タレル(読み)たれる(英語表記)James Turrell

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タレル」の意味・わかりやすい解説

タレル
たれる
James Turrell
(1943― )

アメリカの美術家。ロサンゼルス生まれ。父は航空工学エンジニア。カリフォルニア州クレアモントのポモナ・カレッジで知覚心理学と数学を学ぶかたわら、有機化学、物理学、美術にも強い関心を示し、1965年に同校を卒業後カリフォルニア大学アーバイン校の大学院に進学して美術を学ぶ。同大学院在学中の1966年にはウィスコンシン州オーシャン・パークのメンドータにスタジオを所有、翌1967年にはパサディナ美術館で早くも初個展を開催、『プロジェクション・ピース』という人工光を投影する作品を発表した。1973年にクレアモント大学大学院の芸術学修士号を取得後は、短期間のうちにアムステルダム市立美術館(1976)、ニューヨークのホイットニー・アメリカ美術館(1980)、パリ市立美術館(1983)、ロサンゼルス現代美術館(1985)など主要都市の美術館で次々と個展を開催、名声を国際的なものとした。

 タレルの名を一躍高めたのが『ローデン・クレーター』である。ローデン・クレーターとは、アリゾナ州のサンフランシスコ火山帯東端に位置する死火山の山頂の噴火口ことで、標高約2500メートルのこの死火山がなだらかな稜線とほぼ円形の噴火口をもっていることに着目したタレルは、噴火口の内部に大規模な土木工事を施し、太陽光や月光を知覚できる11の部屋を設けることを着想したのである。これは、タレルが1970年に飛行機の操縦免許を取得し、空から噴火口を見て以来長年温めてきた壮大なプロジェクトで、1979年に着工され、継続して作業が行われている。

 自然を舞台としている点ではアースワークと同質だが、一方でタレルのアプローチはよりコンセプチュアル・アートに近い面をもっており、「光は私にとって素材(マテリアル)であり、知覚は媒体メディウム)である」、あるいは「夢のなかの光はどこから来るのか」と語るなど、光を主要な制作素材として活用することへのこだわりは、屋根を開いて外光を知覚できるようにしつらえた「スカイ・スペース」シリーズ(1974~ )等の作品、人工光や自然光を用いた屋内でのインスタレーション作品、一人ずつ光を体験できる移動可能な部屋「パーセプチャル・セル」のシリーズ(1990年代)などの作品を生みだした。そこにはプリミティビズムや抽象表現主義の影響も指摘することができる。1995年(平成7)には水戸芸術館で、1998年には世田谷美術館(東京)で相次いで個展が開催され、タレル作品の一端が日本でも紹介された。2004年に直島(なおしま)に開館した地中美術館(香川県)にも、タレルの作品が恒久設置されている。

[暮沢剛巳]

『Georges Didi-HubermanL'Homme qui Marchait dans la Couleur(2001, Minuit, Paris)』『「ジェームズ・タレル――未知の光へ」(カタログ。1995・水戸芸術館)』『「ジェームズ・タレル――夢のなかの光はどこから来るのか」(カタログ。1998・世田谷美術館)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「タレル」の意味・わかりやすい解説

タレル

米国の美術家。ロサンゼルス生れ。1970年代から光をテーマにインスタレーションを展開。自然光や人工の光を巧みに扱い,あたかもそこに何らかの空間や物体が存在するかのような光のイリュージョンを作り出す。ただし彼の目指すところは20世紀美術の文脈とはやや趣を異にする。光という実体のない現象を純粋に体験させるという試みは,単なる知覚研究を超えて,自然との対話をより大きな次元で図ろうとするものである。1970年代半ばからアリゾナ州フラッグスタッフ近郊の火山のクレーターの地下にトンネルを掘り,地下から天体や空を鑑賞できる環境づくりに取りかかっている。現在も彼のライフワークとして進行中のこの《ローデン・クレーター》プロジェクトは,昼間でも天体の運行が見えるスクリーンを備えた地下博物館になる予定である。

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