1911年の辛亥(しんがい)革命以降45年まで,チベットは実質的には独立に近い状態にあった。しかし49年,中華人民共和国が成立すると,中国共産党指導部は中国への統合を強化しようとした。56年にチベット自治区準備委員会を発足させたが,各地でチベット人の反乱が起こった。こうしたなかで59年3月,ダライラマ14世はインドへ亡命,中国軍はチベット全土を制圧したが,十数万のチベット人難民が生じた。この一連の過程を「チベット動乱」という。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...