大学事典 「テヘラン大学」の解説
テヘラン大学[イラン]
テヘランだいがく
イランの首都テヘランにある。1934年の大学設立法に従って翌35年に正式発足し,法・政治・経済学部(Hoqu¯q o ‘Olu¯m-e Sı¯a¯sı¯ o Eqtesa¯dı¯),文学部(Adabı¯ya¯t),理学部(‘Olu¯m),医学部(Pezeshkı¯)から出発した。これらの学部は,イラン初の近代的高等教育機関として軍学・工学・医学・外国語を教えたダーロル・フォヌーン(イラン)(Da¯r ol-Fonu¯n,1851年創立),政治学校(1899年),農業学校(1900年),法律学校(1918年)に起源をもつ。その後,神学部(Ma‘qu¯l o Manqu¯l,のちEla¯hı¯ya¯tに改称),工学部(Fannı¯)の2学部が新設された。1937年に女子学生も受け入れた(1936年より受入れ開始とする研究もある)。西欧人教員はおもに医学や工学の教育を,のちに増加したイラン人教員はおもにアラビア語,ペルシア史,地理,ペルシア文学の教育を担当した。1960年代には単位制度や2学期制などアメリカ・モデルへの転換が試みられたが,実際にはフランス・モデルとの混在が続いていた。現在,国内で最大規模の大学となっているが,イラン革命後,入学制度からカリキュラム,教員人事面などで,体制により大幅な「イスラーム化」の措置が実施された。2013年現在,テヘランに加え,ゴムやキャラジュ,キーシュに七つのキャンパスを擁し,15学部が存在する。
著者: 山﨑和美
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報