( 1 )日本では多く仏書で②の意に用いられた。
( 2 )「蘭語訳撰」(一八一〇)では gevoel の訳語に用い、③の挙例「遁花秘訣」も感覚器官の働きを指しているから、「感覚」の意を派生したのは近世のことと思われる。
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人間をはじめとする生活体が視覚、聴覚、触覚などの感覚受容器を通して環境の事物やその変化を知ることを意味する。感覚は、受容器が興奮し、求心性神経によって伝達されたインパルスimpulseが感覚中枢を刺激することによってもたらされる直接的経験であるが、知覚はいくつかの受容器の相互作用に基づいた総体的な経験である。過去の記憶内容との照合、注意、思考、言語といった心理的過程や、運動系との相互作用を重視して考えた場合、さらに広義に認知cognitionといわれる。最近では知覚や記憶、思考などを連続した不可分の情報処理過程とみて、主体的要因を含む階層構造を想定する、いわゆる認知的アプローチが試みられている。
[西本武彦]
光とか音のように直接感覚受容器に与えられる刺激は近刺激proximal stimulus、元になっている刺激は遠刺激distal stimulusとよばれる。同じ遠刺激でも受け取る条件によっては異なって知覚される。その逆もいえる。テレビのブラウン管上の人物は電気的に合成された擬似人間であるが、近刺激としては実在する人物と等価である。知覚された事物は一つの構造をもっている。すなわち、刺激布置にまとまりができて(分凝segregation)、部分的に図と地が分節figure-ground articulationしている。この分節を規定する要因としてゲシュタルト心理学では閉合の要因、シンメトリーの要因などいくつかの要因をあげる。図と地の問題に最初に注目したのはルビンである。この反転現象は、物理的刺激としては同一のものでも知覚する主体にとっては図が地になり、地が図になるというように対応関係が変わることを示している。図は無秩序に存在するのではなく、互いにまとまりをもつ。これを知覚対象の群化という。近さの要因、類同性の要因、共通運命の要因などいくつかの要因があげられていて、分節の要因とあわせてゲシュタルトの法則とよばれる。群化の法則は「よい」形態を成立させる法則であり、プレグナンツ(簡潔性)の原理principle of Prägnanzが働く。
実際の生活空間では、知覚対象は時空間的に時々刻々変化し、明るさ、大きさ、角度、距離などが変わるが、相互の割合が変わらなければ対象の知覚は変わらない(知覚の恒常性perceptual constancy)。逆に、同じ対象でも周囲の刺激布置や枠組みによって異なって知覚されるのが幾何学的錯視である。
知覚は複雑な心理的過程の総体であり、そこには生活体の学習経験や社会的・文化的背景が反映する。性格検査の一つとして有名なロールシャッハ・テストは多義的で、あいまいな図形を用いるが、基本的には見る人のパーソナリティーがそうした図形の知覚内容に反映するとする力学的知覚の立場にたっている。力学的知覚、社会的知覚といわれるのは主体の欲求や期待を重視する立場であり、ニュールック心理学new look psychologyとよばれる。
[西本武彦]
(1)構成主義的知覚理論 19世紀後半、ドイツ人ブントによって出発した科学的な心理学は、構成主義的心理学であり、心理現象を単純な基本要素の結合によって説明しようとした。この立場の知覚研究は知覚表象を純粋感覚に分析し、その結合法則を考察することであり、ティチナーによってさらに強く主張された。(2)ゲシュタルト理論 構成主義的心理学では知覚を要素過程に分析しようとした結果、素朴な知覚経験の現実性が失われた。これに対してカッツやルビンは心理現象をあるがままにとらえることを主張して、日常空間での色の見え方や図・地の反転現象を詳細に記述した。この立場は実験現象学experimental phenomenologyとよばれ、ゲシュタルト心理学に組み入れられた。ゲシュタルト心理学は構成主義、連合主義をモザイク説として退け、知覚を含む心理現象は体制化された全体構造によって規定されるという全体論的立場を主張した。たとえば、メロディーは個々の音の総和以上の全体的特徴をもつし、構成要素である個々の音を一定音階だけ変化させても同じメロディーとしての特徴は保たれる。すなわち移調transposition可能である。心理現象はもっとも単純で安定した体制に落ち着くように自動的に変化する、というプレグナンツの原理が、ゲシュタルト心理学の基本原理である。ゲシュタルト心理学は、ウェルトハイマーの仮現運動apparent movementを起点とし、ケーラーの心理物理同型論psychophysical isomorphism、コフカらの図形残効figural aftereffect研究、レビンの心理学的場理論に発展していった。(3)現代の知覚研究 ゲシュタルト心理学においてはその研究の多くが図形を暗室で提示するというように、実生活空間から離れた環境で行われた。この点を批判してギブソンは、自然環境のなかでの通常の観察による知覚を重視した。視空間は「面」「線」「距離」の諸特性をもつが、彼はこれらを網膜像における勾配(こうばい)に関係づけたので勾配説gradient theoryといわれる。近接刺激のなかに、知覚の成立に必要な情報が含まれるとする考えである。ブルンスウィクE. Brunswik(1903―55)は、知覚を環境に対する適応の手掛りとしてとらえ、その生態的妥当性ecological validityを問題にして、遠刺激、近刺激、知覚の三者関係をレンズ・モデルlens modelで示した。またエームズA. Ames Jr.に代表されるトランスアクション説transaction theoryにおいては生活体と環境との力動的相互関係が重視され、過去経験によって生まれた仮説が知覚を導くと考える。
このほか、ゲシュタルト心理学ではあまり取り上げられなかった欲求、期待、性格といった生活主体の要因を重視したのが、ニュールック心理学である。ブルーナーらの貨幣の見かけの大きさと貧富の差との関係を調べた実験などがある。
以上のような機能主義的傾向とは別に、ヘッブの細胞集成体説は知覚過程に対応した神経生理学的過程の成立メカニズムを想定する。しかしモデルの実証性はまだ十分ではない。現代の知覚研究にあって生理心理学的研究は目覚ましく進展している。ヒューベルD. H. Hubelによって発見された、図形特徴を選択的に検出する神経細胞feature detector、マッハ現象Mach phenomenaを説明する側抑制(そくよくせい)lateral inhibitionのメカニズムは知覚研究に大きな影響を与えている。
さらに精神物理学がフェヒナーによって創設されて以来、彼の考案した測定法は改良を加えられながら今日、調整法method of adjustment、極限法method of limits、恒常法constant methodとして心理量の評価のうえで重要な役割を果たしている。スティーブンスによって定義された四つの尺度やべき関数、通信工学で生まれた信号検出理論の精神物理学への適用など、心理量の測定法には飛躍的な発展がみられる。
[西本武彦]
哲学においては、事物についての直接的な認識という性格を示す経験的意識が「知覚」である。もし「感覚」と「知覚」を区別するならば、まとまった体制を備え、事物の直知である「知覚」は、与えられた感覚素材を総合‐統握し、解釈し、あるいは記憶や期待によって補ったりしながら、事物を事物として現出させる経験的意識であると解される。これに対して単に素材的印象としてのデータ(所与)は「感覚」とよばれる。ただし、知覚から区別される単に印象的なセンス・データ(感覚与件)なるものが、実際の経験において与えられることがあるかどうかは疑わしく、「感覚」と称されるものも、単に体制が比較的単純な知覚であるかもしれない。
ヘーゲルは『精神現象学』(1807)において、知覚を感覚とともに(自己意識とは区別される)対象意識の項目に入れ、しかも知覚が感覚よりも高次なのは、感覚(的確信)がまったく直接、無媒介の「いま」と「ここ」にとらわれているのに対して、知覚は単なる感覚印象的なものを媒介し、たとえば「白く」も「固く」も「丸く」も……ある一つの「物」(たとえば灰皿)をとらえる、つまり事の真実をとらえる(wahr-nehmen)からだとしている。だが、この見方も前記の「知覚」という語の今日における一般的な用法を逸脱するものではない(西洋では近代の初めごろまでは、知覚perceptioは前述したよりも広く、心的な把握の働き一般をさすのに用いられた)。
知覚はまた、事物の認知であるという点では、想像、身体感覚、夢などに対比させられ、直接的な知という点では、推論のような働きに対比させられることもある。
サルトルの『想像的なもの(想像力の問題)』(1940)によれば、想像的な意識はその対象を無として、つまり非存在として措定するが、そのことは逆にいえば、想像には知覚にみられる対象の「観察」が伴わないこと、想像が一種の「擬似観察」であることを示す。知覚には、対象の射映面的な現出に伴う際限のない観察ということがあり、無限にくみ尽くしがたい豊饒(ほうじょう)性があるのに対して、想像物の擬似観察は、観察とはいっても、想像する主観が初めそこに措定したもの以上には出ない観察である。知覚の主題的対象がそれを取り巻くもろもろの地平に守られながら、前後左右、遠近さまざまの現出様式(射映面)を通して物として現前してくるところに、知覚物が想像物や単なる観念とは違って、「生きた」知覚物であるしるしが認められるのである。
[山崎庸佑]
『藤永保他編『新版 心理学事典』(1981・平凡社)』▽『R・L・グレゴリー著、金子隆芳訳『インテリジェント・アイ』(1972・みすず書房)』▽『J・E・ホッホバーグ著、上村保子訳『知覚』(1981・岩波書店)』▽『和田陽平他編『感覚・知覚心理学ハンドブック』(1969・誠信書房)』▽『ヘーゲル著、金子武蔵訳『精神の現象学』上下(1971、79・岩波書店)』▽『メルロ・ポンティ著、竹内芳郎他訳『知覚の現象学』全二巻(1967、74・みすず書房)』
〈知覚〉は,日本では古来,〈知り,さとる〉という意味の語であったが,西周が,アメリカ人ヘーブンJoseph Havenの著《Mental Philosophy》(1857,第2版1869)の邦訳《心理学》上・下巻(1875-79)の中で,perceptionの訳語として使用して以来,哲学や心理学などで英語,フランス語のperceptionやドイツ語のWahrnehmungの訳語として定着するに至った。perceptionという語は,〈完全に〉〈すっかり〉などの意を示す接頭辞perと,〈つかむ〉を意味するラテン語capereとからなる語であり(ドイツのWahrnehmungは,〈注意〉の意を有するwahr-英語のawareなどに残っている-と,〈取る,解する〉を意味するnehmenとからなっている),たいていは五感によって〈気づく〉〈わかる〉ことを意味する。哲学や心理学でも,感覚を介する外的対象の把握が普通に〈知覚〉と呼ばれている。したがって,それは,純粋に知的な思考や推理とは区別されるが,また単なる感覚とも区別されるのが普通である。しかし,その場合問題になるのは,実はそうしたことのもつ認識論的価値であるから,その点をめぐって知覚についての議論もさまざまに分かれてくることになる。
まず,知覚が刺激の単なる変容としての感覚から区別されるのは,知覚が対象についての認知を含むと考えられているからである。一方,知覚が感覚を媒介にした把握に限られるのは,知覚に対象との直接的接触が期待されているからである。その意味では,知覚は,対象との直接的接触による直観知への要求を反映した概念ともいえる。事実,われわれ自身の内的状態や意識そのものの把握が,いわゆる五感によるものではないにもかかわらず,ときに〈内部知覚〉などと呼ばれるのは,知覚のそうした理解にもとづいているわけである。そして知覚がそのような対象の直接知と解されるならば,それが知識の最も基礎的な源泉と考えられるようになるのも当然である。フッサールやメルロー・ポンティなどがその好例であって,フッサールによれば,知覚こそは対象自体を与えてくれる〈本源的〉知なのである。もっとも,知覚を対象の直接的把握とすることには反論もある。例えば,机の知覚において,われわれが直接に見ているのは机の前面だけであり,その裏側はいわば想像されているにすぎないからである。われわれの錯覚も,多くはそのようなところから生じているわけである。そして,そのことがまた,〈現象〉と〈実在〉ないし〈物自体〉とを区別する存在論的二元論や,あるいは知覚を純粋な感覚(例えば〈感覚所与〉)となんらかの知的作用との合成物と見る主知主義的解釈の根拠ともなる。フッサールが,〈外部知覚〉の明証性と〈内部知覚〉の明証性とを,前者を〈不十全〉とし後者を〈十全〉として区別したのも,外的知覚の一面性を配慮してのことであった。
しかし,これらの議論は,それほど説得的なものではない。確かに,われわれは知覚において思い違いをすることがある。しかし,その誤りは,対象に近づくなり視点を変えるなりして修正することができる。したがって,あるときの知覚の誤りから,われわれの知覚のすべてを一挙に非実在的な〈現象〉の把握とするのは,形而上学的飛躍といわなければならない。しかも,われわれが〈現象〉と異なる本物の〈実在〉を仮定するということ自体,実はわれわれが日常,誤認と正しい認知との違いを体験していることにもとづくのであって,その違いこそは知覚が教えてくれたものなのである。また,知覚の主知主義的解釈も,〈感覚所与〉といった概念がすでに経験的に確認しえないものであるところに,重大な難点をもっている。そのうえ,知覚は動物にもあると考えられるから,その構成要素として知的作用を仮定する必要はないし,そもそも知覚は,まだ判断ではないのである。それは,例えば〈ルビーンの杯〉などで,図形の反転が判断や解釈によって起こるのではないことからも知られる(反転図形)。なお,〈外部知覚〉と〈内部知覚〉の明証性の違いに関しても,例えば容易に自己反省をなしえない幼児のような存在もある以上,われわれはここでむしろ,内部知覚が何によって可能になるかをこそ問題にしなければならないであろう。
このように見るならば,知覚のもつ認識論的価値を過小に評価すべき理由はあまりないといわなければならない。もちろん,知覚の可謬性は否定できないことであり,したがってそのつどの知覚はさまざまの科学的手段によって修正される必要があるにしても,そもそも外的対象があり,世界が存在することは,知覚による以外に知りようがないからである。メルロー・ポンティが知覚を,いっさいの説明に前提されている〈地〉と呼んだのは,その意味においてである(《知覚の現象学》序)。知覚を刺激や神経の興奮などから因果的に説明しようとする〈知覚の因果説〉の不備も,根本はその点にかかわるのである。
執筆者:滝浦 静雄
知覚は具体的な意味のある意識的経験で,なんらかの対象に関係しているということで,受容器の刺激の直接的な結果として起こる感覚と区別される。例えば形の知覚とかメロディの知覚というように,知覚は複雑な刺激パターンによってひき起こされる場合が多い。しかし色彩知覚や運動知覚のように対象とは独立に起こる知覚もあり,感覚との区別はあいまいである。
W.ブントやE.B.ティチナーなど構成心理学の人々は,要素的な純粋感覚を仮定し,その総和と,それと連合した心像(以前に経験した感覚の痕跡)を加えたものが知覚であると考えた。しかしM.ウェルトハイマーやW.ケーラーなどゲシュタルト心理学の人々は,知覚を要素的な感覚に分けることは不可能で,むしろ直接的に意識にのぼるのはつねに,あるまとまった知覚であると考えた。例えばウェルトハイマーが1912年に発見した仮現運動の場合は,少し離れた2個の光点が順番に提示されると,静止した別々の光点には見えず一つの光点が動いているという運動印象だけが得られる。ケーラーは,あらゆる知覚現象には必ずそれに対応する脳の生理的過程があるという心理物理同型論psychophysical isomorphismの立場から,仮現運動が実際の運動と等しい生理過程を大脳皮質にひき起こすのであろうと考えた。最近の神経生理学的研究によると,実際にネコやサルの視覚野とその周辺で記録される運動感受性細胞は,連続的な運動だけでなく仮現運動にもよく反応する。したがって今日では,知覚は受容器でとらえた感覚信号の空間的・時間的パターンから,中枢神経系で何段階かの情報処理を経て読み取られた,あるまとまった意味のある情報であると理解されている。
知覚はもともと感覚の種類によって大きく分かれているが,さらに同じ感覚の中でもいくつかのカテゴリーに分かれる。特に視覚は,明るさ,色彩,形態,大きさ,運動,奥行き,空間などさまざまなカテゴリーの知覚に分かれる。これらのカテゴリーの多くに共通の現象として,知覚の恒常性がある。例えば明るさ(白さ)の恒常性は,照明の強さと無関係に黒い物は黒く,白い物は白く見える現象をいう。これは知覚系が明暗の対比をもとにして表面の反射率を識別しているからである。色の恒常性は照明光のスペクトルが大幅に変わっても,その物に固有の色が見える現象をいう。ランドE.Landによると,これは知覚系が,赤,緑,青の色光の相対的な反射率を識別しているためで,これもおそらく色の対比がもとになっていると思われる。大きさの恒常性は,対象の距離を変えてもその大きさが同じに見える現象をいい,形の恒常性は,見る角度を変えても形が同じに見える現象をいう。これらは知覚系が網膜像の大きさや形のほかに,距離や面の傾きを計算に入れていることを示している。このように知覚の恒常性は,対象を見る条件がいろいろに変わっても,同じ物はつねに同じに見えるようにする知覚の働きを示す現象で,外界の認識のために重要な意味をもっている。しかし一方では,恒常性を保つメカニズムがさまざまな錯視の原因にもなっている。
この方面の研究は,ヒューベルD.H.HubelとウィーゼルT.N.Wieselが1963年にネコの視覚野で,細長いスリットや黒い線およびエッジに反応する細胞を発見してから急速に発展してきた。視覚野にはこのほか,両眼視差や網膜像の動きや色の対比を検出する細胞があり,これらが立体視や運動視や色彩知覚のための情報処理を行っている。しかし意識にのぼる知覚に対応する神経系は,より高次の感覚周辺野や連合野にある。最近,ゼキS.Zekiは第4視覚野で色彩知覚に直接対応する色覚細胞を発見した(1980)。また第5視覚野(またはMT野)には奥行きを含むさまざまな方向の運動に反応する細胞が集まっている。視覚周辺野のその他の領域も,それぞれ別のカテゴリーの知覚に関係していると思われる。そして側頭連合野(下側頭回)は形態視に関係し,頭頂連合野は空間視に関係した情報処理を行っていることが明らかになりつつある。そのほか,体性感覚野とその周辺には,皮膚表面の動きやエッジに反応する細胞や,いくつかの関節の組合せや関節と皮膚の組合せ刺激に反応する細胞があって,触覚による形態知覚や触空間や身体図式(姿勢)の知覚に関係する情報処理を行っている。聴覚野とその周辺には,複合音や雑音や周波数変化(FM音)に反応する細胞があって音声の知覚に関係する情報処理をしているほかに,音源定位に関係する細胞群も記録されている。このように,知覚は大脳皮質における複雑な感覚情報処理の結果である。
→感覚
執筆者:酒田 英夫
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【哲学における感覚】
仏教用語としては古くから眼識,耳識,鼻識,舌識,身識(これらを生じさせる五つの器官を五根と称する)などの語が用いられたが,それらを総称する感覚という言葉はsensationの訳語として《慶応再版英和対訳辞書》に初めて見える。日常語としては坪内逍遥《当世書生気質》などに定着した用法が見られ,また西田幾多郎《善の研究》では知覚と並んで哲学用語としての位置を与えられている。 哲学史上では,エンペドクレスが感覚は外物から流出した微粒子が感覚器官の小孔から入って生ずるとしたのが知られる。…
※「知覚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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