ダンバートン・オークス会議(読み)だんばーとんおーくすかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ダンバートン・オークス会議
だんばーとんおーくすかいぎ

1944年8月21日から10月7日まで、アメリカの首都ワシントン郊外のダンバートンオークスDumbarton Oaksで開かれた、国際連合設立に関する主要連合国の会議。会議は、8月21日から9月28日までアメリカ、イギリスソ連の3か国、9月29日から10月7日までアメリカ、イギリス、中国の3か国と別個に開かれた。これは当時、日本と交戦国でなかったソ連が、中国と同席することによって、アジアで日本と交戦関係が生じることを懸念したためである。この会議で発表された「一般的国際機構の設立に関する提案」は、後の国連憲章原案となり、新しい国際機構は全加盟国からなる総会と、大国を中心とする安全保障理事会の二つを骨子とすることが、参加国の間で合意された。

[藤村瞬一]

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百科事典マイペディア の解説

ダンバートン・オークス会議【ダンバートンオークスかいぎ】

1944年ワシントン郊外のダンバートン・オークスDumberton Oaksで開かれた米英ソ中の4ヵ国会議。8月21日〜9月28日は米英ソで,9月29日〜10月7日は米英中で行われた。国際連盟に代えて国際連合の設立を決定,国連憲章草案を作成した。
→関連項目サンフランシスコ会議第2次世界大戦

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ダンバートン・オークス会議(ダンバートン・オークスかいぎ)
Dumbarton Oaks

1944年8月から10月にかけて,ワシントン郊外のダンバートン・オークス邸で開催された国連憲章草案を起草するための国際法専門家の会議。米英とソ連の代表が1カ月以上にわたり重要問題について協議をすませたのち,ソ連の代表に代わり中国の代表が参加して,さらに協議が行われた。国連憲章について大筋の合意ができたが,国連安全保障理事会における拒否権問題など未解決の問題が残り,翌年2月の米英ソ首脳会談に委ねられた。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

ダンバートン−オークス会議
ダンバートン−オークスかいぎ
Dumbarton Oaks

国際連合結成のため,1944年8月21日〜10月7日にワシントン郊外のダンバートン−オークスで開かれた国際会議
1944年9月29日まではアメリカ・イギリス・ソ連間の会議であったが,ソ連退席のあと中国が参加し,10月9日,「一般的国際機構の設立に関する提案」を決定した。この案は,1945年2月のヤルタ会談で一部修正を受け,同年6月サンフランシスコ会議で制定された国際連合憲章基礎となった。

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