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1940年代から50年代にかけて,アメリカで展開された一群の抽象芸術のこと。代表的作家はゴーキー,デ・クーニング,ホフマンHans Hofmann(1880-1966),ゴットリーブAdolph Gottlieb(1903-74),マザウェルRobert Motherwell(1915-91),ポロック,ガストンPhilip Guston(1913-80),クラインFranz Kline(1910-62),スティルClyfford Still(1904-80),ニューマンBarnett Newman(1905-70),ロスコら。
作家により様式はさまざまだが,全体として抽象的な様式によりながらも感情や内面性・精神性などを表現しようとする試みととらえることができ,はじめてのアメリカ独自の美術といいうる。ポロックのように画面のなかに入りこんで描くものをとくにアクション・ペインティングとよぶ。また,この時期,ニューヨークで抽象表現主義作家を中核に形成されたグループを〈ニューヨーク派〉という。抽象表現主義は50年代に入ると,巨大なキャンバスと白黒の絵具という二大特徴を明確にし,スティルの大きな影響下に一大流派を形づくり,ロスコやニューマンらによって,のちの色面絵画color field paintingへの道をも用意した。
広義には,アメリカの抽象表現主義とほぼ時を同じくしてヨーロッパ,とくにフランスで現れた類似の動向をも指す。これは,アンフォルメル,抒情的抽象,タシスムTachisme,熱い抽象などとさまざまによばれた。日本では,50年代後半から,フランスのアンフォルメルが導入されて一時代を画したため,アンフォルメルの呼称が一般化した。しかし,たとえば斎藤義重のような作家は,アンフォルメルをむしろはっきり〈抽象・表現〉という言葉でとらえていた。
→アメリカ美術[絵画]
執筆者:千葉 成夫
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アメリカで1940年代後半から60年代の初頭に展開された美術の一動向。本来は1919年にオズワルト・ヘアツォークがドイツ表現主義の雑誌『シュトゥルム』(嵐(あらし))のなかで抽象的な表現主義を具象的なそれに対置させて用いたものである。その後、アメリカにおいてアルフレッド・バー2世がウェルスリー大学の講義(1929)で「カンディンスキーとドイツの抽象表現主義」といい、また彼が組織したキュビスムと抽象芸術展(1936)のカタログのなかでカンディンスキーをさして用いた。ついでロバート・コーツがハンス・ホフマンの展覧会評(1946)に転用して以来、アメリカの画家に適用されるようになった。
しかし、この用語が一般化したのは、1940年代後半から50年代にわたってニューヨークを中心とするポロック、ニューマン、ロスコ、スティール、デ・クーニング、フランツ・クラインらの活動によってである。ポロックのポード絵画(poured注ぐの意、つまり絵の具を水を撒(ま)くようにして作画する)と、ニューマン、ロスコらのカラー・フィールド・ペインティング(色彩の場の絵画)は、表面的には異なるが、空間上「図」と「地」の関係が近接していること、オール・オーバー(全面を覆う)、多焦点、あるいは無焦点の空間と精神内容をもつ絵画という点などで共通している。これは後年、モーリス・ルイスの作品により継承、統合されている。またこの用語は、デイビッド・スミスを中心とする金属を素材とした彫刻にも使用されている。ドイツ表現主義の自己表現を押し出す芸術とは異質の動向に与えられたこの用語は、便宜的であるのを免れないが、美術の中心がヨーロッパからアメリカに移りつつあることを予感した芸術を、なんらかの形で包括しようとする自然発生的な要求に応じたものである。
なお、ローゼンバーグの命名による「アクション・ペインティング」という用語もこの動向に含まれるが、それがもっともよく当てはまるのは、ポロックらとは異なる絵画空間をもつデ・クーニングやクラインらの作品に対してである。また抽象表現主義はカラー・フィールド・ペインティングを展開させたフランケンサーラーからジャスパー・ジョーンズらのネオ・ダダイズム(ネオ・ダダ)、ポップ・アート、さらにステラたちのミニマル・アートを経て1970年代後半の新表現主義に至るまで、直接、間接に影響を及ぼしている。
[藤枝晃雄]
(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)
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…彼らの渡来は,20世紀アメリカ美術の一つの転機であり,戦中・戦後の新しい動向を生む素地を用意するものであった。40年代にニューヨークに登場する抽象表現主義はキュビスムとシュルレアリスムを背景とし,ヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。これには激しい動きを画面に投入したアクション・ペインティングの一派(J.ポロック,W.デ・クーニング,クラインFranz Kline(1910‐62)ら)と,平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティングColor‐Field Paintingの流れ(M.ロスコ,ニューマンBarnett Newman(1905‐70),スティルClyfford Still(1904‐80),ラインハートAd Reinhardt(1913‐67)ら)があり,両者とも巨大なキャンバスをいっぱいに使った衝撃的な絵画を創造した。…
…また,この派の批評家アロウェーLawrence Alloway(1920‐ )が60年代にニューヨークに移住し,一群のアメリカ作家の作品を総称して,〈ポップ・アート〉と呼んだことで,この名称が定着したともいう。ニューヨークのポップ・アートは,1940年代後半から50年代にかけてニューヨークで爛熟した抽象表現主義へのアンチ・テーゼとして生まれたとも見られる。抽象表現主義の超越的な精神主義に対して,ポップ・アートは卑俗・日常的なマス・メディア的大衆性を強調したわけであり,両者の分水嶺の位置を占めるのが,R.ラウシェンバーグとJ.ジョーンズである。…
…彼はその〈アクション・ペインティング〉によってきわめて個性的な様式を創造したが,それはまたアメリカがはじめてもった独自の絵画,いわゆる〈アメリカ型絵画〉の先駆ともなった。なお,ポロックを中心とするアメリカのこのような絵画を抽象表現主義と呼び,それはヨーロッパのアンフォルメルに対応するものである。【千葉 成夫】。…
…やがてオランジュリー美術館に寄贈する8枚の大画面の制作に,このジベルニー時代の全成果を投入する。最晩年に目を患った前後の,荒々しいタッチで描かれた一連の作品(パリ,マルモッタン美術館)は,のちの抽象表現主義に大きな影響を与えた。【馬渕 明子】。…
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