な手話による会話までする。しかしながら野生状態のチンパンジーでは,言語の片鱗すら見つかってはいない。なお,キュウカンチョウやオウムはヒトの言葉をまねることで知られているが,音声の模倣が,その内容まで理解したコミュニケーション機能にまで高まることはまったくない。 執筆者:杉山 幸丸