オランダの風俗画家。ライデンに生まれ同地で没。はじめ父親の職業であるガラス装飾彫師の修業をし,12歳でガラス職人組合に入るが,1628年当時まだ21歳の画家レンブラントの最初の弟子となり,おそらく師がアムステルダムに移るまでの4年間その工房にとどまった。この時期の画風は初期のレンブラントに忠実に倣ったもので,今日でもどちらが真の作者か議論の分かれる作品が少なくない。しかし独立後は,物語画を重視したレンブラントとは異なり,風俗画の分野における第一人者としての地位を固めて多くの弟子や模倣者を生み出した。彼が最も得意としたのは,アーチ型の窓の外から眺めた家庭や商店の室内およびろうそくの火が生む明暗の効果を生かした室内夜景である。ダウ一派の絵は筆触をまったく残さずエナメルのように滑らかに表面を仕上げた精緻な小画面絵画であるため,彼らは一般に〈ライデンの滑沢細密画派Leidse Fijnschilders〉と呼ばれる。彼らの作品は後世においても長らくオランダ風俗画の典型として尊重されたが,印象派の台頭以後はかつてほどの高い評価を博していない。
執筆者:高橋 達史
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…中国の史書に波斯船(ペルシア船。義浄はこの船で渡印した),次いで大食(タージ)船(アラブ船,イスラム船)として現れる彼らの船は,1本マストで三角帆,側板の接合に鉄釘を用いずヤシの繊維の縄で縫ったダウdhowとよばれる小型船であった。後述の中国船と同じく,ペルシア湾の奥から広州まで単純計算で3ヵ月,しかし風向きの関係で実際は1年,往復で2年かかった。…
…18世紀の後半,ベルリンは巨大な人口をもつ都市に発展したが,この人口増加は,ハーベル,シュプレー両川による廉価な輸送なくしては考えられなかった。18世紀末,ベルリン,ポツダムおよびシュパンダウを結ぶ三角形の地域には18万人の人口が存在した。この地域の1人平均年間生活物資消費量を約200kgとしたとき,全人口の消費量3万6000tは,当時この周辺の河川で稼働していた平均積載能力50tの船700隻によって,はじめて供給されえたのである(F.W.ヘニングの推計による)。…
…この冬と夏の航海期に合わせ,ペルシア湾やアラビア半島の諸港には,エジプトやシリアなどからキャラバン隊が結集し,インド洋貿易はキャラバンを通じて密接に地中海世界と結ばれていた。こうしたインド洋貿易に長く用いられてきたのがダウdhowとよばれる三角帆の縫合船であった。これは,インド洋西海岸やモルジブ産のチーク材,ココヤシ材を使ってつくられ,舷板の接合に釘を用いずヤシの繊維からつくったひもによって縫い合わせた独特の構造をもった船で,中世の史料では最大のもので艇身約35m,乗客約200人,約3tの積荷を積載した(家島彦一の研究による)。…
…この季節風を利用すると3週間から1ヵ月にわたる連続航海が可能であった。船は,シュメール・アッシリア時代に起源をもつティグリス,ユーフラテス川で使われた葦船の系統をひき,ダウdhowと呼ばれた。これはインド,東南アジア産のチーク,ラワン,ココヤシなどの木材を使い,タールと縄で縫合した三角帆の船である。…
※「ダウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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