最新 心理学事典「知覚」の解説
ちかく
知覚
perception(英・仏),Wahrnehmung(独)
【知覚と感覚】 かつて感覚sensationと知覚とを厳密に区別して,感覚を知覚の要素と考える立場もあったが,現代ではその区別は明確でなく,単純な条件下の単一の刺激により生じる感性体験を感覚とよび,より複雑な条件下で刺激パターンから生じるそれを知覚とよぶ場合が多い。知覚は対象性と意味をもち,空間的・時間的な広がりをもつことが多いが,感覚にはそれらがない。たとえば,バラの香りを嗅ぐのは感覚であるが,それによりバラの花の存在を感じることは知覚といえる。色が赤いと見えること自体は感覚であるが,信号機の赤信号は空間的に定位され意味をもって知覚される対象である。純音を聴くのは感覚であるが,ピアノが発する音楽や人の話を聞くのは知覚といえる。
【知覚と知覚対象のずれ】 われわれが知覚している世界は,客観的・物理的世界を忠実に写したものではなく,かなりのずれがある。これは単なる間違いでなく,注意深く見ても,聞いても,大きさや長さや傾きや位置や音や重さが,客観的・物理的なものと違って知覚される。これを錯覚illusionという。視覚における錯覚を錯視optical illusionという。錯覚は19世紀末から研究され,種々の錯視図形が考案され,それぞれの研究者の名前をつけてよばれてきた。これらの錯視は,錯視図形に限られた特殊な問題でなく,錯視の量に大小の差はあっても,日常のわれわれの知覚でつねに起こっている知覚の歪みを示しているものである。錯覚は視覚に限らず,たとえば物理的にまったく同じ重量のものでも,大きいものは軽く,小さいものは重く感じる重量感の錯覚(シャルパンティエの錯覚Charpentier's illusion)などがある。錯覚は程度の違いはあっても,多くの人びとに共通に生じるもので,その点で幻覚hallucinationとは異なる。
また,知覚は感覚器官に対する刺激の強度やパターンを忠実に反映していない。日陰に置かれた白紙から網膜に到達する光の強度は,日向に置かれた灰色紙から到達する光の強度より低くても,白紙は明るく,灰色紙は暗く知覚される。明るさの恒常性brightness constancy(あるいは明度の恒常性lightness constancy)とよばれる現象である。物理的に同じ大きさの対象の網膜像の大きさは観察距離に反比例して減少するが,遠方の対象は網膜像が小さくても実際に近い大きさに知覚される。大きさの恒常性size constancyの現象である。視線に対して傾いた面の形は網膜上では歪んでいるが,正対した場合の形に近く知覚される。形の恒常性shape constancyの現象である。遠方の対象が発する音から到達する音波は弱いが,知覚上は近くの同種の対象の発する音の大きさとさほど違って感じない。音の大きさの恒常性loudness constancyの現象である。これらの恒常現象constancy phenomenon,すなわち知覚の恒常性perceptual constancyは,一般に完全には成立しないが,われわれの知覚世界を物理的環境に近いより安定したものとしている。
【感情・情動・認知】 赤い色は情熱を表わし,青は平静を感じさせる。尖った形は危険を,丸い形は穏やかさを感じさせる。高い音は快活な印象を,低い音は陰鬱の感情を誘う。また明るい声,鋭い音,涼しい色合い,軽快な形,愉快な旋律,重い動きなど,五感を通して感じるものは,単にそれぞれの感覚だけでなく,さまざまな共感覚的傾向synesthetic tendencyを生み,さらに感覚を超えた感情affect,情動emotionも生じさせている。これらを総合して感性Kanseiとよぶこともある。絵画や音楽などの芸術やデザインの基礎ともなっている。
また,認知cognitionという語が知覚よりさらに広い意味に使われる。人が外界からの情報を処理する過程を指し,知覚者のもつ知識や要求や注意attentionが関係する。同じ情報が感覚器に到達しても,知覚者の経験や関心の違いによって,認知するものは大きく異なる。新聞を開くと非常に多くの文字が目に映るが,自分の関心がある文字しか認知されない。政治に関心がある人には政治関連の記事が,スポーツに関心が強い人には,スポーツ記事が目に付く。また,自分と同姓の人物の記事は自然に目に留まる。知らない漢字は読むことはできない。
人を,見るもの聞くもの触れるものに変化がない単純な状況下に長時間おくと,精神的に不安定になり,幻覚を生じたりする。このような状況を感覚遮断sensory deprivationとよぶが,ある程度の感覚は残されているので,むしろ知覚遮断の状況である。人はなんらかの知覚とその変化をつねに求めている。人が窓から外を眺めたり,テレビを見たり,本を読んだり,音楽を聞きたがるのは,知覚への要求の現われといえる。
人がなんらかの知覚能力の障害をもつと,知的能力や運動能力の障害と同様に,生活に大きなハンディキャップが生じる。自分が生活し行動する環境について,十分な情報が得られないからである。知覚の重要性を示している。
【知覚研究の歴史】 すでにギリシア時代に,知覚に関する考察が始まっている。プラトンPlatonは,感覚を通して知る経験的世界のすべてが純粋なイデアideaの不完全な現われにすぎないと考えた。彼によると,不滅な霊魂が人間の肉体に入る前にイデアはすでに存在して,感覚を手がかりとしてそれが想起されるという。後世の認知心理学のスキーマschemaの概念と通じるものがある。プラトンが感覚を軽視したのに対して,アリストテレスAristotelesは,感覚は視・聴・嗅・味・触より成るとし,外界の知識はこの五感five sensesを通じて与えられると考えた。ただ,個々の感覚を通じて得られた経験は個別的な知識を与えるにすぎず,それらの感覚を統合した知識が対象を認識する手がかりを与えるとした。彼は複数の感覚を統合する働きを共通感覚とし,運動,静止,形,大きさ,数をその例とした。今日の感覚と知覚と認知の区別に似ている。
近世に至り,物理学者ニュートンNewton,I.がプリズムを用いて太陽光を7色に分け,それらの光をレンズで集光すると白色に戻ることを確かめるとともに,一部の色光のみをレンズで集光することによって,光の混合により生じる混色color mixtureの現象を観察している。彼はその著『光学Opticks』(1704)の中で,色の物理的性質とともに,色覚についても論述している。彼は,「光線には色がついていないThe Rays are not coloured」と述べ,色をあくまで感覚としてとらえている。彼は,赤い光などとよぶことは不適切で,「赤を作り出す光線Red-making Ray」などとよぶべきだと述べている。これは彼が色を感覚としてとらえ,物理的存在としての光線と明確に区別したことをよく示している。生得観念を否定したイギリス経験論哲学者ロックLocke,J.(1706)は,友人であるモリヌークスMolyneux,W.が提起した疑問,「生まれながらの盲人が成人して,触覚で球と立方体が区別できるようになってから,開眼した場合,視覚によって球と立方体が区別できるか」に対して否定的に論じている。その後,バークリーBarkley,G.は『視覚新論A essay towards new theory of vision』(1709)において,距離は,遠くても近くても眼底に,ただ1点をしか投影しない。かなり遠くに離れている諸対象の距離は,むしろ経験に基づく判断の働きであると論じている(経験説empiricism)。前述のモリヌークスの疑問についても,開眼者は触覚と視覚の習慣的な連合を獲得していないので,眼で見ただけでは球と立方体の区別はできないと述べている。
19世紀初頭にヤングYoung,T.は,色覚の三色説の原型を発表している。彼は,光は波動であるとし,網膜上の神経の末端が網膜に到達した光と共振することによって色覚が生じると考え,赤,緑,菫の3種の神経を想定した。これらの三原色以外の光には,その光の共振数に比較的近い共振数に感じる2種の神経が同時に共振することで対応していると考えた。たとえば,黄の光には赤と緑の神経が同時に共振することとなる。この状態が大脳に黄の光の到来を知らせる信号になると想定された。この説は半世紀後,ヘルムホルツHelmholtz,H.L.F.von(1860)によって整備された形で再提案された(ヤング-ヘルムホルツの三色説Young-Helmholtz trichromatic theory)。この間に,感覚神経が感覚の種類に応じて分化していることを明確に述べたのが生理学者ミュラーMüller,J.P.(1838)の特殊神経エネルギー説die Lehre von den spezifischen Sinnesenergien,theory of the specific energies of sensesである。この説は,まず感覚は外界の物理的性質を直接に反映するものではなく,外界の刺激が生じさせた神経興奮の結果として間接的に生まれるものであることを明らかにし,次にそのような神経は,視・聴・味・嗅・触の五感によって異なっていることを説いている(現代の特徴抽出器feature detectorの説もこの延長線上にあるといえる)。他方,ドイツ観念論哲学者のカントKant,I.(1781)は,空間と時間は先天的直観であると説いた。ミュラーは,神経線維の空間的配列がそのまま知覚に反映されるとして,空間知覚の生得説nativismを提唱している。この考えは,ウェーバーWeber,E.H.(1852)の感覚圏sensory circle(触覚の2点閾によって考えられた皮膚上の領域)の仮説,ロッツェLotze,H.R.(1852)の局所徴験Lokalzeichen,local signの説(視覚や触覚には,刺激される局所に固有の性質があるという考え),へリングHering.E.(1864)の両眼視による空間視の生得説に至っていると考えられる。ヘルムホルツは,感覚の研究ではミュラーの特殊神経エネルギー説に忠実であり,色覚の三色説や聴覚の共鳴説に見られるように生得説的である。他方,知覚の研究に対しては,イギリス経験論哲学の影響を受けて経験説的である。それを最もよく表わしているのは,無意識的推論unbewusster Schluss,unconscious inferenceの説である。この無意識的推論は,過去経験における連合の反復によって形成されたものであり,抵抗しがたく,意識的にこれを排除することはできないとされた。彼は種々の知覚現象をこの無意識的推論の説によって説明している。彼のこの説は,その後の知覚研究に大きな影響を与えている。たとえば,現代の代表的知覚心理学者グレゴリーGregory,R.L.(1998)は強くこれを支持している。心理学を独立の学問として確立したブントWundt,W.(1896)は,人の意識Bewusstsein,consciousnessを心理学の対象とし,後述の内観法によって,心的要素に分析することを心理学の使命と考えた。彼によると,心的要素には純粋感覚reine Empfindung,pure sensationと単純感情einfaches Gefühl,simple feelingがあり,それらが結合して種々の心的複合体psychisches Gebilde,psychical elementを形成しているが,知覚的表象は心的複合体の一種であるとされた。その際,心的複合体はそれを構成する心的要素にない新しい性質をもつことがあるが,それは創造的総合の原理Prinzip der schöpferischen Synthese,principle of creative synthesisによるとした。彼の伝統を受け継いだティチナーTitchener,E.B.(1910)は,知覚は具体的な意味をもつ複雑な経験であり,それを分析すれば感覚と心像imageとなるが,その結合の仕方の文脈によって意味が生じるとした(意味の文脈説context theory of meaning)。
20世紀初頭に生まれたゲシュタルト心理学Gestalt psychologyは,単なる要素の集合以上の全体過程をゲシュタルトGestaltとよび,その立場から,感覚の集合には分解できない全体過程として知覚を論じた。ウェルトハイマーWertheimer,M.が1912年に行なった最初のゲシュタルト心理学の立場からの研究は,運動視の研究であった。彼は,2点の継時的刺激によりその2点間に運動印象が生じる仮現運動Scheinbewegung,apparent motionの現象を,2光点の感覚に分析できない全体過程の例とした。彼は,網膜上の2ヵ所の継時的刺激により生起した興奮は,中枢において一つの生理過程において横の移行を生じさせていると考えた。さらにケーラーKöhler,W.(1920)は,ゲシュタルトの諸原理が物理現象でも成り立っていることを強調するとともに,大脳生理過程も物理現象であり,ゲシュタルトの諸原理の支配下にあって,心理現象がゲシュタルト性を示すのは,それを支えている生理過程にゲシュタルト性があるからであると主張した(心理物理同型説psychophysical isomorphism theory)。彼はこの立場からその後に図形残効figural aftereffectの研究などを行なっている。これに対して,ほぼ同時代にワトソンWatson,J.B.(1913)が主張した行動主義behaviorismにおいては,意識を心理学の研究対象とせず,刺激と反応の関係の解明が主目的とされ,感覚や知覚の問題も刺激の弁別行動として扱われた。たとえば,色の知覚は波長の弁別の問題とされた。しかし,その後のトールマンTolman,E.C.(1932)らの新行動主義neo-behaviorismの立場では,知覚は刺激と反応の間に想定される媒介変数の一つとして取り扱うことが可能となった。
20世紀半ばになると,ブルーナーBruner,J.S.(1951),ナイサーNeisser,U.(1967)などにより,知覚を,知覚者がすでにもっている期待expectation,仮説hypothesis,ないしスキーマschemaを外部からの刺激によって確認する過程として見る認知心理学cognitive psychologyの立場からのアプローチが盛んになってくる。そして,その期待がいかにして形成されるか,過去経験や欲求や注意がどのように知覚に影響するかが,研究されるようになった。認知心理学的アプローチでは,知覚は,知覚者が行なう情報処理過程の一環とみなされ,感覚器に入力された情報の特徴を抽出して記憶・思考などのより高次の情報処理過程に送る中間過程とみなされる。他方,ギブソンGibson,J.J.(1979)は知覚への生態学的アプローチecological approachを主張し,知覚者を環境中の能動的行為者としてとらえ,外界から与えられる感覚情報中で,環境の変化や知覚者の移動に際しても不変性を保つ環境情報の不変項invariantと,環境的事物の知覚者にとっての生態学的役割を意味するアフォーダンスaffordanceの概念の重要性を唱えた。
このように知覚研究の歴史は,知覚機能が生得的なものか,過去経験に基づくものかという生得説と経験説の対立,知覚が感覚的要素の結合か,要素に分解できない全体かという要素論elementismと全体論wholismの対立,知覚が外部からの情報に基づく受動的なボトム・アップ処理bottom-up processingか,知覚者がすでにもっているイデア,期待,スキーマなどによる能動的なトップ・ダウン処理top-down processingかの対立の間を揺れ動きながら,発展してきた感がある。
【知覚の研究法】 心理学が独立する以前の知覚に関する考察は,哲学者による日常体験に関する思弁的考察か,自然科学者による光や音などの物理的実験に随伴する考察であった。
19世紀後半に心理学を独立の学問として確立させたブントは,心理学の研究対象を直接経験すなわち意識であると定義した。ブントは心理学者を訓練して,各自の意識を自分自身で観察し,分析して,心理学の基本データとしようとした。内観法Selbstbeobachtung,introspectionである。意識の一部である知覚も内観法によって研究された。しかし,この方法では,訓練を受けた心理学者自身の意識しか研究の対象にできない。幼児や,精神障害者の意識を内観によって求めることはできない。内観法の限界は明らかであった。実際にはブント自身も,フェヒナーFechner,G.T.(1860)の考案した精神物理学的測定法psychophysical methodやドンデルスDonders,F.C.(1869)らに始まる反応時間測定法reaction time methodを広く用いていたし,幼児や動物の心理状態にも考察を広げている。また感覚・知覚研究には,刺激条件を厳密に統制するため,実験室で種々の実験装置を用いて,刺激を統制し反応を測定している。今日の心理学でも,研究対象とする人びと(被験者subject,観察者observer,実験参加者・実験協力者participantなどとよばれる)に各自の体験した事柄をそのまま報告してもらうことがある。一種の内観報告である。しかし,報告はあくまで言語行動の一部であり,報告内容がそのままその人の意識内容を表わしているとは解していない。ある内観報告がなされたということは客観的事実であっても,その内容は客観的事実とは言えない。
ブントの内観法のように,分析的態度を取らずに知覚現象をありのままにとらえてその特徴を知覚者自身が記述し,その成立条件を探る方法を実験現象学experimental phenomenologyとよぶ。ゲーテGoethe,J.W.vonの色彩研究にすでにその萌芽が認められるが,カッツKatz,D.(1911)が同じ青でも,空の青のように定位の不明確な現われ方を面色Flächenfarbe,film color,色紙の青のように定位の明確な表面色Oberflächenfarbe,surface color,水の青のように空間を満たす空間色Raumfarbe,volume color,などと名づけて分類した色の現われ方Erscheinungsweise der Farbe,mode of appearance of colorの研究,ルビンRubin,E.J.(1921)の図と地Figur und Grund,figure and groundの研究などがその典型例である。ゲシュタルト心理学者もこの方法を駆使しており,とくに新しい知覚現象の発見に有力な方法である。
自分の知覚・感覚はたしかに自分で観察できるが,他の人の知覚・感覚はまったくうかがい知れない。ことばや行動や表情から推測するだけである。それに対して,行動はだれにでも観察できる。たとえば石原式色覚検査表では,色の斑点から構成された数字を読むことが求められる。数字を構成する斑点の色と,地となる部分の斑点の色が色覚障害者には似て見えるために,数字が読みにくいのである。ここで重要なことは,この検査では決して色名を答えさせないことである。色覚検査表の場合,地と数字の色の違いが区別(弁別discrimination)できるかをテストしているのである。弁別行動を用いれば,動物の色覚も研究できる。フリッシュFrisch,K.von(1927)は,ミツバチの色覚を色紙や単色光の弁別行動を通して研究した。現在も広く感覚・知覚研究に用いられている精神物理学的測定法は,基本的には刺激と反応の関係に基づく非常に客観的な方法で,行動主義的方法論に適合することがグレアムGraham,C.H.(1950)によって指摘されている。刺激を組織的に変化させて「はい」「いいえ」,「大」「小」などの単純な回答の出現率が一定(50%など)となるための刺激の物理的値を閾値thresholdや主観的等価点point of subjective equalityとしているからである。さらに,近年は精神物理学的測定法を動物や乳児に適用して,動物や乳児の感覚・知覚を研究する動物の精神物理学(心理物理学)animal psychophysicsや乳児の精神物理学(心理物理学)infant psychophysicsも発展して,動物や乳児の感覚・知覚研究に適用されている。
知覚の実験的研究には,知覚を生じさせる刺激の厳密な統制と反応の測定が必要である。そのため,ブントの時代から種々の実験機器が開発され使用されてきた。その一部は物理学,生理学,医学へも流用されたが,心理学独自のものも多い。たとえば混色器,瞬間露出器,実体鏡(ステレオスコープ),可変音響発生機,嗅覚計,時間測定器(クロノスコープ),カイモグラフなどである。その後,技術の進歩に従い,改良を重ね,今日では刺激の統制・呈示と反応の測定にコンピュータが広く用いられている。また,外部からの影響を遮断するための実験室として暗室,防響室,無臭室などが利用される。
知覚研究は,それぞれの時代の生理学と緊密な関係を保って進められてきた。初期には生理学者が知覚研究を行なってきたが,その後心理学者が生理学的手法を利用するようになった。初期には感覚器官である網膜や蝸牛殻などの生理学との関連が研究されたが,しだいに脳の各感覚野の生理学との関連が論じられ,今日ではさらに高次の脳領域との関連が研究され,機能的磁気共鳴画像functional Magnetic Resonance Imaging(fMRI)などの測定なども,知覚研究に利用されている。 →運動の知覚 →感覚 →感性 →ゲシュタルト心理学 →恒常現象 →錯覚 →実験心理学 →図形残効 →精神物理学 →精神物理学的測定法 →認知
〔大山 正〕
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