チェン・カイコー(読み)ちぇんかいこー

日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェン・カイコー」の意味・わかりやすい解説

チェン・カイコー
ちぇんかいこー / 陳凱歌
(1952― )

中国の映画監督。8月12日、北京(ペキン)の生まれ。映画監督だった父が文化大革命で反革命分子として弾圧された際、紅衛兵世代の凱歌は父の糾弾に加わり、心の傷となったとのちに語っている。中学生のとき雲南(うんなん/ユンナン)省に下放、1970年に入隊、1974年の復員後は北京の現像所で働く。1978年に再開した北京電影学院の監督科に入学し、1982年卒業。広西(こうせい/カンシー)映画製作所で撮った監督デビュー作『黄色い大地』(1984)が、斬新な映画話法で国際的なセンセーションを巻き起こし、張藝謀(チャンイーモウ)、田壮壮(ティエンチュアンチュアン)らとともに中国映画「第五世代」の旗手として注目される。下放や兵役の体験も反映された『大閲兵』(1986)と『子供たちの王様』(1987)、哲学的な寓話の『人生は琴の弦のように』(1991)を経て、1993年の『さらば、わが愛 覇王別姫(はおうべっき)』で日中戦争や文革翻弄(ほんろう)される京劇役者を描き、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。『花の影』(1996)、『始皇帝暗殺』(1998)ののち、アメリカで『キリング・ミー・ソフトリー』(2001)を監督するが、翌2002年の『北京ヴァイオリン』から中国に復帰。他に『PROMISE 無極』(2005)、『花の生涯 梅蘭芳』(2008)、『運命の子』(2010)。最新作はネット暴力を描く『捜索』(2012)。

[石坂健治]

資料 監督作品一覧

黄色い大地〈黄土地〉(1984)
大閲兵〈大閲兵〉(1986)
子供たちの王様〈孩子王〉(1987)
人生は琴の弦のように〈邊走邊唱〉(1991)
さらば、わが愛 覇王別姫(はおうべっき)〈霸王別姫〉(1993)
花の影〈風月〉(1996)
始皇帝暗殺〈荊軻刺秦王〉(1998)
キリング・ミー・ソフトリー Killing Me Softly(2001)
北京ヴァイオリン〈和你在一起〉(2002)
10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス~「夢幻百花」 Ten Minutes Older: The Trumpet ―100 Flowers Hidden Deep(2002)
夢幻百花100 Flowers Hidden Deep(2002)
PROMISE〈無極〉(2005)
それぞれのシネマ~「チュウシン村」 Chacun son cinema - Zhanxiou Village(2007)
花の生涯 梅蘭芳〈梅蘭芳〉(2008)
運命の子〈趙氏孤児〉(2010)
捜索〈捜索〉(2012)

『陳凱歌著、刈間文俊訳『私の紅衛兵時代――ある映画監督の青春』(1990・講談社現代新書)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

現代外国人名録2016 「チェン・カイコー」の解説

チェン・カイコー
陳 凱歌
Chen Kai-ge

職業・肩書
映画監督

国籍
中国

生年月日
1952年

出生地
北京

学歴
北京電影学院監督科〔1982年〕卒

受賞
ロカルノ国際映画祭銀賞〔1985年〕「黄色い大地」,モントリオール世界映画祭審査員特別賞〔1986年〕「大閲兵」,金鶏奨監督特別賞(第8回)〔1988年〕「孩子王」,カンヌ国際映画祭パルムドール(第46回)〔1993年〕「さらば、わが愛」,アジア太平洋映画祭監督賞・編集賞(第38回)〔1993年〕「さらば、わが愛」,日本映画批評家大賞(洋画作品賞・監督賞)〔1995年〕「さらば、わが愛」,カンヌ国際映画祭技術賞(第52回)〔1999年〕「始皇帝暗殺」,東京国際映画祭黒沢明賞(第21回)〔2008年〕

経歴
父は映画監督、母は脚本家で生粋の共産党員というエリート家庭に生まれ育ったが、1966年に文化大革命が始まると紅衛兵に。’68年16歳のときから2年間、雲南省のけわしい山中に下放してゴム園づくりに従事。その後5年間は軍隊に入って中越戦争中のベトナム、ラオス国境付近の辺境で勤務、’75年に除隊して北京に戻る。’78年100倍以上の競争率を突破して北京電影学院監督科に入学(チャン・イーモウらと同期)。卒業後、’83年北京映画製作所に就職。’84年斬新な映像感覚で中国農民の苦闘を描いた「黄色い大地」で監督テビュー、日本を含め世界の注目を浴び、話題となった。第2作「大閲兵」(’85年)、第3作「孩子王(子供たちの王様)」(’87年)と一作ごとに注目を浴び、中国映画界“第五世代”監督のリーダー的存在となる。’88年8月ニューヨーク大学客員教授として招かれ、3年間ニューヨークに滞在。’91年帰国。’93年「さらば、わが愛/覇王別姫」(’92年)でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。2002年「キリング・ミー・ソフトリー」でハリウッドに進出したが、のち中国に戻る。他の作品に「人生は琴の弦のように」(1991年)、「花の影」(’95年)、日中米仏合作映画「始皇帝暗殺」(’99年)、「PROMISE」(2004年)、「花の生涯〜梅蘭芳〜」(2008年)などがある。2007年4月立命館大学映像学部客員教授に就任。著書に「私の紅衛兵時代―ある映画監督の青春」がある。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェン・カイコー」の意味・わかりやすい解説

チェン・カイコー(陳凱歌)
チェン・カイコー
Chen Kai-ge

[生]1952.8.12. 北京
中国の映画監督。父も北京電影制作所の映画監督であった。文化大革命中の 1969年から雲南省の農村で働き,のち中国人民解放軍兵士となる。 1978年北京電影学院監督科入学。同期生にチャン・イーモウ (張芸謀)がいた。 1982年卒業。 1983年北京電影制作所に入る。 1984年第1作『黄色い大地』を監督,ロカルノ国際映画祭で銀賞を受賞 (撮影は張芸謀) 。第2作の『大閲兵』 (1985) はモントリオール世界映画祭審査員特別賞を受賞した。 1988年からアメリカに渡り映画を視察・研究し,1990年に帰国。その後『人生は琴の弦のように』 (1991) を経て,『さらば,わが愛~覇王別姫』 (1993) でカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールを受賞,世界的な監督の一人となった。そのほかの作品には『子どもたちの王様』 (1987) 『花の影』 (1996) 『始皇帝暗殺』 (1998) などがある。中国映画の「第5世代」 (1950年代生まれで文革後に電影学院に入学した監督) を代表し,作品は壮大なスケールと重厚さを特徴とする。

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