日本大百科全書(ニッポニカ) 「チャン・イーモウ」の意味・わかりやすい解説
チャン・イーモウ
ちゃんいーもう / 張藝謀
(1950― )
中国の映画監督、カメラマン、俳優。陝西(せんせい/シャンシー)省西安に生まれる。西安市第三十中学卒業後、陜西省乾県の農村に下放(かほう)(1968年に毛沢東のよびかけによって起こった運動。知識階級の青年を農村などの生産現場へ送り、再教育を受けさせること)され、1971年から咸陽(かんよう/シエンヤン)市の綿紡績工場での労働に従事する。この時代にデザインの仕事に携わり、また写真に興味をもつようになる。1978年北京電影学院撮影科入学。同期の監督科には陳凱歌(チェンカイコー)や田壮壮(ティエンチュアンチュアン)らがおり、彼らは後に第五世代とよばれる中国映画のニュー・ウェーブを形成する核となった。1982年同学院卒業後、広西映画製作所にカメラマンとして配属される。張軍釗(チャンチュンチャオ)(1952― )監督の『一人と八人』(1984)で撮影を担当、中国映画優秀撮影賞を受賞。本作は第五世代最初の作品とされている。陳凱歌監督の『黄色い大地』(1984)の撮影で1984年第5回金鶏賞・最優秀撮影賞を受賞。独特の映像美学や鮮烈な色彩感覚が高く評価される。
1985年に西安映画製作所に転属し、陳監督の『大閲兵』(1986)の撮影、呉天明(ウーティエンミン)(1939―2014)監督の『古井戸』(1987)の撮影・主演を経て、『紅いコーリャン』(1987)で監督デビュー。本作は第38回ベルリン国際映画祭グランプリ(金熊賞)を受賞し、映画監督張藝謀の名と中国映画の新しい気運を世界に知らしめることになる。その後『ハイジャック 台湾海峡緊急指令』(1988)、『菊豆(チュイトウ)』(1990)、『紅夢』(1991)、『秋菊の物語』(1992)、『活きる』(1994)、『上海ルージュ』(1995)と旺盛(おうせい)な製作活動を続ける。なかでも『紅いコーリャン』『菊豆』『紅夢』は、いずれも1920~1930年代の中国を舞台に、女優の鞏俐(コンリー)(1965― )を主役として抑圧された女性の姿を力強く描いている点や、赤という色彩へのこだわりが随所にみられ、アジア的エキゾティズムを前面に押し出した張の初期三部作として名高い。また1940年代から文化大革命時代までを扱った『活きる』は政府当局に対する批判が含まれているとされて検閲を通らず、2004年5月現在でも本国では公開されていない。『秋菊の物語』ではこれまでのスタイリッシュな映像構成から離れ、ドキュメンタリー的なアプローチを試みており、彼の新境地を開拓した作品だといえる。
その後『キープ・クール』(1997)の監督・出演を経て、1997年にはイタリア、フィレンツェ歌劇場にてプッチーニのオペラ『トゥーランドット』の演出に携わる。翌1998年には同作品を中国・紫禁城にて公演。その模様をアラン・ミラーAllan Millerが追ったドキュメンタリー『トゥーランドット』The Turandot Project(2000)が製作されている。一方で『あの子を探して』(1999)、『初恋のきた道』(1999)、『至福のとき』(2000)を監督。また『HERO』(2002)は初めて自ら脚本を担当した武侠(ぶきょう)映画(武術の達人が活躍するアクション映画)で、華麗なワイヤー・アクション(出演者をワイヤーで吊り、派手なアクションを行う演出方法。とくに香港映画で多用された)と素早いカットの積み重ね、画面からあふれ出るような色彩美が張藝謀の真骨頂をみせている。
[岩槻 歩]
資料 監督作品一覧
紅いコーリャン〈紅高梁〉(1987)
ハイジャック 台湾海峡緊急指令〈代号美洲豹〉(1988)
菊豆〈菊豆〉(1990)
紅夢〈大紅燈篭高高掛〉(1991)
秋菊の物語〈秋菊打官司〉(1992)
活きる〈活着〉(1994)
上海ルージュ〈搖啊搖 搖到外婆橋〉(1995)
キープ・クール〈有話好好説〉(1997)
あの子を探して〈一個都不能少〉(1999)
初恋のきた道〈我的父親母親〉(1999)
至福のとき〈幸福時光〉(2000)
HERO〈英雄〉(2002)
LOVERS〈十面埋伏〉(2004)
単騎、千里を走る。〈千里走単騎〉(2005)
王妃の紋章〈満城尽帶黄金甲〉(2006)
それぞれのシネマ~「映画をみる」 Chacun son cinéma - En regardant le film(2007)
女と銃と荒野の麺屋〈三槍拍案驚奇〉(2009)
サンザシの樹の下で〈山楂樹之恋〉(2010)
『四方田犬彦著『電影風雲』(1993・白水社)』▽『レイ・チョウ(周蕾)著、本橋哲也・吉原ゆかり訳『プリミティヴへの情熱――中国・女性・映画』(1999・青土社)』▽『関口裕子編『チャン・イーモウ』(2002・キネマ旬報社)』