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ツェティニェ Cetinje

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ツェティニェ
Cetinje

モンテネグロ南西部の古都。ポドゴリツァの西約 30km,標高 630mの高原に位置する。 1918年までモンテネグロの首都で,1945年その座をポドゴリツァに譲った。文化の中心地でもある。 1516~1851年の間は王であり主教であった聖職支配者 (→ブラディカ ) たちの居住地で,要塞化された修道院が残っている。聖職支配者であり,近代セルビア文学の代表的詩人でもあるペタル2世の居城 (1838建設,1951修復) などもある。第1次世界大戦中はオーストリア軍,第2次世界大戦中はイタリア軍に占領された。機械,製靴工業などが行なわれる。人口1万 4700 (2003) 。

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デジタル大辞泉の解説

ツェティニェ(Cetinje)

モンテネグロ南部の都市。ロブチェン山の麓、標高680メートルの高地に位置する。15世紀、オスマン帝国の侵攻から逃れたツルノイェビッチ王朝のイバンが修道院を創設し、首都とした。以降、現在に至るまでモンテネグロの憲法上の首都であり、宗教的、文化的中心地。15世紀創設のツェティニェ修道院、モンテネグロ国王ニコラ1世の宮殿だったモンテネグロ国立博物館のほか、近代のモンテネグロ王国の名残で旧庁舎やヨーロッパ各国の旧在外公館などがある。

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世界大百科事典 第2版の解説

ツェティニェ【Cetinje】

ユーゴスラビア南西部,モンテネグロ共和国の都市。人口2万(1981)。標高680mのカルスト地形の高地にあり,東部にロブチェン山(1749m)がそびえる。15世紀後半オスマン・トルコ軍の侵略により後退して,ゼータ地方(モンテネグロ地方)の国王イワン・ツルノイェビッチは,難攻不落のこの地に館を移し,修道院を建てた(1484)。モンテネグロは司教が聖俗界を支配する独特の制度で,修道院が政庁でもあったが,1847年,ニェゴシュ2世が王宮を新築して現在の町並みに改めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ツェティニェ
つぇてぃにぇ
Cetinje

モンテネグロ共和国の古都。アドリア海に近い南部に位置する。人口1万8749(2003)。15世紀末イバン・ツルノエビッチがトルコの侵攻を逃れてこの高地(標高680メートル)に修道院を建て、首都を移した(モンテネグロでは主教が聖俗界を支配する制度であったため、修道院が政庁を兼ねた)。短命に終わったモンテネグロ王国(1878~1918)時代の名残(なごり)で、オーストリア、イギリス、イタリア、ロシア、フランスなどの旧公使館がある。叙事詩『栄光の山並み』の作者としても有名な聖俗界の首長ニェゴシュの館兼執務室ビリヤルダBiljarda、郊外のロブチェンLoven山上(1600メートル)にある彼の霊廟(れいびょう)、18世紀初頭に建てられた聖ペテロ修道院、博物館に改造されたニコラ王宮殿、劇場など見るべきものが多い。電気製品・製靴工場、印刷所がある。[田村 律]

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